54
こんな状況になる原因を作ったのは笹ヶ峰刑事だ。
だが、このどうにもならない状況を動かしてくれた救世主でもある。
過去を最速で水に流した祈は、天の助けとばかりに笹ヶ峰を見た。
相変わらず怖い顔だが、今に限っては後光がさしている気がする。
「笹ヶ峰さん!」
「は? 坊主? お前なんで出歩いて――」
「遅いよ、笹ヶ峰刑事。きみがうちの助手を拐かした挙げ句に放置して外回りなんか行ったせいで、スズ君がとんだ目に遭うところだったじゃないか」
獏間は笹ヶ峰を目にするなり、すぐにいつもの調子で文句を言う。
いつもは、なにかしら言い返す笹ヶ峰だったが、獏間のそばに祈と――もうひとり、眼鏡の男の姿を認めるなり荒々しい足音を響かせ近づいてきた。
その顔には――しまった! という文字が、パッと浮かぶ。
そして、口を開いたかと思うと、些か早口に眼鏡の男に話しかけた。
「鏑さん! こいつらが、なにか……」
「笹ヶ峰」
「――っ」
途中で制され、笹ヶ峰の言葉が途切れる。
眼鏡の男が、すぅっと息を吸い――。
「保呪者を、なぜ野放しにした。さっさと地下に閉じ込めて監視体制をしくべきだろうが!」
怒鳴った。
体がビリビリする声に祈は正直耳を塞ぎたくなったが、笹ヶ峰は必死な様子で訴えている。
「待って下さい! この坊主は、まだ事情が分かってなくて」
「そんなもの、どうでもいい!」
敬語を使っていることから、笹ヶ峰よりこの眼鏡の方が立場が上なのだろう。
まだ話している途中だというのに、眼鏡の男は笹ヶ峰の言い分を切り捨てて、祈を睨む。
その顔には、彼の内心を映す文字は一文字たりとも浮かんでこなかったが、男の感情は文字に頼らずとも浮かべた表情と声から、ダイレクトに伝わってきた。
「呪いの確保は、なによりも優先される」
怒っているような顔だ。
憎んでいるようにすら思える。
忌ま忌ましそうに自分をにらむ眼鏡の男に、祈もまた不快感を覚えてにらみ返すと、男の表情に剣呑さが加わる。
「閉じ込めておけ」
「鏑さん!」
「笹ぁ! お前、何年この仕事やってんだ? あ?」
「――っ」
そして、笹ヶ峰に対して短い命令。
反論しようとする笹ヶ峰だったが、眼鏡の男に凄まれると言葉に詰まる。さっさと命令通りにしろというように、顎をしゃくる眼鏡。
状況は、この男の思い通りに進み出した――ように見えたが……。
「あー……不愉快だなぁ」
冷ややかで、平坦な声が場を止めた。
「困るんだよ、そういうのは」
獏間が、眼を細めてふたりの刑事のやりとりを眺めている。
つまらなそうに、嫌そうに。
「そっち側のお粗末な手段でうちの子をどうこうされるの、困るんだ」
「……保呪者は、うちの管轄だ。貴様なんぞは呼んでない」
「この子、うちの子なんだ。――お前こそ、お呼びじゃないよ。お粗末な手段しか思い浮かばない、お前みたいな奴はね」
ぴりっと空気が張り詰めた。
獏間と眼鏡の男を、祈は見比べる。
眼鏡が怒りというか……嫌悪感をあらわにしているのは、祈に対してだ。
そして、怒っている様子の獏間――これは、おそらくだが……祈のことを心配して、怒っている。
だが、眼鏡の男にとってはそんなこと、きっとどうでもいいのだろう。彼は現在進行形で呪われている祈に対し、仕事を増やしたせいかなんなのか不明だが、とにかく強い怒りを抱いている。祈をここで野放しにしたくないのだ。それなのに、獏間がその邪魔をするから許せないと思っているのだろう。
自分が正義で、祈が悪。
祈の肩を持つ獏間は、邪魔者。
そう思っているから、笹ヶ峰の話には聞く耳持たず、獏間の言うことには噛みついて、どこまでも強く出るのだ。
「お粗末だと? 呪いを消すにはこれ以上の方法はないだろうが。協力者だろうか、お前は外部の人間だ。笹ヶ峰が懇意にしているからって、外部協力者風情がデカイ口を叩くなよ」
だからって、なにを言ってもいいわけではない。
獏間をおとしめる言葉にカッとしたのは、祈だった。
「――アンタが獏間さんのなにを知ってるんだよ」
思わず、口から非難の言葉が飛び出す。
「おい、坊主」
笹ヶ峰がやめるようと首を横に振るが、一度開いた口は閉じることが出来なかった。
「アンタは外部の奴だって馬鹿にしているけど、呪いってヤツから俺を助けてくれたのは獏間さんだ」
あの息苦しさから抜け出すことが出来たのは、獏間のおかげだ。
――きみ、呪われているよ。
そんな一言が切っ掛けで始まった奇妙な関係だったが、獏間についてきた祈は彼に感謝している。
「今だって、そうだ。人の話を聞く耳持たないで力に訴えてくるアンタより、俺を迎えに来てくれた獏間さんの方が何百倍も信頼できる。――アンタがどこの誰なのかは知らないけどな、うちの所長を馬鹿にするなよ。この人は正真正銘、変わり種専門の名探偵なんだからな……!」
言い切ってから、祈は我に返る。
なにやら獏間が、目をキラキラさせて自分を見ているのだ。
「スズ君……! ――僕は今、猛烈に感動しているよ! いやぁ、聞いたかい、ふたりとも! うちのスズ君、良い子だろう? 子育ての喜びって、こういうことを言うんだと僕は今身をもって理解したよ! ……それなのに、よくもまぁ、こんな良い子を騙くらかして閉じ込めて、そのまま死んでしまえなんていう無情な判断を下せたものだね、鏑警部」
獏間の言葉は途中まではいつもの彼――我が道を爆走している獏間らしい、脳天気な発言だった。
そう、途中までは。
獏間はそのままさらりと、死という単語を混ぜ込んだ。このまま祈が素直に従えば、死ぬまで閉じ込められる予定だったと、不穏なことをいう。
だが、眼鏡――獏間から鏑警部と呼ばれた男が忌ま忌ましそうに舌打ちした。
それで、祈は悟った。獏間の言っていることは事実なのだと。




