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悪ジキ〜その探偵は悪を喰い助手は悪を識る〜  作者: 真山空
弐 幼なじみを狙うモノ
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 蛍が、事務所を訪れた翌日。


 午前の講義を終了したとある教室の前に祈はいた。さほど人数が多くないせいか、ドアが開放されて出てくる人の中で目当ての人物はすぐ見つけられた。スマホを操作しながら出てきた、蛍だ。

 祈は、こちらに気付いていない彼女に声をかけた。


「けーちゃん」

「ノリマキ? えー、わざわざ迎えに来てくれたの?」


 これから連絡しようと思ったんだよ言うと、蛍は慌てた様子で祈の方へ駆けてくる。

 ――瞬間。何人かの男子学生が、祈を見た。通り過ぎようとしていた者が振り返り、教室に残っている者はちらりと視線を寄こす。

 あからさまではないが、明らかにこちらに意識を割いている様子。その原因が分かり、祈はなんとも言えない表情を浮かべた。


(うっわ、マジか……。けーちゃん、モテるな……)


 確認できた文字は――。

 〝誰アイツ?〟 

 そんな素朴な疑問から始まり……――馴れ馴れしい、地味じゃん、似合わねぇ、目付き悪い、身の程知らずと、どんどん続く。

 

(悪かったな)


 しかし、この程度などカワイイものだ。

 文字もそこまでクッキリとしておらず、浮かんではすぐに消える程度の、小さなもの。元バイト先で遭遇した強烈な一件を思えば、どうってことはない。 

 さらりと流したつもりの祈だったが、自分と目が合わないことに気付いた蛍に不思議がられた。


「ノリマキ、どうしたの? 教室になにかあるの?」

「あ、いや、なんでもない。……それより、午前中はどう? なんもなかった?」


 パッと視線を蛍に戻した祈は、本来の役目をこなすべく状況を尋ねた。

 

「うん。昨日も話したけど、大学にいる間はなんともないんだよ」

「そっか。なら、ここにいる間なら、少し安心できるな」

「……心配してくれて、ありがとね」


 照れくさそうに笑う蛍を見て、本当になにもなかったんだと祈は安心した。


(大学内では変なことは起きないってことは、いいことだけど。なんで、ここは大丈夫なんだろうな? それとも、けーちゃんの通る道になにかあるのか?)


 昨日、その後も蛍から詳しく話を聞いた結果、大学にいる間は被害がないと言っていたのだ。

 注意すべきは、大学から帰る時。蛍の手首にある痛々しい痣は、帰り道――急に路地裏に引っ張られて転んで……それで出来たものだという。けれど、引っ張られた路地裏には誰もいなかった。


 気のせいで片付けたかった蛍だが、彼女は以前から自分の後をついてくる足音を聞いていて、振り返ると誰もいないという現象に悩んでいた。

 だから、手首に残った痣を見て恐怖したのだが……それだけではない。引っ張られた日を境に、足音の距離が近づいてきた……そんな気がして、余計に追い詰められて――ある人に獏間探偵事務所を紹介されたらしい。


 元々、大学内では足音も聞こえず、なにもないところで急に引っ張られたりすることもないため、獏間から依頼を受けてもらい安心したらしい蛍は、大学では平気だと言っていた――しかし、獏間は大学でも可能な限り目を配った方がいいという判断だった。


(でも、獏間さんは大学でも、ひとりにしないほうがいいって考えたから、俺に言ったんだよな――人が多いところには現れないって確定してるならいいけど、そうじゃないし……)


 祈も、万が一の可能性を考え昼に会おうと誘ったわけだが――今のところは、なにもない。


「そうだ、せっかくならお昼、一緒に食べようよ! アタシ、奢るから!」

「え、別にいいよ」

「……もしかして、誰かと約束してた?」

「ん? 違う、違う。奢るとかはいらねーってこと。ここは一つ、各自注文で」

「……なんか、ノリマキらしい。――でも、嬉しいな」


 かわりに自分が奢ると言ったわけでもないのに、蛍はとても嬉しそうに笑った。


「じゃあ、混む前に行こ、ノリマキ!」


 先に飛び出した蛍が、祈の手を引く。


「前見ないとあぶねーよ、けーちゃん」

「分かってる! けど……なんかさ、昔みたいだね」


 昔とは、きっと自分たちが仲違いする前のことだろうと祈は思う。

 あの頃は、蛍がいつも引っ張ってくれた。

 懐かしい気持ちのまま、祈が頷きかけた時だった。


 ――男好き

 ――キモい

 ――かまってちゃんウザ

 ――死んじゃえ

 

(は……?)


 行き交う人の中に羅列された、やけにくっきりと浮かび上がっていた文字。

 それは、流れに合わせてすぐに人混みに消えてしまったが……先ほど祈にむけられた軽い嫉妬の言葉とはわけが違うレベルの濃さだ。


(なんだ、今の。……え、まさか……)


 先を行く、蛍。

 彼女の手が、いつの間にか自分から離れていた。


「けー……」


 距離をとるように、少し先を行く彼女に声をかけようとした祈は――。


 〝――アタシのせいだ〟


 文字を見た。

 蛍の背中に大きく刺々しい文字が浮かびあがり、彼女の体に刺さり、消えていく。

 かなり強く大きな感情――それも、こんな風に自分で自分を傷つけるような文字の動きなんて……。


 〝全部、全部、全部、全部アタシが悪い〟


 グサグサと音がしそうなほど、鋭利な文字が彼女の体に刺さっては消えていく様子に、もしもコレが本物の刃物だったらと想像するとゾッとする。

 こんなものを目にするのは初めてだった。

 

(こんな……自分を責める……――あ、そうか)


 文字が示すとおり、蛍は自分を責めているのだ。

 普段は心の奥底に隠している、強い感情。それが今、なにかが切っ掛けで――堰を切って溢れてきた。


(今まで普通に話してた。なんで、急に)


 ただ、分かることはひとつ。

 このままにしてはいけない。 

 血は出ないし、痛みもない。

 けれども、コレは確実に、蛍を傷つけている。


「――けーちゃん!」


 祈は思わず蛍の手を掴んで、いささか強引に振り向かせた。


「な、なに、ノリマキ? どーしたの、急に大きな声出して?」


 拍子抜けするほど、彼女は普通の表情をしていた。

 額には驚いたという小さな文字が浮かんで、消える。

 突き刺さる文字も、どこにもなくなる。


(……落ち着いた、のか?)


「……あ、いや、ごめん……先に行くから、どうしたんだと思って」

「ごめんね。ちょっと馴れ馴れしくしすぎたかなーって思って。ノリマキの彼女さんとかに誤解されたら困るでしょ」


 新しい文字が浮かび上がり、するりと掴んでいた手が抜けていこうとする。


(――嘘だ)


 祈は、その手を握り引き留めた。


「いないから」

「ちょ、ノリマキ?」

「俺、誤解されて困る相手、いないから。だから、急ごう。昼飯食うんだろ?」


 今度は祈が、その手を掴んで歩き出す。


(アレが原因か)


 さきほど人の流れの中で見た、悪意の文字。

 あれは、蛍にむけられたものだった。

 なぜなら彼女の顔には、震えたような字体でこんな言葉が浮かんでいたから。

 

 〝――男好きなんて……!〟

 〝どうしよう。アタシのせいで、ノリマキまであの人になにか言われたら……〟

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