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錫蒔家での出来事から一週間と数日経ったある日、祈は事務所にて声を上げた。
「東京っすか?」
「そう。僕って元々、変わり種専門で警察機関と協力関係にある探偵だから、わりと問題のある場所を、全国津々浦々してるわけなんだよ。で、本拠地は一応東京」
「へぇ~……じゃあ獏間さんは……」
「うん。この地の大きな問題は人外化した錫蒔 珠緒のせいだって分かったし、しばらくは安全だろうから、新たな飯の種を探しに一旦戻ろっかな~と思ってる」
珠緒の能力は、脅威だった。
だが同時に使い方さえ間違えなければ、身を滅ぼすこともなかった。
――正しく使えれば、自分の所の戦力になったのにと笹ヶ峰が苦い顔で言っていたから、本当に惜しい能力だったのだろう。
彼女は今、祖父母共々、笹ヶ峰の手配で専門の病院に入っている。
祖父母はまだしも、悪いモノを呼び寄せ長らく同化していた珠緒の代償は重く、今は会話も出来ない状態だという。それだけのことをしてしまったのだ。
珠緒は県を飲み込むほどの化け物になる可能性が高かった――つまるところ、大妖怪になるところだったのを未然に防いだということなので、今回の件は大きくいってしまえば日本の平和を守ったことになる。
平和が守られたということは、脅威を退けたということで、もともとソレ目的にこの町に来ていた獏間にとっては――。
(用はなくなったってことか……)
獏間の帰る場所は、この土地ではない。別にあるのだ。
「あ~……じゃあ、俺また新しいバイト探さなきゃ、っすね」
「うん?」
「でも、次からは大丈夫。そんな気がします」
しんみりした気持ちで祈が言うと、獏間はひたすら不思議そうに首を傾げている。
「なに言ってるんだい、スズ君」
「なにって……アンタがいなくなるなら、探偵事務所は閉めるっしょ? だから新しいバイトを……」
「きみ、まだ僕にお金を返しきってないよ」
「……え?」
「というか、お家に出張依頼したから、また増えたよね」
「はぁ!?」
初耳だと祈が目をむけば、獏間は人が悪そうな笑みを浮かべた。
「ふふん。善意の奉仕なんてするわけないだろう。ただでさえ、ここ最近食いっぱぐれてるのに」
「あ、そういや、あの人から抜き取ったやつも……」
獏間は楽しみにしていたようにみえたが、結局最後は嫌がっていた。
「壊してやったね。おかげできみの呪いも解けたから……あ、これも料金上乗せで」
「いや、待って待って、払えない!」
「それなら、ウチのバイトを続けてもらうしかないね」
「やり方が、アコギ!」
慌てる祈が面白かったのか、獏間は吹き出した。
「冗談だよ。……今のきみは、もう自由だ。誰と関わるも、どこに行くも、自分の意志で決めればいい」
だから、事務所を辞めるのも自由だという獏間は、もう笑っていなかった。
代わりに、少しだけ寂しそうに見える。
だが、待ってほしい。
そもそも、獏間が東京に戻るから、こういう話になったのだが。
「……え、でも、あんたが事務所を閉めるから、俺はやめることになるっすよね? 俺は、辞めたくないっすけど」
ぽつりと本音を付け足せば、獏間は目に見えてほっとした。
「なんだ、辞めたいわけではなかったのかい。それなら、よかった。……いいかい、スズ君。僕は、東京に戻るという話はしたけれど、事務所を閉めるとは言ってないし、きみを解雇とも言ってないだろう?」
「あ、たしかに……」
「それに、忘れてないかい? ――僕は、錫蒔一家からきみをもらっていくことにしたんだ」
「つまり……?」
獏間が座っていた椅子から立ち上がると、デスクの前で困り顔で突っ立っている祈の頭に手を置いた。
「どこかに行くなら、きみも一緒につれていくさ」
「……へ」
頭を撫でるというのは、親愛表現だ。
子どもの頃から、誰にもされたことのない祈は面食らう。
どこか懐かしい感覚に一瞬呆け、それから慌てて離れた。
「はぁ!? こ、子ども扱いしてねぇっすか!?」
「してるよ」
「なっ……!」
「君は実際、十歳の子どもだ。だから、あんな連中のところに置いておくより、僕が手元に置いて養育しようと思ったんだ」
「……養育……」
驚きすぎて、祈は開いた口が塞がらない。
「いや、待ってほしいっす。俺、いま十九……」
「それはあくまで、見た目の年齢だ。僕の言っている意味、分かるだろうスズ君?」
祈には実質、十年の記憶しかない。
獏間が言っているのはそういうことなんだろうが……。
「…………」
「というわけで、スズ君にその気があるのなら、なにも不安がることなく、ウチの助手として働けばいい! こっちで卒業したいっていうなら、僕も付き合うしね」
一見すればふざけているが、獏間のこれは本気だ。
本気で言っているのだ。
祈がこの町に残りたいと言えば、獏間は祈の気が済むまで付き合ってくれるのだろう。
だが……。
「それ、許されるんっすか? なんか、偉い人とかに怒られそう……」
「ふふん。勝手に怒らせておけばいいのさ。大丈夫、僕は変わり種専門の名探偵だから!」
なにが大丈夫なのか、全然分からない。
けれど、獏間の笑顔を見ると、本当にそんな気分になるから不思議だ。
「そういうもん、なんすか?」
「そうだよ! なにせきみは、ようやく見つけた、僕についてこれる大事な助手だ。この先も頼みの綱にしてるんだから、スズ君も遠慮せず僕を頼るといい」
「獏間さん……俺も、もうちょい、あんたの助手で勉強したいっす――だから、ついて行ってもいいですか?」
それが、自由の中で選んだ祈の選択だ。
差し出された手を握り返すと、獏間の笑みはますます深くなる。
ぶんぶんと腕をシェイクしながら獏間は晴れやかな笑みでこう言った。
「大歓迎だ! よーし! それじゃあこの先も、一蓮托生! 地獄の果てまでよろしく頼むよ、相棒君!」
「待って! 最後! 最後が不穏すぎて、よろしくしたくねーんすけど! ちょ、獏間さん、聞いてるんすか、獏間さん!!」
祈は決めた。
――自分は、この変わり種専門の名探偵に、ついていく。
この存在の相棒として胸を張って並び立てるようになるまで、食らいついていく。
きっと伝えずとも獏間にはお見通しだろう。
ますます笑みが濃くなったのが、その証拠だ。
新しい未来に思いを馳せながら、祈もとうとう声を上げて笑う。
しばし、獏間探偵事務所は賑やかな笑い声に満ちていた。




