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暗い石畳の道を二つの足音が響く。
季節は春。夜が深くなれば気温も下がり、冷気がゆっくりと足下から迫ってきていた。
隣を歩く彼女の足取りは怪我のせいか重い。
白い脚に絡みつく包帯が暗闇で淡く光って見える。
俯く姿は儚く、このまま夜の闇に溶けて消えてしまいそうに見えた。
確か名前はーーー調書の隅に書かれていた文字は「ルリコ」と記されていた。
初めて聞く響きの名だ。
「ーーールリ」
そう呼ぶと彼女は弾かれたように顔を上げた。
「ご家族は心配しているだろう。家は国立魔術研究所のそばでよかったのか?」
「あ、はい。今は研究所の寮でお世話になっています。家族は・・・えっと、今は近くにいなくて・・・」
悲しげに目を伏せる彼女を見て、質問したことをすぐに後悔した。
「すまない、軽率に聞いてしまった。まだ、幼いのに苦労したんだな・・・」
「いえ、そんな心配してもらうほどは・・・。あと、私、成人してますし」
「え?」
驚き固まる私に、ルリは明かりが灯る建物を指差した。
「あ、あそこです!私の部屋は」
寮の門をくぐり抜け階段を登る。
二階の隅に彼女の部屋はあった。
「ありがとうございました」
ルリは礼をして部屋に入ろうとする。
ふと室内が見えた。恐ろしく殺風景だ。
「失礼」
声をかけ部屋を覗き込む。
部屋をぐるりと見回すが、備え付けの家具以外何も見当たらない。
とても女性が住んでいる部屋には見えなかった。
「この部屋は本当にあなたの部屋なのか?」
「一応そうです」
ルリは私を見上げ事も無しに言う。
「夕飯は、何か食べる物はあるのか?」
私の質問に彼女は目を泳がせる。
「えっと、後で買いに出ます」
深い溜息が漏れた。
この時間に空いてる店は限られている。
彼女はこの時間に再び、煌びやかな光を放つ一角に出かけようとしているのだろうか。
なんの疑問を持たないその目は黒く、真っ直ぐに私を見上げていた。
「買いに行ってくるから鍵をかけて待ってなさい。すぐ戻る!」
そう言い放ち早足で階段を駆け下りる。
見た目は幼いが言動は大人びている。しかし、ものを知らない危うさは簡単にまた危険を連れて来そうだ。
この国に来てまだ日が浅いのだろうか。
余計なお節介だろうが、彼女にはこの国の常識を教えるべきだと感じた。
食材を調達し戻り、ルリに了承を得てキッチンへ入る。
簡単で消化の良いものを数品つくり、テーブルに並べる。
「わぁ」と彼女は感嘆の声を上げてくれた。
その小さな体のどこに入って行くのだろう。
向かいに座るルリは食事を大きな口を開けてどんどん食べ進めて行く。
ふと顔を上げて私を見つめてきた。
「そういえば、お名前を聞いていませんでした。」
「私は第三騎士団の団長秘書をしている、アリアだ。よろしく」
彼女の手を握る。ルリは私の顔を見つめたまましばらく固まっていた。
「どうした?早く食べなさい」
「わゎ!ごめんなさい。つい見惚れていました」
頬を赤らめた彼女は恥じずかしそうに俯く。
「・・・・そういえば、成人しているというので酒を用意した。呑むか?」
「あ、はい。頂きます」
グラスにゆっくりと酒を注ぐ。淡いピンク色の果樹酒だ。
女性が好む甘い口当たりだが、度数は高い。
ルリはとても酒が強そうに見えないから、一杯呑ませてそのままぐっすり眠っていただこう。
怖い目に合った夜を終えるにはそれも有効なはずだ。
「美味しい〜。アリアさんもう一杯!」
どうしてこうなったのだろう。
ルリは最初の一杯で顔を蒸気させたが、そこからペースを変えずお代わりを要求してくる。
「そろそろ、終わりにしないか?」
そっとビンの蓋を閉じようとすると、ぷりぷりと彼女は怒り出した。
「全然!まだ飲み始めたばかりじゃないですか〜。わたし、女の子と呑めるの久しぶりで嬉しいんです。それが終わっても、うちのストックが有るので大丈夫ですよ」
満面の笑顔を浮かべた彼女に、思わず顔が引きつる。
ルリは構わず、私のグラスに酒を継ぎ足していく。
「そういえば、アリアさんって〜お付き合いされてる方いるんですか〜?」
「いない」
そう答えるとルリは「またまた〜」と言い淡い色の酒を飲み干す。
「わたしは〜、すごく素敵だな〜と思う人がいまして、ルーベンスっていう人で、とっても、優しいんです〜」
「ルーベンス?それは先ほどあなたを助けた人物ではないのか?」
「何言ってるんですか〜、全然違いますよ〜。アリアさんおもしろ〜い」
話が見えなくなってきた、襲われた彼女を助けた人物の容姿。赤褐色の肌に青い瞳。そして魔術研究所といえば彼以外思い当たらないが・・・・。
何か当人同士で行き違いがあるのか、それとも酔っ払いの言動はまともに受けるべきではないのかーーー。
「彼、凄く紳士なんです〜」
確かにルーベンスは強大な魔力と特異な容姿で偏見を持たれがちだが、その物腰は柔らかいと記憶している。
しかし、大抵の人間は見た目の恐さに物怖じするし、彼自身も相手に必要以上構う様子は無かった。
良くも悪くも孤高の天才という立ち位置だ。
「あと、すごく可愛いんです〜」
「失礼だが、彼はそれとは両極の所にいないか?」
私の認識では彼ほどの強面の男性を知らないが、ルリには違う姿が見えているのだろうか。
「そんなことないですよ〜。とってもかわいいです。あと、人は見た目じゃないですよ〜」
ハッとして彼女を見た。
人は見た目じゃないと、そう彼女は当たり前のように言ったのだ。
「本当にそう思うのか?私は・・・そうは思えない。誰しも可愛く女性らしい方に惹かれるだろう」
私も酔いが回ったのだろうか。
余計な失言をして、慌てて口を覆う。
いったい何を口走っているんだ私は。
ルリはそんな私を気に留めず、柔らかい笑顔を向けてくれていた。
「アリアさんは、もしかして好きな方がいるんですか〜?」
正に図星だが、気まずさから顔を逸らす。
「なら素直になるのが一番ですよ〜」
「素直・・・?」
「はい、そうです!正直に自分の気持ち伝えるのが一番いいですよ〜。女なら当たって砕けろです!骨は拾ってあげますよぉ」
「私にはそんな勇気はない。女性として自信がないんだ・・・」
私の片思いは長すぎて、この気持ちを何処にやればいいかわからなくなっていた。
「アリアさん!!!」
突然ルリはテーブルを叩き立ち上がる。
「な、なんだ?」
「だいじょーぶです!!自信を持ってください!アリアさんは素敵な女性です。優しいし、料理も上手だし。お嫁さんにしたいナンバーワンですよ!!もしその人に振られたら私がアリアさんをお嫁さんにします!!」
何を言っているんだこの子は?それでも何故だが心がじんわりと温かくなった。
「ーーーありがとう、ルリ。やれるだけやってみるよ」
「はい!!お酒用意して待ってますよぉ」
「・・・また呑むのか!!?」
ルリの言う通り、この不毛な片思いを昇華させるべきなのかもしれない。
私は固く決意し、グラスの液体を飲み下す。そうした所で意識がプツリと途絶えた。
「はい!息を止めて!」
腰に手を回され、きつくコルセットを締め上げられた。
こんなに内臓を圧迫された経験はない。
女性の戦場は社交界と聴くが、このような窮屈な姿をさせられる以上その話もあながち嘘ではないみたいだ。
私は城内の一室でドレスの試着をしていた。
朝方、ルリの部屋で起こされ、湯汲みをする時間がないまま登城した。
心なしか頭痛がする。
昨夜の記憶はあるが気分が最悪で、胃が重苦しい。
ドレスは白をベースとした生地に刺繍が施さていた。胸元が大きくあき、ウエストは強調されている。その手触りだけで上質な物だとわかった。
こんな装いをするのは十数年ぶりだろうか。
すべてこれも、来たるべき鼠の確保の為に必要な仕事だ。
主に着付師が悪戦苦闘して手直しを加え、なんとかドレスから隊服に戻る。
そして隣の扉を開けた。
壁に凭れるようにしてルークが立っていた。
王との謁見は終了したのだろうか。
窓の外を眺る表情は堅い。
眉間にシワがより、口を一文字に結んでいた。
普段と比べ格段に愛想がない、これが本来の彼の姿だ。
そしてその姿は親しい人間にしか見せない。
私が決して見れない姿だった。
ルークは扉の閉まる音と同時に顔を上げいつも通りの薄い笑みを浮かべた。
「どうだった、衣装合わせは?」
「多少窮屈ですが、問題ないです。」
「それは良かった。この後、王女が面会したいと連絡がきた、どうする?」
「王女様がですか?」
「トリエントの妖精からの直々の頼みだ」
「わかりました。お会いします。・・・団長代理、昨夜の襲撃事件についてお伝えしたいことがあります」
「なんだい?」
ルークは特に表情を変えないまま聞き返してきた。
「犯人の男は捕縛中ですが、当時そばにいたはずの魔獣は消え、男も記憶がないと証言しています。被害者のうちの一人と話ができましたが、何やらルーベンス殿の知り合いのようです」
「・・・・そうか。詳しい話を頼むよ」
「ーーーーなるほど。ルーベンスにはこちらから話を通しておくよ。魔獣についても気になることだしね」
「お願いします」
「では、私は先に戻るよ」
ルークは出口へと脚を進める。
私は深呼吸をしてから彼を呼び止めた。
「あのっ!団長代理。お話したいことがあります。今夜時間を空けてもらえますか?」
ルークは振り返り片眉をあげた。
「うちの秘書からの誘いとは珍しい。約束は出来ないが努力はするよ」
「ありがとうございます」
頭を深く下げルークを見送る。
大丈夫だ。勇気を出せ。
ルリも言っていたじゃないか。度胸が必要だと。
答えはわかっているんだ。恐れることはない。
もう、十分すぎるくらい玉砕する覚悟は出来ていた。




