vs【溶獄】いへん
「シンシア、大丈夫か……?」
「はい」
小声で話しかけると、小さく返事が返ってくる。
暗がりでシンシアの顔色は窺うことができない。しかし、抑え気味の息切れが時折聞こえ始める。
いくら魔力が尽きないからといって、シンシアのスキルは精神をすり減らすような操作が必要なもの。
加えて、この密閉空間。通気口がないから、時間が進むにつれて酸素が薄くなる。
流石に呼吸ができなくなる程ではない。それ以前に、この神器はそんな長時間は保たない。
「……はぁっ……」
それでも、環境が作り出す体力の限界はどうしようもない。
俺の魔力も残り半分を切った頃だ。いつものことだけど、余裕があるうちに撤退する必要がある。
「シンシア、俺が魔力切れしないうちに退くからな」
「……分かりました」
シンシアにもこれからの動きを確認したところで、腕に着けていた通信魔道具が震える。通信はグラスさんからだった。
「どうしました?」
『手短に伝える。西、南、東で【溶獄】を確認。北も警戒しろ』
「……はあ!? どういうことっすか!?」
『そのままの意味――っ、即行で片付けてそっちに向かう! それまで持ち堪えろっ!』
捲し立てるように要点のみを告げられると、通信を一方的に切られてしまった。
グラスさんの言葉からは、とても余裕を感じられるようなものではなかった。
状況が全く理解できていない。【溶獄】が一人じゃないなんて話、今まで聞いたこともなかったから。
とにかく、急いでこの事を皆に伝えないといけない。
俺が通信魔道具に触れようとした時、暗闇に灯っていた青い光が消える。
「シンシア?」
「……ふぅ……私は平気です。ただ、今の話を聞く限り、余力は残しておきたいので」
なんだ、そういうことか。シンシアの身に何かあった訳ではないと分かって安心した。
「団長、団員に連絡をするなら北側の部隊長だけにしてください。それと、他の方角に【溶獄】が現れたことも伏せてください」
「分かった」
俺はシンシアの指示に従って通信を繋ぐ。
指示の理由は分からない。でも、シンシアは俺より頭が回るし、俺より物事をよく考えているから。
――すぐに通信は繋がり、俺は"北側に魔人が現れる可能性が高い"と伝える。
その時、根拠も聞かれて"俺の[直感]だ"なんてゴミみたいな理由もでっち上げてしまった。けれど、皆は突っ込みを入れながらも信じてくれた。
「グラディスとレティにも連絡しました。今からこちらに向かってくれます」
「……ああ、ありがとな」
これで緊急連絡も全て伝えた。あとは俺達が前線まで退きながら、レティとグラディスと合流する。
そして、他の七聖の誰かがここに辿り着くまで、俺達が【溶獄】を食い止める。
「……ああああああ……」
魔人が怖い。戦いたくない。死にたくない。
震える手を、足を、折らないように力を入れる。折れたら、俺はきっと立ち上がれない。
俺にしか、できないことだから。折れたくても、折れられない。
「団長」
「……ああ、ごめん。でも、今だけ許し――」
不意に、シンシアは俺の服を引っ張り、背中に手を回される。そして、強い力で抱き締められた。
「し、シンシア……?」
「いいですよ、今だけなら」
耳元で囁かれたのは、彼女が普段口にすることのない甘い言葉だった。
「大丈夫です。貴方の魔力が尽きて神器が使えなくなったとしても、私がいます。私が、守りますから」
また、甘い言葉。
「だから、お願いします。あと少し頑張ってください。まだ、膝を着かないでください」
――脳裏を過ったのは、人が目の前で死にゆく光景。
俺は、フォース団長に憧れて騎士団に入った。でも、あの日から怖くなった。俺もいつか死ぬんだって考えたら、憧れなんて忘れてしまった。
それでも騎士団を辞めなかったのは、シンシアがいたからだ。
人を守りたい、強くなりたいと、真っ直ぐ突き進んだ彼女の道の先にも"死"があると思うと、耐えられなかった。だから、後を追い続けた。
俺は弱い。今だって、その守るべき存在にこんなことまで言わせてしまっている。
団長として――一人の男として、応えるべきだろう。騎士団を、家族を……想い人を守る"守護者"として。
「ごめん、もう大丈夫だ。ありがとな」
「……そうですか。なら、早く行きましょう」
「ああ」
シンシアが俺から離れ、感じていた温もりもなくなる。
震えは止まった。俺は深呼吸をして、胸に手を当てる。心拍は早いけど、これでいい。
「よし、行こう」
「剥がします。『錬成』」
シンシアの目が再び青く光ると、大きな振動と轟音が盾を襲う。盾にまとわりついていると思われるスライム達を、シンシアが攻撃しているのだ。
――五秒後、音が止み、俺達は動き出す。
「アイギス、戻れ!」
俺達を包んでいた盾の神器は、小さな盾として俺の手元に戻る。
ずっと暗い場所にいたのもあって、日が眩しい。けれど、すぐ慣れる。
呼吸はゆっくり。それから、段々元の呼吸に戻していく。
周りにはスライムの魔物がまだまだ残っていて、すっかり囲まれている。
「団長、まずはここを抜けます。『錬成』」
シンシアに腕を捕まれ、地面が盛り上がる。その地面からは、十メートルはありそうな巨大な剣が現れ、俺達を乗せて浮き始めた。
「くっ……ぅぅ……」
シンシアは右手で剣に触れながら、左手で頭を抑える。表情は険しい。
こんな巨大なものを瞬時に[錬成]で作り上げたことに加えて、[念力]も使っている。脳にかかる負担は相当な筈だ。
でも、俺はここで魔力を消費できない。それはシンシアも分かっていたのだろう。
……だからこそ、シンシアの無茶を信じるしかない。歯痒い気持ちが込み上げてきても、俺には何もできない。
「いきっ……ますっ……!」
「頼むっ」
俺は振り落とされないように身を屈める。
土の巨剣は、退路を塞いでいるスライム達に向かって突っ込んだ。溶解液が剣を溶かすような音が聞こえても、その影響を受けていないかのように速度を落とさず突き進む。
「あははっ、なにこれー!」
子供の狂気染みた笑い声と共に、悪寒が走った。
「シンシア!」
「――!?」
咄嗟に俺はシンシアに飛びついて、剣の上から彼女と共に転げ落ちる。
反転する視界が映したのは、俺達が乗っていた剣が水のように溶けゆく光景――。
「きゃっ」
「うぐっ!? いってぇ……」
俺は着地に失敗して体を打ちつけ、シンシアの下敷きになった。
ほぼ反射だった。どうにかシンシアを守ろうと空中で身を捻ったけれど、細身の自分でも緩衝材代わりにはなれただろうか。
「団長!? す、すみませんっ」
「俺は大丈夫だから……シンシア」
「……はい」
俺達が見据える先には、【溶獄】がいた。
「動けるか」
「団長よりは」
二人と合流する前に魔人が出てきてしまった。戦闘は避けられない。
そう思って身構えていると、魔人がおかしなことを言い始める。
「でも、楽しみは最後に取っておこーっと」
「それはどういう――」
「こういうこと!」
シンシアの言葉に答えるように、魔人は後退を始める。
魔人は俺達の道を塞ぐように現れた。そして、俺達は前線に一直線で戻っていた。
つまり、"魔人の後退"は"俺達を無視して他の団員を狙う"という最悪の事態を意味している。
「シンシアっ」
「分かってますっ」
後を追おうとする俺達の行く手を、どこから湧いて出たのか、スライムの大群が阻む。
このままだと不味い。あの魔人の溶解液は別格だ。生半可な武器や防具では防げない。
「くそっ、アイギス!」
「駄目ですっ、ここで魔力を使ったら……」
「間に合わなかったらもっと駄目だ! 援護頼む!」
「ああ、もうっ」
この密度の大群だと、先程の巨剣による正面突破は使えない。迂回している時間もない。
俺は一番最初と同じように、拡大変形させたアイギスを前に構えて走り出した。
「うぉぉぉぉおおおお!!!!」
焦りも恐怖も誤魔化して、俺は力の限り叫びながら前進する――。
▼ ▼ ▼ ▼
後ろに続きながら、側面の魔物を退ける。
頭痛も制御を甘くすれば軽くなる。だから、まだ体力的にも動ける。
その代わり、錬成する剣の量を増やすのに無駄に魔力を消費する。でも、私の魔力は尽きたことがないから、魔力切れを起こすこともない。
ただ、最悪、テトは魔人と戦う前に魔力がなくなる可能性がある。そうなれば、私が彼の役割を果たさなければならない。
……私は盾にはなれない。それでも、副団長として、団長の剣として、時間稼ぎを成し遂げてみせる。
貴方は私をたくさん守ってくれたから。
こんな私に手を差し伸べてくれたから。
そんな真っ直ぐだった貴方に、憧れたから。
――これからは、私が守る番。
▼ ▼ ▼ ▼
団長からの通信を聞いた俺とレティは、団長達と合流するために先を急いでいた。
「うざってえなっ」
「邪魔」
俺が火を吐き、レティが狙撃。足は止めない。一秒でも早く合流するために。
……毎回思うが、レティの射撃技術、やっぱり異常だよな。
普通、走りながらあんなデカい銃で核を正確に狙えないだろ。魔道具の知識がない俺にだって、それぐらい分かる。
「……見えた。左斜め、前方」
「分かった」
レティの指示に従って、方向を少し修正する。団長の神器らしきものが遠目に見える。
俺達は襲ってくる魔物を避けながら、必要最小限の魔力消費で団長達に接近した。
「『竜式:業火剣嵐』」
団長達の前に立ち塞がる魔物の周りを、魔力を込めて抜刀しながら一周する。そして、一周回り終えてから再び魔力を込める。
――それが合図となって、剣で切り裂いた空気の軌跡が発火し、炎の渦が魔物を包んだ。
「グラディス!」
「私も、いる」
シンシアが俺の名前を呼ぶと、レティは不満の声をあげつつ少し遅れて合流する。
「レティも無事で良かったです」
「んっ」
シンシアはレティの頭を撫でると、レティは満足そうに目を細めて尻尾を振った。犬か。
……何はともあれ、無事に合流できた。あとは魔人を警戒するだけだ。
そう思っていると、団長は険しい表情であることを訊ねてきた。
「【溶獄】と鉢合わせなかったか……?」
「見てねえが……まさか」
「――っ、急ぎましょうっ」
シンシアは再度駆け出し、俺達は後に続く。団長の顔色も優れない。その反応で何が起きたのか察する。
"前線崩壊"の文字が頭に浮かぶ中、魔物達の進路妨害も激しさを増す――。
4




