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笹ヶ峰の言葉に、蛍は驚き波柴は真っ青になり震え出す。
「るりちゃんが? どういうこと?」
「あり得ない! アイツ、死んでるのよ!? どうしてそんなこと言えるの! なにが生き霊よ! ケーサツが、そんな馬鹿みたいな理由で動くわけ!?」
震えながらも矢継ぎ早に怒鳴り散らす波柴に対し、笹ヶ峰は面倒そうに天を仰ぎ後頭部をかく。
「馬鹿で悪かったな。生憎、ガキが思っているより世の中は広くて、色々あるんだよ。んで、こっちはそんな馬鹿みたいな理由で動く部署勤めなんだ。――高岡 るりは特殊な事件の証人として保護されてる。お前みたいなずる賢いのに、また命を狙われたら困るからな。今は別人として、違う土地で暮らしてるよ」
「でも、アタシはなにもしてない! 証拠なんてないでしょ? だって、アタシはなにもしてないもの。アタシはただ――」
「たしかに。きみの体は、なにもしていないだろうな」
「きゃっ!」
波柴を立ち上がらせて、獏間は薄く笑った。
「でも、自覚はあるんだろう? 証拠、証拠とうるさく鳴くのは、やましいことがあるからこそだ――力を手に入れたという自覚、そして、それを使って人を殺めたという事実は、確かに残っている」
「ば、馬鹿じゃない? 生き霊とか、そんな子どもの怖い話みたいな幼稚な理由で、人を逮捕できるわけないじゃない!」
「安心しなさい。お前のような、特異な存在にも対応した法がある。あくまでも、人の理の外側の話なので、少々荒っぽいかもしれないが……まぁ、堪能するといいよ」
獏間の嘲るような言い方に含みを感じたのか、波柴は金切り声でまくし立てた。
「アタシは悪くない! アタシの世界をめちゃくちゃにした、蛍が全部悪いのよ! あの底辺女だってそう! 蛍へ嫌がらせしろって言ったのに逆らうから! 邪魔するから! だから、蛍の身代わりにしてやっただけよ! ほら、蛍のせいでしょ! なのに、コイツってばこうなってもまだ、男に媚って守ってもらって! ほんっとうに、ゆるゆるの男好き! 馬鹿みたい! こんな女を大事にする男も庇う女も、みんな馬鹿よ!」
「馬鹿で結構だ。少なくとも、俺にとってのけーちゃんは、アンタよりずっと大事な存在だからな」
波柴はギリギリと血走った目で、蛍を隠すように立った祈を睨む。
「うるさい! 黙れ! このっ! このっ……!」
「あー……お前がうるさい」
まだ、なにか言うつもりかと祈が身構えていると、波柴の金切り声より、はるかに低く平坦なのに、妙に通りの良い声が聞こえた。
次の瞬間、自分を馬鹿にするなという主張を顔一杯に貼り付けていた波柴がびくりとけいれんした。
文字が一瞬で顔から獏間が掴んでいた腕の方へ移動し、そのまま波柴はかくりと失神してしまう。
「あらら。ことの重大さに耐えきれず、失神してしまったようだね。いやぁ、これは好都合……じゃない、大変だ。笹ヶ峰刑事、はやく運ぶといい」
獏間は雑に、笹ヶ峰に波柴を押しつけた。
笹ヶ峰は舌打ちしたものの、そのまま後ろに連れていたスーツ姿の女性と男性に声をかけ、女性に波柴を預けた。
「この借りは後で返す、悪食探偵」
「これは、借りではないさ。僕たちが請け負った依頼だからね」
言いながら、獏間はさっさと行けと追い払うように笹ヶ峰に手を振る。
「大路さん、立てますか? 貴方も、笹ヶ峰刑事についていった方がいい。聞きたいこともあるでしょうから」
「あ、でも……ノリマキの怪我を……」
友人が無事だったと聞いて逸る気持ちがあるだろうに、自分を心配する蛍に、祈は大丈夫から行けと頷いた。
「俺は平気。……また明日、ゆっくり話しような、けーちゃん」
「……ノリマキ……」
「今度は俺、逃げないからさ」
「――うん……アタシも」
「また明日、けーちゃん。事務所で待ってる」
「また明日ね、ノリマキ」
笹ヶ峰は、獏間となにか言葉を交わしていたが、蛍を見ると頷いて同行を許す。
それを見送った祈は、獏間が手でもてあそんでいる黒い球に目をやった。
あれは、波柴の中にあった悪意だ。
悪いモノというやつであり、獏間が食べるモノ。
それを、獏間は無言で地面に落とし――踏みつけた。
あ然と見ていた祈だが、ぱきぱきっと薄い氷を割った時のような音がして我に返り声を上げた。
「え……それ……」
「ん?」
「食べないんすか?」
「ん~」
ぐりぐり。
さらに念入りに踏みつけながらも、どこか気のない返事をする獏間。
なんだか祈は心配になってきた。
「だって、飯の種だってあれだけ言ってたのに」
「そりゃあ最初はさ~、食べる気満々だったんだけどさ~」
最初とは、おそらく蛍の依頼を受けた時だ。
だいたいの筋書きを描いていただろう男は「急に食欲が失せた」と言い出した。
「ウチの助手に、ずいぶんな真似してくれたわけだし? なんか、コレ食べるの嫌だなーって」
「……やっぱり怒ってたんっすね」
「は? 僕が? いつ?」
「今さっき。……俺とけーちゃんを助けてくれたじゃないっすか」
波柴のピンヒール攻撃から、と祈が指摘すると――獏間は「え」と呟く。
「いや、僕はただ、不愉快で……あれ?」
自分で自分の気持ちがよく分からない様子の獏間の姿は珍しい。
小さく笑った祈だったが、口の端がピリリと痛んだ。
「いてて」
「あーあ、派手にやられたね。……だから、言っただろう。きみだと刺激が強いから、接触役は僕がやると」
「だって、獏間さんデリカシーナシじゃないっすか。聞けるもんも聞けねーし」
「今回は、きみだって似たり寄ったりだと思うよ。それに、きみはあの手のモノに好かれるタイプなんだから、余計に興奮させてしまったじゃないか」
呆れたように言われて、祈は呟いた。
「俺、なにかしたかったんすよ」
「うん?」
「けーちゃんのために……っていうか、自分を責めてるけーちゃんも見てられなかったし、アンタがなんかけーちゃんに誤解されたままなのも嫌だったから……俺も、この依頼解決のためになにかして、役に立ちたかったんす。……まぁ、つまりは、自分のためっすね……すんません」
「いいや。悪くないよ。少なくとも、僕は助けられた」
獏間が穏やかに笑って手を差し伸べてくる。
その手を掴むと、獏間は余計嬉しそうに笑った。
「きみは僕の手を取ることにためらいがない。僕のフォローをしようとする。……優秀な助手だし、引き寄せ体質でもあるから……今回は食いっぱぐれた僕のため、今後も飯の種をたくさん引き寄せてくれ!」
「――……獏間さん……やっぱデリカシーってヤツを学ぶべきっす」
感動して、損した。
そうぼやく祈だが、内心は不快ではない。
笑いをこらえきれず、とうとう吹き出してしまい、再度痛がる羽目になったのだった。




