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「珠ちゃん! ――なにしてんだよ、お前!!」
腕を掴まれた男は、ぎょろりと血走った目で祈を睨み、叫んだ。
「あぁ!? 邪魔するんじゃねぇよ、正義の味方気取りのクソガキ!」
〝殺す〟
〝死ね〟
そんな物騒な文字を顔に貼り付けたまま怒鳴るのは――。
「へぇ、これはこれは……スズ君の元バイト先の店長さんじゃないか。なるほど、意外な人選だ」
マイペースに近づいてくる獏間の言うとおり。
先日、祈をクビにしたスーパーの店長。それが、今まさに人を殺そうとしていた男の正体で……。
「ごほっ、げほっ! ……祈……ごほっ――来てくれたんだ……」
水から顔を上げ、激しく咳き込みながらも嬉しそうな表情を見せているのは、やはり……。
「珠ちゃん!」
――姿を消していた、珠緒だった。
「なんで珠ちゃんを……!」
「はぁ!? そこの女が、うぜぇからだよ! 脅してバイトを辞めさせたのかって、しつけーったら! うるせぇ女、でしゃばり女、どいつもこいつもうるせぇうるせぇうるせぇ!」
「――警察呼ぶからな」
加害者である店長から、被害者である叔母を庇う祈の表情は、当然険しい。
だが、店長はニタァと大きく口を開けて笑った。その拍子に、口の中では唾液がネタリと糸を引く。
「証拠は?」
「は?」
「しょ・う・こ! 証拠がないとー、警察はなーんにもできません! あはははは、残念だったなぁ、正義マン!」
高らかに笑う店長は――祈が知っていた彼とは違った。
まるで、祈がクビになった切っ掛けであるパン泥棒のような振る舞いだ。
「まぁまぁ」
絶句する祈をよそに飄々と近づいた獏間が、店長の肩に手を置く。
ビクッと店長は一瞬だけ体を強ばらせた。
(なんだ?)
店長の顔に浮かんでいる文字が僅かに揺れたように見えた。
祈は違和感に瞬きする。
しかし、店長がすぐに醜悪な笑みを浮かべるのと同様に、文字もふてぶてしく主張したので、気のせいかと思い、再び咳き込んだ珠緒の方へ意識をむけた。
その間、獏間は店長に朗々と語りかける。
さながら――祈と初めて出会った、パン泥棒の一件の時のようだ。
「証拠、証拠と芸がない貴方には、さっさと最適解を突きつけるのが一番だろう。はい、証拠」
獏間は、おかしな状態にある店長に対し臆することなくスマホを見せた。
その途端、自信満々だった店長の表情が強ばる。
「なっ、あっ、動画――」
「そう。貴方の言う、正義感溢れる青年が人命救助に走る横で、僕はこういう時に備えて証拠となるモノを録画していた。そして、証拠がないとなにも出来ない警察も、新鮮な証拠をお届けするため、ここに呼んである」
パトカーのサイレンの音が、どんどん近づいてくる。
「ほら、これで罪になる」
「罪……っ、そんな……!」
場違いなほど晴れやかな獏間の笑顔とは対象的に、店長はこの世の終わりを前にしたかのように青ざめ、ガクガクと震えている。
顔に浮かんでいた物騒な文字が、同じようにガクガク揺れた。
そして一度バラバラになり、今度はぐぐっと集まり一つの黒い塊になり――なにかに吸引されるように動いた。
顔を移動し、首を、肩を――そして……。
店長の肩に置いてある獏間の手へ渡り、彼はそのなにかを口に運んだ。
パクリ。
掌で隠されて見えなかったが、なにかを飲み込んだのはたしかで……。
その直後から、店長は憑き物が落ちたように取り乱し、消沈した。
「ぁ、ぁ、そんな、そんなつもりは……ただちょっと、うっとうしいから、だから」
自力では立っていられず、よろりと地面に膝をついた店長を獏間は薄笑いを浮かべて見下ろす。
珠緒を支えながらその様子を見ていた祈は、獏間の唇が僅かに動くのを見た。
――ごちそうさまでした。
獏間 綴喜は、なにひとつ嘘偽りを口にしてはいなかったのだと、この瞬間に祈は思い知った。
別人のように大人しくなつた店長。
直前にバラバラに形をなくし、丸められ、取り出された、悪意を象った文字。
それを飲み込んだ、獏間。
彼は文字通り、悪意を食べたのだ。




