聖女のお披露目
気を抜けば、か細く震えてしまう息を一度止めて、深く吸い込む。
都市をぐるりと囲む城壁の上に立つ私の周囲には、数えきれないほどの人が集まっていた。私や隣に立つヴィンセントに突き刺さる、不安と期待が混じった多くの視線。
ヴィンセントが軽く頷くのを見て、ギルが作ったアイテムを手に取った。マイクのように、周囲に声を届けるものだ。
「皆様、お初にお目にかかります。サキと申します」
幸いにも声は震えることなく、人々へ降り注いだ。道にも、家の屋根にすら人が所狭しと並んでいて、私の言葉を待っていた。
「私のスキルは温泉で、魔物避けや弱体化させられる温泉を出せます。今から皆様に、魔物を追い返す光景をお見せいたします。私は召喚されたばかりで、北領はおろかこの国のことさえ何もわかりません。皆様が希望を持って北領を守ってきたことが、少しばかりわかっただけ」
息を吸うためのわずかな時間、誰の声も、咳払いすら聞こえなかった。これだけ大きな都市で、これだけの人がいるのに、恐ろしいほどの静寂。
「これからは私も北領のために尽力いたします。まずは、ひと時ですが皆様に心の平穏が訪れますように!」
パッと手を挙げると、城門が開かれる。城門の外にいた騎士たちが、温泉が入った大きな注射器のようなものを持って並んでいるのが人々の目に映った。
これは私がギルに提案して作ってもらったものだ。人力で水を遠くまで飛ばすのならこういう形だろうと軽い気持ちで言ったところ、数時間で出来上がってしまった。
整列した騎士たちが筒から温泉を出す。その途端、こちらへ突進していたイノシシのような魔物が急ブレーキをかけて転がり、こちらに背を向けてよたよたと城門から離れていった。隠れていた魔物も、慌てて逃げ去っていく。
驚きでざわついていた声が、一気に歓声へと変わる。
「すごい! 魔物が逃げていった!」
「今まで何をしても突進してきたのに! 遠くから魔物を撃退できるなんて!」
「これで北領を守れる……!」
「素晴らしいスキルだ! 俺たちは生き残れる!」
ドッと声が上がり、大きなうねりとなって街の隅々まで興奮と希望が届いていく。
「聖女様! サキ様は聖女だ!」
「温泉の聖女様!」
「女神様が北領へ与えてくださった温泉聖女様だ!」
手を振ると、さらに大きな歓声が上がり、耳が痛いほどだ。
温泉聖女ってちょっと間抜けな響きな気がするけど、呼ばれたい二つ名もない。あっという間に温泉聖女サキという情報が広まっていき、止める暇もなかった。
「北領を代表して、サキに感謝する」
民と貴族が見ている前でヴィンセントが跪いた。うやうやしく手を取られる。
「どうぞヴィンスと呼んでくれ」
「はい、ヴィンス様」
「ただ、ヴィンスと。サキに呼ばれるのならばこれ以上の喜びはない」
「ですが……誤解されると困る方がいるのでは?」
やんわりと、当主なら婚約者がいたり奥さんがいるだろうと伝える。
「……北領は閉鎖的だ。ほかの貴族ほど頻繁に他領と繋がらない。そのせいで血が濃くなってきたので、俺は北領以外の貴族と結婚しようとしていた。その矢先に代替わりして今の王となり、北領は見捨てられ、結婚できなくなった。サキ、俺には婚約者も妻もいない。どうぞヴィンスと」
ヴィンセントの目が、炎が宿っているように揺らめいている。
ギルの忠告を受け流していたことを後悔するが、こんなに大勢の人が見ている前で、当主であるヴィンセントを無碍にはできない。
「……はい。ヴィンス」
「ありがとう、サキ。北領の聖女」
手の甲に口づけられるギリギリのところで唇が止まる。わぁっと声が上がったので、手の甲にキスされたように見えたはずだ。
私を見上げたヴィンスは、いたずらっぽく微笑んだ。
「このキスは、あなたの心にふれられた時にとっておきます」




