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祈の声が震えていることが、分からないはずないだろう。
けれど日頃は無神経なのに時折、驚くほど細やかな気遣いをみせる探偵は、からかうでも馬鹿にするでもなく、ただしっかりと助手の言葉に頷いてくれる。
「僕も反省してるよ。やっぱり、探偵は相棒がいないと始まらない。僕は、きみがいないと調子がでない。――僕には、きみが必要だ」
「――っ」
言葉にならない祈が無言で、けれど何度も頷けば、獏間は「よし」と一声あげる。
そして、血だまりに転がっている男に近づいた。
「おい……!」
鏑が声を荒らげるが獏間は首を横に振ると、通る声でハッキリ告げる。
「止めるなよ。これだけの悪さをしたんだ、充分な〝悪いモノ〟だろう。……安心しろ、聞きたいことがたくさんあるだろうから、僕も貰うモノは選ぶよ」
獏間は血だまりの前に立つと男に手を伸ばす。
祈の目には黒いもやが立ち上るのが見えた。
それが、ずずずっと吸い寄せられるように一カ所に集まり、獏間の手元に集まる。
「はい、これ」
黒い球を生成した獏間は、祈が知らない間に一緒に戻ってきていたのだろう――平沢を助け起こしていた笹ヶ峰へ手渡す。
「獏間、これは……」
「そいつの力の素。だから、今はただの人だよ。もちろん、他はなにも抜き出してないから、記憶の欠如なんかもないだろう。……有益な話が聞けるだろうさ。全く楽しくないだろうがね」
「……それで、これを俺に渡す意図はなんだ?」
「鏑刑事は、あの血まみれ変質者を拘束して運ばないといけないだろう」
大きな声でそういった後、獏間は笹ヶ峰に耳打ちした。
「笹ヶ峰刑事、アレに近づきたいのかい? 今にも殴りそうな顔をしているよ。……だがね仮にもアレは鏑刑事の兄だ。いらない軋轢を起こしたくないなら、大人しくしてるといい」
「……チッ、気遣いありがとよ」
笹ヶ峰は大仰に顔をしかめつつ、獏間から黒い珠を受け取る。
その間に鏑は、血だまりに倒れ伏す男――己の兄を助け起こしている。
「……なんであの人、気絶してるんすか?」
「ああ、それはだな……」
「探偵が走ってきて、思いっきり蹴り入れたからだよ」
笹ヶ峰と平沢が、そう説明してくれた。
「……で、あそこまで飛んだと?」
「あ、ささみんもちょっと蹴ったかな」
「足に当たっただけだ」
「だね~、ささみん、足長いもんね~仕方ないね~、それに無力化しなきゃだし」
うんうんと平沢が頷いたところで、男が目を覚ましたようだった。
鏑になにか話しかけられるも首を横に振り、祈の方へ近づいてこようとして羽交い締めにされている。
「……手錠をかけたらどうだい、鏑刑事」
「……チッ、この悪食め……!」
言いながらも、手錠を取り出しているから押さえておくのが限界だと分かっているのだろう。
「……俺達も手伝うか」
「だね」
笹ヶ峰と平沢も、確保に向かう。
けれど、男の目は爛々として祈を射抜いていた。
「覚えていろ、必ず――必ず殺してやる! 美琴を殺して、祈も殺し、名前まで奪った偽者め!」
「…………」
「お前は俺の息子じゃない!!」
どれだけ暴れても、拘束から逃げられないと悟った男は、引っ掻くような笑い声すらなく、ただただ怒りのままに祈を罵った。
「…………俺だって、お前なんか知らねーよ」
止せばいいのに、売り言葉に買い言葉のように言い返した祈、相手は逆上した。
「偽者が! 化け物が……! お前は奪ったものの重さに苦しんで苦しんで、うんと苦しんで死ね!」
笹ヶ峰たちトクトクの刑事に引っ張られながらも、男はずっと祈を罵り続けていた。姿が見えなくなるその時まで。
声が聞こえなくなると、獏間が祈をうながす。
「じゃあ、僕らも行こうか」
「――ぁ……」
「待ちなさいよ、この惨状どうするの」
待ったをかけたのは、今まで空気のように口を噤んでいた皆瀬だ。
彼女は血だまりのフロアを嫌そうに見やる。。
「人払いはしてあるんだし、そっちのスタッフでなんとかすればいいだろう」
「あら、手伝ってくれないの?」
「なんのために」
「今回は、きちんと協力してあげたでしょう?」
ふふっと笑う皆瀬に、獏間は冷たい声で言った。
「うちの助手が殺されかけているのを、傍観していたのが協力?」
「それは……仕方ないでしょう、動けなかったんだから」
「まだ、鏑のほうが役に立ったよ。センセイ」
「…………貴方って、私のことが嫌いなの? いちいち、言葉に棘があるわよね?」
獏間はふんと鼻で笑って、眉をひそめている皆瀬に言い捨てた。
「逆に、なんで好かれていると思っていたんだ?」
皆瀬はあ然とした様子で口を開け、それから顔を真っ赤にして「ふん」と背を向けて歩いて行った。
「え、いいんすか? めっちゃ切れてる……」
「いいんだよ。彼女、なんか変だから。それより……大丈夫かい?」
「俺ならなんともないっすよ。じゃあ、俺たちも行きますか」
「ああ。笹ヶ峰刑事に送ってもらおう」
「……うーん、忙しいんじゃないっすかね?」
他愛ない会話を交わして、足早に病院を出る。
外の空気を吸うと、肩の力が抜けた。
知らないうちに緊張していたのかと祈は息を吐いた。
「あ、来た来た~。お~い、まっき~、こっちだよ~! 送っていくから、乗って行きなよ~」
「運転するのは俺だろうが」
駐車場で、笹ヶ峰と平沢が待っている。
これで一区切り――いつもどおりの日常が戻ってきた。
「ほらね、言ったとおりだろう」
笹ヶ峰に送ってもらおうと算段していた獏間は、自分の思惑どおりになったと片目をパチリと閉じて笑う。それに、笑い返しながらも、なにか軽口を返そうとして……祈は言葉に詰まった。
「祈……?」
口を押さえ、不自然に立ち止まった祈に気付いて、獏間が先行く足を止めて振り返る。
「……なんでもないっす」
今度こそ笑って、祈は獏間の後を追いかけた。
この事件は終わったのだ。
いつもどおりに、戻るのだ。
――首の周りが痛む。
それがまるで、自分を咎めているように思うだなんて。
馬鹿馬鹿しいと内心で吐き捨てて、祈は顔で笑って見せた。




