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 たとえ素直に「さようなら」と見送ってくれなさそうな相手であっても、一桁パーセントくらいの可能性に賭け、素知らぬふりでおいとましようとしていた祈だったが――。

 

「待て。誰が、いつ、容疑者を連れて行っていいと言った」


 案の定、眼鏡の男から刺々しい声でストップが入った。ふたりの行く手を阻むように回り込んでくる。


 先ほど腕を捻りあげられた祈は「来るか!」と身構えるが、獏間は邪魔そうに一瞥しただけで特に構えたりしない。

 ただ、常より少しだけ面倒くさそうな様子で口を開く。


「お前の許可なんて、いらないんだよ」


 至極当然とばかりに言い放たれたのは、傲慢ともとれる言葉だった。


「獏間さん、言い方……!」

「ん? どうしてだい、スズ君。事実なのに」

「言っちゃいけない事実もあるんっすよ……! ほら、怒ってる……!」

「不思議だね。事実なのにさ~」


 祈がひそっと小声で訴えても、獏間はどこ吹く風。

 そして、どれだけ声をひそめようと、これだけ近い距離では相手にも当然内容は筒抜けだったため――眼鏡は、怒りを露わにし獏間をにらんでいる。


「……越権行為もはなはだしい。上に目をかけられているからって、タダで済むと思うなよ!」

「――うわ、こっちは脅迫……!」

「ふん、またそれか」


 獏間の傲慢発言に対して、脅しともとれる返答。

 祈は内心で悲鳴を上げるが、剣呑な空気をものともしない獏間は男の態度に怯むどこかつまらなそうに鼻をならした。

 

「本当に、毎度毎回、お前の言うことは芸がないな。……そもそも、うちのスズ君は容疑者ではなく、被害者だ。お前の所の笹ヶ峰刑事が、保護者である僕の目を盗んで拐かしたんだぞ。そんなに容疑者に飢えてるなら、あっちを構え」

「貴様……」


 しっしっ、と追い払うような手振りをとどめのようにやって見せた獏間。

 眼鏡の男は額に青筋を浮かべ、唸るように呟く。

 

(ちょっと、コレ、本気でまずくないか?)


 普段から言動に遠慮の無い獏間だが、今日はというか……この眼鏡男に対してアタリが強い。

 

(つーか、笹ヶ峰さんの名前が出たってことは、この眼鏡……やっぱり警察関係者だろ? それで、俺が、なんだか分かんないけど、容疑者?)


 たらり。

 嫌な予感に冷や汗が一筋流れる。


 容疑者、被害者、笹ヶ峰刑事……。

 手持ちのワードを組み合わせて、導き出される答えは一つ。

 ここは、警察関係の施設であり、眼鏡男は刑事である。


(警察施設で警察関係者を必要以上に怒らせるのは――マズい!)


 相手は、冗談どころか話も通じなさそうなガッチガチの石頭眼鏡だ。

 せっかく帰れると思ったのに、所長とそろって拘留なんて冗談ではない。

 

「獏間さん、ここで問題を起こすわけには……」


 公務執行妨害などで獏間まで捕まったら大事だと思い、祈がこそっと耳打ちするも獏間はへらりと笑ってみせた。


「問題なんて起こすわけないだろう。僕はこいつらに協力している、善意の探偵なんだから――問題だっていうなら、警察側の対応さ。うちの助手を断りもなく連れ去った挙げ句、迎えに来たら恫喝しているなんて、恩を仇で返されて僕は泣きたいくらいだよ。……この子、僕の助手だって、お前の課には真っ先に通達が行ったと思うんだけど?」

「それがどうした。優先されるべきは、捜査だ――その若造は、容疑者だ。さっさと拘束して取り調べればいいのに、笹の奴が目が覚めたら協力者として話を聞くなんて、ぬるいこと言いやがるから……」


 苛立ったように眼鏡が吐き捨てる。

 その目は、まっすぐ祈を見ている。


 怒りに満ちた目だ。

 初対面の相手に、ここまで怒りを向けられる理由が分からない。

 自然、祈の顔にも力が入り、元々鋭い目付きがますます据わり、睨みつけるような形になってしまう。


「俺は、一体なんの容疑がかかってるんっすか」

「とぼけるなよ? ――お前は呪いの元だ」

「へぇ、のろい? ……呪いって……はぁ?」


 おかしい。

 祈は、顔をしかめた。

 思わず獏間を見てしまう。 


「獏間さん」

「なんだい、スズ君」

「俺の呪いって、あの日解けたはずじゃ……? だって――あの人は人間に戻って、病院に入ったし……」


 叔母だった人は、そういう系列の病院に入っており治療中。化け物となりかけていた叔母から影響を受けていた祖父母も、同系列だが別の病院にいるという話だった。

 そして、祈は長らく自分を縛っていた叔母の……執着という呪いから解放された。

 

「うん、そうだね。あれには、もうきみに手出しする力はないね」

「なのに、呪い?」


 意味が分からないと祈が首を傾げると、眼鏡も少し戸惑いだした。


「……なんだお前、すっとぼける気か?」

「とぼけるもなにも、俺の呪いは過去形で……」

「違う違う。違うよスズ君。そっちはもう平気」


 だったら、どうして呪いなんていうおかしな嫌疑がかかるのか。

 困惑する祈に向かい、獏間は邪気なく笑いかける。


「きみ、新しく呪われたんだよ」

「いっ……!?」


 祈は絶句し、あっけらかんと告げた獏間を見た。

 そういうことを、さらっと言わないでほしい。


「な、なんで? いつ?」

「事務所に入ってきたアレ。きみ、触られちゃったでしょ? ――かけられたよ、呪い」

「そんな……」

「どういうことだ? これがホンボシじゃないのか」


 混乱している祈にかわり、獏間が馬鹿にしたような顔で言い捨てる。


「笹ヶ峰刑事はなにも言ってなかったのか? それとも、お前が話を聞かなかったのか? まぁ、後者だろうな。いいか、よく聞けよ。この子は、うちの事務所に突然押し入ってきて急死した、変わり種の乱入者と最期の言葉を交わした、気の毒な助手のスズ君さ」

「つまり――現在の保呪者か」


 苦々しく呟いた眼鏡。


(いやいや、視線が和らぐ所か、さらに険しさ増し増しなんっすけど!)


 誰かこの状況を打破してくれる勇者はいないだろうか。

 祈が切に願っていた、そこへ――。


「獏間! お前、なに勝手に歩き回って……っ」


 ――勇者、ならぬ刑事が来た。

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