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祖父母の心境を聞かされた獏間だが、彼が心を動かされ同情をしめすはずもなく小馬鹿にしたように鼻で笑った。
「そりゃあ優しくするだろうさ。いずれ食うつもりで、大事に育てたんだろう。子どもを食えば、力になるから」
「馬鹿にしないで、私は祈を食べたりなんてしないわ」
ぞわぞわと黒を震わせ、珠緒の声が響く。
「祈はね、私の番になるの! この子は特別な力を持っていると、病院で初めて会って一目で分かったわ! 神様の贈り物よ! ――姉さんは邪魔ばかりするし、前の祈は外見だけはまぁまぁだけど、懐かなくて気に入らない! そしたら、今度は東京に逃げるって言うじゃない! 先に父さんと母さんが教えてくれたから、薬をもってやったの! 馬鹿な女! 睡眠薬入りのお茶を飲んで運転なんかして、あのザマよ! あの時は、可愛くない馬鹿も一緒に死んでしまえばいいと思ったけれど――」
うっとりと、珠緒は祈を見て笑った。
「神様っているのよ! 祈は真っ白な状態で戻ってきたの! 私のために、綺麗になって戻ってきてくれたのよ! 食べたりなんてするわけないでしょう、大切に大切に他のモノが寄りつかないように育てて、私の番にするんだから! 私たち、ひとつになって、新しい神様になるのよ!」
そうすれば、もう誰も私を馬鹿に出来ないでしょうと珠緒は笑った。
言っていることはめちゃくちゃで、祈には部分的にしか理解出来ない。
「姉さんも、もう邪魔できない! 私は姉さんに勝つの! 姉さんは、特別な力があるって言われて家を出て、知らない間に子どもを作って――挙げ句逃げられて馬鹿みたい! 私にだって、姉さんみたいに見える力はあったのよ! それを、みんなして無視して、私はお荷物みたいに扱って、姉さんはよくて私がおかしいなんて、変じゃない! だから、証明してあげたの、真実を! ――正しいのは、私だって!」
笹ヶ峰が首を横に振った。
「完全同化なんて、確かにすげー能力だ。でも、それはきちんとコントロールできたらの話だろう。訓練すれば、モノになるはずだっただろうに――使い方を誤ったな。……錫蒔 美琴は、その可能性を危惧して妹を止めようとした。いざという時止める力を欲しがった。だが、もう自分の力では及ばない域に達していて、手出し出来なかった――こんな所か、悪食野郎」
「そうだね。本来なら、十年前の時点で専門部署か僕に連絡が来たんだろうけれど――普通の案件として処理されたから、発覚が遅れた」
そして珠緒だった化け物はひっそりと増長し、暴走し……今は神になることを夢見ている。
そんな、どこまでも純粋で無自覚な悪意の塊に、祈は目眩がした。
「珠ちゃんが、母さんを殺して……」
「そうよ。だから、私たちこうして巡り会えたのよ、祈――記憶にすらいない女なんて、どうでもいいでしょう」
珠緒の顔一面の黒は、悪意だ。
この悪いモノこそが――。
「それで、俺を呪ったのか」
「守ってあげたのよ」
「けーちゃんにまで飛び火した」
「アレは、祈に近づく身の程知らずだから報いを受けたの」
「店長は……」
「祈に手を上げるなんて、ゴミのくせに生意気でしょう。あの時は、私を心配してくれて、嬉しかったわ祈。やっぱり、私には貴方しかいない」
伸びてくる手を、祈は振り払わずに掴んだ。
「祈!」
喜色に彩られた珠緒の声。
表情はもう、よく見えないけれど……。
「俺は違う」
「え?」
「俺に、貴方はいらない」
珠緒であって違うナニカに向かい、祈はハッキリと告げた。
「なに? 祈? ねぇ、どういうこと? 祈、私を裏切るの? 祈は私のために来たんでしょう? 姉さんのところか、戻ってきたのよね? ――私、貴方の好きな甘口のカレーもフルーツヨーグルトも、何時だって用意して待ってたのよ。姉さんを捨てて、私を選んでくれるって信じてたから! 邪魔なアレが死んで、間違いを正したから、真っ白になって帰ってきてくれたのよね? そうでしょう? そうなのよね、ユキノリさん!」
鬼気迫る声が、祈を前にしながら知らない誰かの名前を紡ぐ。
祖父母が息を呑んだ。
「珠緒、お前まだ彼のことを……」
「だからってお前、祈を身代わりに……?」
蒼白な祖父母の顔に浮かぶのは――〝美琴の恋人〟に〝横恋慕〟の文字。
(ああ、そういうことだったのか)
祈は、珠緒にとって誰かの代わり。
満たされないなにかを埋めるために選ばれた、都合のいいパーツ。
だからこそ、彼女はどこまでも優しく綺麗に並び立てられた言葉だけを注いできたのだ。
自分が望む、理想の恋人を作り上げるために。
「陳腐な寸劇はここまでだ。――どうするんだ、スズ君」
獏間の声に、祈は頷いた。
「もう、いいです」
「そうか」
そして祈は、珠緒の手を振り払う。
「さよなら、珠緒叔母さん」
「違う、違うわ、その呼び方は違う! 昔のように、珠ちゃんってそう呼んでよ!」
きっとその呼び方をしていたのは、記憶を失う前の祈ではなく――ユキノリさんという人物なのだろう。
だからもう、祈は答えない。
それでも、自分から離れて行くのは許さないとばかりに、引き留めようと追いすがる黒い塊の顔を押さえたのは獏間で――。
「言っただろう。僕がもらっていくって。お前にも、ここにも……この子は、過ぎた子どもだよ」
「あああああああっ!」
珠緒の顔がぐるぐると渦を巻く。渦はやがて獏間の手元で終息した。
「珠緒!」
「やめて、娘になにをするの!」
祖父母がこんな状況でも珠緒を助けようと駆け寄ってくる。
「動くな。ここからは、ウチの領分だ」
それを、ぴしゃりと笹ヶ峰がはね除けた。
彼の一声で、祖父母は足に根でも生えたようにその場から動けなくなり……。
珠緒も、どさりとその場に崩れ落ち失神した。
「ご老体らも、だいぶ精神状態がよくないな。……専門機関を手配するが、それでいいな坊主」
「はい。お願いします」
「おし。それなら、お前はもう帰れ」
祈はひとつ、頷いた。
「……祈」
頼りない……すがるような祖父母の呼びかけ。最後に振り返り、錫蒔 祈は初めて祖父母に向かって笑いかけた。
「やっぱり、俺の帰る場所はここじゃない。……お邪魔しました」
その横で、黒い球を手にした獏間は――それを、床にたたきつける。
「いいんっすか?」
楽しみにしてただろうと暗に問えば、獏間は渋い顔をした。
なかなか目に出来ない表情で、獏間は言った。
「コレはいらない。くどすぎて、食欲が失せるし……熟成も、過ぎれば腐敗だ。嫌いだね。だから……最後に君の役に立てばいい」
「俺の?」
「そう。元が消えれば呪いも消える」
拍子抜けするくらいあっさりと、粉々に砕け散るそれを眺めていた祈だったが、不意に背中を押された。
「行こう、スズ君。これで本当に、きみは自由だ」
たった一言。
やるせなさが胸に残るのに、その一言を聞いた時、不思議と祈の足どりは軽くなった。




