突然の告白
「っぎゃあぁぁああぁ! たっ、助けてええぇ!! 痛い!」
外から聞こえてきた悲鳴に一瞬手を止めたのは私だけだった。事務所にいる人達はこの状況に慣れていて、誰も興味を示さない。
私もわざわざ見に行くことはせず、書類に数字を書き加えた。
銭湯が有名になると、北領だけではなく他領からもお客様がやってくるようになった。その中に多くいたのが、貴族たちだ。
私がひどい扱いを受けていた時に知らんぷりしていた貴族たちは、この建物に入ろうとした途端、契約違反で苦しみ悶えた。北領の人たちはそんな貴族たちを追い払い、ヴィンセントは積極的に北領から追い出し、相手にしなかった。
さすがに噂が広まったのか頻繁に貴族が来ることはなくなったけれど、忘れた頃にぽつぽつとやってくる。
銭湯経営は順調だった。
毎日何かしらトラブルはあるし、うまくいかないこともあるけど、そればかりではない。
この銭湯の改善点を活かした二号店と、宿泊できるちょっと豪華な宿を建設中だ。他領にも温泉や基礎化粧品を売り出しており、評判がよく売れ行きもいい。
メロおじいさんも元気で、北領の人たちに薬の作り方を教え、広めてくれている。本来なら薬を作っていた人もポーションを優先して作っていたので、技術が途絶えかけていたようだ。
銭湯宛てに来た手紙を仕分けしていたエルンストが、わずかに眉を寄せてやってきた。これは、真剣な話をする時の顔だ。
「サキさん、少しいいでしょうか。大事なお話がありますので、本日の仕事は別の者に引き継ぎをしていただけませんか?」
「うん、わかった」
エルンストがこう言うのは、よっぽどだ。
複数の人に引き継ぎをして、レオと一緒に事務室を出る。
「ヴィンセント様にもお話しなければなりません。ギルは……ああ、いましたね。彼にも関係があるので、一緒に行きましょう」
銭湯を出て城へ向かうと、連絡がきていたのか、バートが出迎えてくれた。温泉に浸かるようになっていっそう元気になったバートは非常に好意的で、自ら応接室まで案内してくれた。
応接室へつき、誰もいない部屋のソファに腰かけると、すぐにヴィンセントがやってきた。
「遅れてすまない」
「今来たばかりですので、大丈夫です」
「バート、お茶を」
「かしこまりました」
バートが繊細な味のお茶を出してくれ、全員で一口飲む。カップを置くと、エルンストが話を切り出した。
「皆さま、集まっていただきありがとうございます。ヴィンセント様も独自の伝手をお持ちでしょうが、私のほうにも王都の情報が入ってきたため、お知らせしたほうがよろしいかと思いまして」
「ありがたい。アグレル家は情報に疎いんだ」
それからエルンストは、簡潔に王都の状況を教えてくれた。
エルンスト達を含むスキル貴族がたくさん仕事をやめた後、王様を支持していた貴族たちもお城に行かず、インフラなども滞って不満がつのり暴動が起きる寸前で、魔物が増加して治安が悪化しているそうだ。
北領に来てからまだ一年も経っていないのに、転がり落ちるように悪い方向へ向かっているのを感じる。
「結界の聖女はこの国を出ていきました。予知の聖女は結婚し、家から出てきません」
「えっ」
「その……サキさんが気にしている素振りがなかったので、わざわざお知らせしていいものか迷っていました」
「気遣ってくれてありがとう、エルンスト。3人ともお城で大切にされて暮らしていると思っていただけで……まさか、そんなことになっているなんて」
「予知の聖女は一度だけおそらく重要なことを予知しましたが、その結果に怯えて何も言わなかったそうです。結界の聖女は誰とも交流を持とうとせず、国内を巡ったあと国を出ていきました」
「……癒しの聖女は?」
「消えたそうです」
エルンストは眼鏡を上げてもう一度背筋を伸ばし、ヴィンセントに尋ねた。
「癒しの聖女が人を傷付けていたことはご存じですか?」
「ああ。人の姿かたちを変えたと」
「ええ、そのようです。その後もかんしゃくを起こし続け、つい先日、聖女を召喚するための魔法陣を燃やしました」
「なんだと!?」
「それから誰も癒しの聖女を見ていないそうです。聖女召喚の魔法陣を燃やした者は、元の世界に帰れる可能性があります」
体に電撃のようなショックが走った。
魔法陣を燃やせば、元の世界に帰れる……?
「癒しの聖女がそれを知っていたのか、自分以降の聖女召喚を阻止したかったのか、今となってはもうわかりません。癒しの聖女が煙のように消えたことを考えると、元の世界に帰ったか、あるいは違う世界に行ったか……時空を超えた可能性が一番高いです。聖女召喚の魔法陣はひとつしかありませんので、召喚のスキルを持つ者が現れない限り、今後聖女が召喚されることはありません」
案ずるように見てくる視線に何も言えなかった。顔の、体の筋肉がこわばって、すぐに動けない。
元の世界に帰れる可能性があることを知ったこの瞬間に、二度と戻れないことも同時に思い知らされた。
元から、地球に帰ることは諦めていた。だからこそ自分のスキルを使い、居場所を作りたかった。
ざわつく心を深呼吸で静めていく。何度目かに息を吐きだした時、ようやく唇が動いた。
「……私は大丈夫です」
「申し訳ありません。この事実を知っていれば、サキさんをすぐに返せたのに……」
「エルンストは悪くないよ。ショックだったけど……もし地球に帰れても、二度とこの世界に戻ってこれないのだとしたら、きっと私は帰らなかったから」
地球に未練がないわけじゃない。会いたい人がいなくなったわけでも、やりたいことがなくなったわけでもない。
けれど私は、この世界を選ぶだろう。自分で居場所を作った、この国に根付くことを選ぶ。
「自分のために、北領のために色々としてきたのに……ここで暮らしていくと決めていたのに。……動揺してしまいました」
「謝ることはない。誰だって動揺する。当たり前のことだ」
レオが優しく、芯のある声でそう言ってくれた。誰も私を責めず、心配して見つめていることに気付き、微笑んでみせる。思ったより自然な笑みを作れたことに、心の片隅で安堵した。
今まで黙っていたギルが、なんでもないように言った。
「サキが望むなら、時空を超えるアイテムを作るが」
「作れるの!?」
「おそらく。サキのいた世界にたどり着くようにするには長い時間が必要だろうが、僕にはたくさん時間がある」
「ありがとう、ギル。だけど私は、ここで生きていくから」
そう言うとピンと張った場の空気が、ゆるやかにほどけていった。
きっと、私が本心でこの世界にいたいということが伝わったのだろう。ギルは「気が変わったらいつでも言ってくれ」と言うと、もう私の決意を揺らがすようなことは言わなかった。
「エルンスト、話を続けてくれる?」
「は、はい。えーと……今の陛下が統治するようになってから、国の状況は悪化の一途をたどっています」
エルンストは、簡単に貴族の説明をしてくれた。
国を動かす貴族たちの派閥は三つあり、一つは王派。これは王に誓いを立てている貴族たちだ。もうひとつは中立派で、王ではなく国に忠誠を誓っている。
最後のひとつは、スキル貴族と呼ばれる、エルンストのような元平民の一代限りの貴族だ。
「中立派と呼ばれる貴族たちが訝しく思い、陛下を調べた結果、陛下はスキルを偽って玉座についたと報告がきました」
「なんだと……!? 今の陛下は”王”のスキルの持ち主のはずだ!」
「ええ、そうです。国を統べるのに最も適した者へ女神から贈られる、王のスキル。今の王のスキルは”自信”だそうです」
「自信……? それは、どのような状況でも臆することない、というものか?」
「いつでも自信にあふれている、それだけのスキルです」
えっ……それって、大丈夫なの?
たまにいる、根拠もなく大丈夫だって言っている人みたいな感じになるのかな?
「自分が至らなくとも、知識があってもなくても、大丈夫だと自信を持っている。そんな人物が”王”のスキルを持っていると言えば、どうなると思いますか? ……とても頼もしい王に見えるでしょう。どんな困難も乗り越える、そんな人物に見えるはずです」
「……なんということだ……」
青ざめたヴィンセントが、椅子に体重を預ける。
「これは……こんなことがあり得るのか?」
「成し遂げてしまったから、今があるのです。もうすぐ陛下は、共犯の王派と共に捕らえられるでしょう。今も中立派がいるから、国であるための最低限のことは出来ています。この先は中立派が権力の中心となるはずです」
「……北領は、中央とあまり繋がりがない。おそらく、他領より混乱は少ないな」
「ええ。サキさんの温泉のおかげで、荒れた土地も回復し、野菜もたくさん収穫でき、家畜も育っています」
「本当に、サキは俺たちの聖女だ」
思ったより万能だった私の温泉のおかげで、食料不足だった北領は自給自足できるようになっていた。
温泉で野菜や家畜が育つ速度を上げ、土を農業に適したものにして、木や薬草なども育てている。そのうち私の温泉を使わないで育てる予定だが、当分は温泉を使い続けるだろう。
「エルンストの情報提供に感謝する」
深々と頭を下げたヴィンセントに、エルンストは軽く首を振ってこたえた。
「北領に住む者として当然のことをしたまでです。これからギルが北領にいると気付いた貴族たちが、様々なアイテムを頼むこともあるでしょう。お二人で、どう対応するか決めておいたほうがいいと思います。そしてレオも、王都に最後にいたA級冒険者として探されているようです。お気をつけて」
レオとの護衛の契約は、もう終了している。それでも北領に残って私のそばにいてくれるレオは、二ッと笑った。
「どんな奴が来ても断るだけだ。俺はサキの横にいるって決めちまった」
「僕も。アイテムは作るけど、貴族にはあまり売らない。サキにひどいことをした奴らだから」
「二人の気持ちは嬉しいけど、好きにしてくれていいんだよ?」
「好きにしてるから心配すんな!」
太陽のように笑うレオの横で、ギルは月のような美貌のまま、じっと私を見つめた。
「僕の好きにしていいって言うなら、サキ、結婚して。いつか、僕の願いをかなえるって言ったよね?」
「…………えっ?」




