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――小さい。
そこにいたのは不安そうな顔をした、小学校低学年くらいの女の子。
おそらく、病室を間違えてしまったんだろう。
「どうした? 迷子?」
祈はベッドを降りてそばまで歩いて行く。
ひょいとしゃがむと、女の子に視線を合わせた。
びくっと肩を竦ませた女の子は、困った顔になる。
家族のお見舞いに来て、ひとりで歩いていたら病室が分からなくなったのかもしれない。
そう思った祈は、手を差し出した。
「看護師さんたちのところに行こう」
女の子は祈と目の前に差し出された手を見比べて、おっかなびっくりといった様子で手を重ねてきた。
それを握ると、祈は立ち上がり歩き出す。
「よし、じゃあ行くか」
「…………」
「そんな泣きそうな顔しなくても、大丈夫だって」
「……だいじょうぶ?」
「ああ、もう大丈夫」
「…………」
きゅっ。
女の子が握り返してくる力が少しだけ強くなった。
きっと、不安だったんだろう。
繋いだ手は、とても冷たい。
「もう大丈夫だよ」
祈が笑いかけると、女の子はじっと祈を見上げて――。
「オカワリサン」
「は? ……っ、ぐ、っぅ……ごほっ……!」
急に喉がいがいがして、咳が出た。
まずいと思って女の子の手を放そうと思ったが、尚も強い力で握りしめてきて、祈はあいた片手で口元を覆って、咳き込んだ。
びしゃ。
咳き込んだ喉と、口の中と、覆った掌に、違和感。
熱の塊が通ったようなヒリつきと、鉄のような味、濡れたような感覚。
ぽたり。
「――あ?」
口を覆った掌を見れば、赤い。
赤い液体が指の隙間を通って、ぽたりと床にしたたり落ちていく。
こんな状況なのに、握った手はそのままで女の子は静かに祈を見上げている。
「っ――ごほっ」
口から溢れるのは、赤。
ごほごほと、びしゃびしゃと、ぽたぽたと、溢れて落ちて、一面が赤い。
「な、ん……」
なんだ、これ?
そう言葉にする前に、ぐいっと手を引かれた。
祈は足をもつれさせ、その場に転がる。
女の子は手を離すことなく、ただじっと祈を見下ろす。
赤色が転々と飛び散る床で、寝転がり咳き込む祈を、ガラス玉のような瞳で見つめていて……。
痛いと、祈は思った。
喉も、体も、痛い。
刺すように切るように、痛い。
そして、熱い。
ごほっともう一度咳き込むと、口からこぼれるのは血の塊で、それがどろりと垂れて祈の体を汚すのを見た女の子は、ようやく祈の手を離し――にたりと笑う。
無邪気とは対極にある笑い方。
下卑た、醜悪な、子どもは決して出来ないだろう笑顔を浮かべた女の子は「キキ」とガラスをひっかくような甲高い笑い声を上げ、そして……。
「みぃつけた」
ああ、見つかった。
――けれど嫌な笑みを引っ込め、今度は泣きそうになっている女の子が目に入り、祈はのろのろと手を伸ばした。
ハッとしたように彼女が祈を見下ろす。
今度はガラス玉ではなく、うるうると涙をためた目で。
だから、祈とはとっさに口にした。
「だ……い、じょ、ぶ……」
彼女がひどく気に病んでいるように見えた。
彼女がとても傷ついているように思えた。
ひどく怯え、とても怖がり、戸惑っているように。
祈は離れた手をもう一度しっかりと握る。
なぜだか、そうしないといけない気がした。
「だいじょうぶ、だから、な?」
「……っ……い……ちゃん……」
真っ直ぐに不安がる女の子の目を見て、同じ言葉を繰り返す。
視線が交わって、たしかに握り返された感覚が最後、祈の意識はそこで途切れた。




