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18話・帰還

 勝手についてきたことに対する罰なのか、女官が最初に頼った人物が私だったからか、赤子の世話係に任命されてしまった。恐らく子持ちであろう年長の隠密から助言を受けつつ育児に奮闘する。


 行きと同様、帰りも帝国兵を避けて街道以外の経路を使う予定だった。だが、幼い赤子を連れての長距離移動は思うようにはいかない。時折小さな村に立ち寄り、山羊の乳などを貰って凌いだ。


 馬を休めるため、ひと気のない森で野営をする。同行の兵士や隠密も交代で仮眠を取る。


「あなた、食事まだでしょ? 赤ちゃんの抱っこ代わってあげる。少し休憩してきなさい」

「いや、しかし」

「国境まであと一日はかかるのよ。無理したら途中で倒れちゃうわ。ごはん食べてる間くらい赤ちゃんはあたしが面倒見るから」


 皆から少し離れた木陰にいると、エニア嬢から話しかけてきた。彼女は私の返事を待たずに赤子を奪い、抱きかかえる。普段の彼女からは想像もつかないほど仕草は優しく、そして慣れていた。あやされた赤子はキャッキャと声を上げて喜んでいる。


「赤子の相手をしたことが?」

「あるわよ、赤ちゃん可愛いもん。街で見かけたら毎回抱っこさせてもらってるの」


 尋ねてみれば、そんな答えが返ってきた。愛おしそうに赤子を愛でるエニア嬢を眺めながら、覆面の下で唇を噛む。優しくてあたたかな光景。私が得られなかった幸福がそこにある気がして、何故だか落ち着かない気持ちになる。


 母も父も私を愛してくれていたが貴族の気まぐれと権力に負けて命を奪われた。家族のあたたかさを、私は知らない。この赤子も親元から引き離され、どこかに貰われていくのだろう。私と同じように、なにも知らないまま。


「あら、あなた泣いてるの?」

「えっ」


 思わず自分の目元に触れて確認してみたが、指先に濡れた感覚はない。ホッと安堵の息を吐くと、エニア嬢が悪戯っぽく笑った。


「騙されたわね」

「……」


 からかわれたと悟り、無言で外方を向く。姿を隠してひっそり調査をするはずが肩を並べて言葉を交わしている。戸惑いより嬉しさが勝っていた。

 私はエニア嬢に惹かれている。貴族学院で見掛けた時からずっと。生命力に満ち溢れた彼女ならば私の前から簡単にいなくならないと思えるからだ。


「キミのお母さんはどこにいるんだろねぇ」


 あやしながら呟くエニア嬢の声に、赤子を託された状況を振り返る。


 あの女官が仕えている人物は帝国の人間ではない。恐らく戦争で捕虜または人質として捕えられた他国の貴人。情勢が変われば人質の命に保証はない。せめて赤子だけでも、と願って逃がしたのだろう。託された時に布に包まれていた理由は、洗濯物の中に紛れ込ませて警備の目を欺き、外に連れ出すため。


 とはいえ、身元が明らかではない以上、扱いは限られる。孤児院に入れるか、養子に出すか、それとも……。






 帝国軍の追撃はなく、身構えていたぶん肩透かしを食らった。帝城を半壊させたのだ。それなりの報復があると覚悟していたが、どうやら帝国側も一枚岩ではないらしい。統率が取れていれば、そもそも帝都への潜入すら出来なかったはずである。圧政から亡命者が後を立たない状況のため、人員が足りていない可能性もあった。


 難なく国境を越え、ノルトンへと帰還する。赤子は安全な場所で保護して養育されることになった。私の役割もこれで終了となる。王都に帰還する前に、グナトゥス様に全てを話すことにした。


「私はディナルス殿下の指示で調査にまいりました。身分を偽り入り込んだこと、大変申し訳ありません」


 執務室の床に片膝をつき、まず謝罪する。頭を下げる私に対し、グナトゥス様はフンと鼻を鳴らした。


「毛色の変わった奴が潜り込んでいたことには気付いておった。怪しい動きを見せたら始末するようにと部下に頼んでおいたのでな。未だにおまえの首が繋がっているというなら無害と判断されたんじゃろ」

「は……」


 恐らく、私の行動は最初から見張られていた。エーデルハイト家に仕える隠密は手練ればかり。師匠に厳しく教え込まれたとはいえ、本職が文官の私が彼らを出し抜くなど不可能。そんな中、病弱な奥方や愛娘のエニア嬢にも接触している。もし無礼な真似をしていれば、その時点で私の命は無かった。今になって冷や汗が背筋を伝い落ちる。


「グナトゥス様には謀反の疑いが掛けられており、事実を調べるために派遣されました」

「ふむ。それで?」

「謀反の事実はなし、と報告するつもりです」

「そうか。わかった」


 グナトゥス様がまとう空気が僅かに軽くなった。いや、執務室の周りを固めている隠密衆が警戒を解いたのだ。違う返答をしていればどうなっていたか考えたくもない。


「わざわざ律儀に申し出た理由はなんじゃ? 黙って王都に帰れば済む話だろうに」

「挨拶もなしに出立したら追っ手を放つつもりだったのでは?」

「命じなくても誰かがやるかもしれんのぉ」

「だからですよ」


 豪快に笑うグナトゥス様に苦笑いで応える。私の中にあった貴族の概念を変えてくれた御方だ。この老獪で豪胆で掴みどころのない人に嫌われたくなくて、嘘をついたまま去りたくなかった。


「短い間でしたがお世話になりました」

「うむ。殿下によろしく伝えてくれ」

「承りました」


 潜入調査任務を終え、王都へと帰還する。エニア嬢や保護した赤子にひと目会いたいと思ったが、離れがたくなる気がしてやめておいた。


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