9-2.恋の季節
春の暖かさが訪れるようになると、コミュニティの活動も次の段階へと移行して行く。ほとんど芋だけだった去年の作付けから打って変わって、ホームセンターから入手していた様々な種が畑に蒔かれた。マコには判らなかったが、植物に詳しい人が見ると、どの種も得体の知れない種類に変化していて、食用になるものが生えるかどうかは未知数らしい。昨年の内に栽培に成功していた数種類の芋も植え、春でも育つかも確かめる。
広場の一角には炭焼き小屋も作られ、木炭の製造も始まった。魔法を使える人が増えているとは言え、全員が使えるようになるにはまだ時間が掛かるし、魔力量の少ない人が魔力だけで調理などをするのはきつい。そのためにも、燃料は必要だった。
家畜用の飼育小屋も建てられ、何頭か捕獲した巨体ウリ坊や角兎の飼育も始まった。
卵を確保するために鳥も飼育したいところだが、今のところ飛べない種類の鳥が見つかっていないため、実現には至っていない。卵を獲って来てコミュニティで孵化させ、飼育小屋を巣にさせる計画を立てている。
鳥と言えば、近隣コミュニティで飼育していた鶏も当然のごとく見知らぬ鳥に変化していたが、冬の間に飛ぶことを覚えたそうだ。異世界には、鶏のような飛べない鳥は存在しないのかも知れない。まだ未発見の可能性も捨てきれないが。
マンション敷地内で栽培している野菜や飼育している家畜だけでは、マンション住民全員の食糧には間に合わない。何しろ、一棟あたり百世帯ほどで八棟もある。空き部屋もあれば棟によっては部屋数が少ないものの、広場を畑と家畜小屋にした程度の食料ではたかが知れている。
そのため、周辺のコミュニティに、周囲を開拓して農業や畜産に力を入れてもらい、代わりにマンションからは労働力として住民が通勤し、また生活の利便性を上げるために魔道具を提供している。
まさに、マンションを中心とする巨大なコミュニティとして組織されつつあった。
そんな時にもたらされたのは、琉球国独立以上に衝撃的な出来事だった。
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衝撃的ではあっても、その出来事はコミュニティには何ら影響を与えることはなかった。取り敢えずは。
「日本だけじゃなくて欧州でも異変が起きたってことは、これからもそう言うことが起きる可能性があるってことですよね」
広場に作られた畑の横のベンチに座り、隣のマモルに手を触れて心地良い感触を貪りながら、マコは聞いた。
「そうですね。もしかしたら、すでに他の地域でも起きているかも知れません」
「起きてたら、判るんじゃありません?」
「必ずしもそうとは限りません。南極や砂漠、ジャングルなど、人の住んでいないところ、住んでいても電波の通じにくいところなどで起きたら、判りませんよ。大海原の真ん中なんかもですね」
「そっか。言われてみると、人の少ない場所って地球上にいくらでもあるんですね」
地球上ならどこにでも人がいるような気がしていたが、まだまだ人の知らない場所はあるんだな、と変なところでマコは納得した。
「それってまた、沖縄の自衛隊からですか? あ、今は琉球国でしたっけ」
「はい。直接のやりとりは九州・中国地方の自衛隊だけで、そこからは陸路なのでここに届くまでにどうしても時間が掛かってしまいますが」
「米軍が教えてくれれば早いのに」
「マコさん以外では、情報も含めて一切の支援をしない、と言うのが米国の方針のようです。それは今回の欧州でも同じらしいですね」
今度の異変は、イベリア半島を除く西欧のほぼ全域と、東欧・北欧の一部にまで渡っている。極東の時と違って異変のほとんどが陸地のため、人口も多く、二億人を優に超える人々が異変の範囲内に住んでいた。米国はおろか、残る世界中の国が協力したところで、支援など不可能だ。要するに、世界は極東と西欧を切り捨てたようなものだ。
「それと、これは自分、いや、俺の予想ですけれど、米国に限らず世界各国は異変の中に諜報員を送っているでしょうね」
「異変の調査、ですか? 支援しないのに大っぴらに調べると顰蹙を買うから、こっそり?」
「一つはそれです。日本に続いて欧州でも起きたと言うことは、次もある可能性が高い。原因を特定できれば、事前に対策できるかも知れません」
「うん。でも、『一つは』ってことは、それだけじゃ無いんですか?」
マモルはマコを見つめて、少し躊躇った後、口を開いた。
「これは俺の直感、と言うより妄想に近いのですが、恐らく、魔法使いを探していると思うんです」
「魔法使い?」
マコは首を傾げた。マモルは言いにくそうに続けた。
「はい。隠していたとしても秘密は漏れるものですし、マコさんは魔法を隠していませんよね。ですから、列強と呼ばれる国々はマコさんの力をすでに、ある程度は把握していると思います」
「……秘密にした方が良かったのかな?」
少し不安そうに顔を曇らせるマコ。マモルは慌てて言葉を継いだ。
「そんなことはありません。マコさんの魔法がなかったら復興はずっと遅れていたでしょうし、魔道具は、駐屯地でも配ったコミュニティでも好評です。マコさんがいなければ、この冬を越せない人もたくさんいたでしょうから」
「……良かったんですよね?」
「もちろん」
マモルはマコを安心させるように微笑んだ。
「それで、マコさん以外にも魔法使いがいれば、確保したいと考えるのではないかと。さっきも言ったように俺の妄想ですが。ほら、マコさんの異世界転移仮説みたいなものですよ」
「うふ。ありがとうございます」
笑顔で答えながら、マコは思った。前にあたしを誘拐した人たちって、魔法使いを狙って誘拐したのだろうな、と。薄々そう感じてはいたが、マモルの言葉ではっきりと確信した。マモルの言う通り、魔法について隠していないから、住民に紛れ込んでそれとなく聞けば、マコのことはすぐに判るだろう。
(マモルさんや自衛隊の人たちに頼り切ってばかりじゃなくて、あたし自身も注意しないとね。マモルさんから護身術とか習った方がいいかな。……それより、あたしの場合は魔法を鍛えた方がいいかも。意識しないで魔力を広げておければ、いつでも警戒できるし、それから、体内の異物を排出できれば、前の時みたいに注射を打たれても意識を失ったりしないだろうし)
それができるようになるかは判らないが、マコはこれらも研究対象に加えた。
「マモルさん、ありがと」
「は? あの、俺は何もしていませんが」
「いいの。マモルさんがあたしを大切にしてくれてるって良く解ったから」
「は? はぁ……」
戸惑ったように顔に疑問符を浮かべたマモルに、マコを身体を預けた。
例の誘拐犯が魔法使いを狙ったのであろうことは、自衛隊にとっては自明とも言えたが、それはマコやマンションの住民たちには伏せられていた。ほぼ自明とは言っても確証はないので、民間人、特に標的となったマコを心配させないように、と言う配慮だった。
それをマモルがマコに話したのは、これまでのマコとの付き合いから、話しても不安に慄いたりしないだろうと判断し、それならば、マコもそれを自覚していた方が危険を避けやすいだろうと自己判断してのことだった。
マコも、マモルのその想いをなんとなく感じ取り、お礼を言ったのだった。
「マモルさん、頼りにしてます」
マコはマモルの肩に頭を載せたまま言った。
「はい、お任せください」
マモルもマコを愛おしそうに見つめて答えた。
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マコとマモルが親密に接していることは、マンション中の誰もが知るようになった。当たり前だ。毎日のように、敷地内のどこかのベンチで二人並んで仲良く話しているのだから。
実はそのことは、年明けにフミコが指摘する前から、住民たちの話題になっていた。何しろ、自衛官がマンションを訪れるたびにマモルがいて、マモルが来るたびにマコが寄り添っているのだから。その時の二人の表情を見ていれば、互いにどんな気持ちでいるのか解ろうと言うものだ。気付いていなかったのはマコ本人だけだった。
フミコに指摘されてからはマコもそういう意味でマモルを意識するようになり、誘拐事件を経てマモルに対して抱いている自分の気持ちが恋心であることをはっきりと自覚した。
フミコに指摘されて以来、周りの目が気になっていたが、マモルの魔力に触れる快感には抗えなかった。自分の気持ちを自覚した今では、もう周りの目を気にすることなく──近くを通る人に会釈されると頬を赤らめはしたが──マモルと過ごすひと時が最高の時間だった。
しかしマモルとの逢瀬に現を抜かすことはなく、マコはコミュニティで自分のやるべきことをこなしてもいた。今日はムクオとともにジロウに付き合い、魔法教室になっているマンションの一室で、ジロウの瞬間移動の練習を手伝っている。
「今日のジロウ、調子悪い? いつもより感触が弱い感じだけど」
ムクオが言った。彼は、二つ歳上のジロウを呼び捨てにする。対してジロウはムクオを『くん』付けだ。ジロウは気にしていないようだし、ムクオにしても敬意を持っていないわけではないようなので、マコは放置している。
「調子悪いって言うより、別のことが気になって身が入ってない感じだけど。何かあった?」
マコもジロウに聞いた。
ジロウはムクオから手を離して俯き、それから顔を上げてマコを見た。
「先生、後で二人で話があるんですけど」
「え? うん、いいけど。あまり身が入らないなら、今日はやめにして今から話す?」
「えっと、先生が良ければ」
「じゃ、そうしよっか」
「はい。ムクオくん、ごめん。来てもらってるのに」
「いいよ。遊ぶ時間が増えるからさ。じゃ先生、また後で」
ムクオは意味ありげにジロウの肩を叩き、耳元で何か囁いてからにやにやしながら出て行った。
「それで、話って?」
さっきの感じだとムクオくんも知ってるのかな?と思いながら、マコはジロウに向き合った。
「せ、先生、その、最近先生と良く一緒にいる自衛隊の男の人と付き合ってるんですかっ?」
ジロウは何度も唇を舐め、少しだけ言い澱み、それから一気に言い放った。耳まで赤くなっている。
「え? 四季嶋さんのこと、だよね。うーん、付き合ってはいない、かな」
マコはマモルに恋しているし、マモルも愛情を持ってマコに接しているが、まだどちらからも告白もしていないし、二人でいる時に愛の囁きすらない。世間一般では“付き合っている”とは言えないなと、マコは二人の関係を振り返って答えた。
「そ、そうなんですかっ!?」
思わず身を乗り出すジロウ。マコはやや身を引いた。
「えっと、そ、それじゃ、せ、先生、ぼ、ボクと、付き合ってください」
つっかえながらもジロウは言い切り、頭を勢い良く深々と下げた。
生まれて初めて異性からの告白に、一拍置いてからマコは赤くなった。しかし。
「ごめんなさい、ジロウくん。それはできない」
頭を上げたジロウの顔は、マコがこれまで見たこともないほどに情け無い表情だった。
「どうして、か、聞いても、いいです、か?」
「えっと、あたし、四季嶋さん、ううん、マモルさんと、付き合ってはいないけど、マモルさんのことを好きなの。マモルさんとずっと一緒にいたいと思うくらいに。直接聞いたことはないけど、マモルさんも同じように思ってくれてると思う。だから、ジロウくんとは付き合えない。ごめんなさい」
マコがマモルに対する自分の気持ちを言葉に出したのは、これが初めてだった。
「ボクじゃ、駄目ですか?」
「……うん、駄目」
思わせ振りな言葉で期待を持たせるのは悪いと思い、マコははっきりと言った。
「……理由を聞いてもいいですか?」
「うん……。あのね、魔力でマモルさんの魔力に触れると、とっても温かくて、安心できるの。ずっと触れていたいし、他の誰にも渡したくない、そう思えるの。ジロウくんには、残念だけど、そう思ったことなくて、だから、駄目」
ジロウはマコの言葉を聞いてしばらく俯いていたが、マコが黙ったまま待っていると、やがて面を上げた。
「……解りました。ありがとうございます、きちんと答えてくれて。魔力で選ぶって、先生らしいですね」
無理に作ったような笑顔で、ジロウは言った。
「すみません、お時間取らせちゃって。お先に失礼します」
ジロウは、 扉に向かって歩きかけ、もう一度マコを振り返った。
「あの、先生、これからも魔法、教えてくれますよね?」
「もちろん。あたしはジロウくんの魔法の教師なんだから」
「ありがとうございます」
丁寧にお辞儀して、今度こそジロウは出て行った。




