11-2.観光
「お待たせしました」
部屋に入って来たマコの姿に、マモルの心臓は飛び跳ねた。マコはシャワーを浴びてさっぱりとし、髪を左右でツーサイドアップに纏め、米軍の用意してくれた可愛らしい服を身につけている。その姿は、マモルの目に小さな天使のように愛らしく映った。
マコのそのような姿は、魔法教室の時以来だ。魔法教室でのマコは、コスプレには見えないものの、どこか魔女っ子を思わせる意匠のワンピースが、この上なく可愛らしかった。しかしその当時は、マモルはまだマコに対して特別な感情を持っていなかったから、可愛いと思いはしても、愛しいという感情は持たなかった。
肩の出た桃色の長袖ブラウスと、ウェストの太い紺色のミニのプリーツスカート、同じ色のロングソックスと桃色のパンプスが、マコの可愛らしさを引き立てている。
「どうですか?」
マモルの前でくるりと一回転して見せたマコのスカートがふわりと広がり、マモルの目に絶対領域が眩しく映る。これ以上の美少女はいない、とマモルには思えた。
「とても良く似合っています」
もっと褒め称えたいと思うマモルだったが、マコの姿に見惚れてしまい、それ以上の言葉が出てこない。その様子に、マコは恥ずかしそうに頬を染めた。
「私たちはどうかしら」
シュリがにやにやとしながら言った。マモルは慌てて二人の同僚を見た。
「二人とも素敵ですよ」
シュリもスエノも、普段纏めている髪を解き、シュリはポニーテールにして、スエノはハーフアップで背中に流している。
シュリは黒いタンクトップを身につけ、下はデニムパンツとスニーカーですっきりと纏めている。
スエノも似たような服装で、上は白い袖無しのシンプルなブラウスで、下はシュリと同じだ。
「マコさんと随分反応が違うようだけど」
マモルの淡白な反応に、スエノが揶揄うように言った。
「いえ、そんなつもりは無くてですね、本当に、素敵ですよ」
マモルは慌てて答えた。その様子を見て、二人の女性自衛官は笑った。
「マモルさんも、いつもの隊服も格好いいですけど、私服も素敵です」
マコが瞳を輝かせて言った。
マモルは半袖の紺色のポロシャツとデニムパンツ。女性自衛官たちと同じような服装だ。隊服に比べると胸板の厚みが際立って、普段より逞しく頼もしく見える。それだけでも、マコの目には眩しく映った。
「では、装備を確認します。まず身分証とスマートフォン。万一トラブルに巻き込まれた場合は、この身分証を警官に提示すればこの基地に連絡が来ることになっています。スマートフォンはお互いの連絡と位置情報の確認。位置情報は米軍の監視にも伝わります。それから米ドル札と硬貨。自衛官には拳銃。それに財布やバッグです」
テーブルを囲んで、シュリがそれぞれに装備を配布した。
「マコさんは念のため、鋼板を何枚かバッグに入れておいて下さい。使うことはないと思いますが」
自衛官と米軍の護衛でマコの安全は守られるが、慎重を期して魔法を使う可能性も考慮しておく。
「あの、あたしのウェストバッグじゃ駄目ですか?」
「その服装に、ウェストバッグは似合わないわよ」
スエノに言われて、マコは自分の服装を改める。確かにその通りだと納得して、マコは用意されたショルダーバッグに鋼板を納めた。
「準備が終わったら、出発しましょう。マコさんの護衛はあるけれど、米軍も陰から護衛してくれているから、肩の力を抜いて観光を満喫しましょう」
「「「はい」」」
シュリの言葉に三人は頷いた。
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マコが、暴動鎮圧の対価として求めたのは、米国の観光だった。本音を言うと欧州各地の観光をしたかったのだが、異変に呑まれて治安の悪い欧州の観光は不可能だった。
そこで、日本への帰国前に一泊する米国西海岸の観光と、そのために必要な服などを、報酬として要求したのだった。
尤も、許可されたのはごく狭い範囲のみ、時間も限られている。長時間滞在することで通信阻害領域が広がってしまうのだから仕方がない。米軍としては、本当は許可したくなかっただろう。
「私たちは二人の後を適当について行くから、好きなように観光してね」
「わたしたちのことは気にせず、デートを楽しんでね」
デートと言う言葉に、マモルは耳まで真っ赤にした。否定の言葉を口にしようとして、いや、それをしたらマコを悲しませるかも知れない、と思い留まり、かと言って肯定するのも気恥ずかしく、結局、口をぱくぱくさせただけになった。
マコも、火照り具合はマモルと似たようなものだったが、俯いて小さな声で「はい」と頷いた。
そんな一幕はあったものの、四人は二台の乗用車に分乗して、米軍基地に併設された異変に呑まれた人たちの住む区域から出発した。
「すみません、澁皮と矢樹原が揶揄うようなことを言って」
耳は元に戻ったが、マモルの頬はまだ赤い。
「いいえ、マモルさんが謝るようなことじゃないですし。それに……」
「それに?」
「単に観光のつもりでしたけど、考えてみると、確かに、デートだなって、嬉しくなっちゃって」
自分の身体を包んでいるマコの魔力が温かくなったような気がして、マモルはまた頭に血が昇る。
自動車の運転中なのだからと冷静になろうと、マモルは無理矢理話題を変えた。
「そう言えば、スマホの位置情報はどうですか? そろそろ魔力、魔力でしたか、その影響範囲から出たと思いますが」
「あ、そうですね。えっと、あ、はい、映ってます。マモルさんのが隣に、澁皮さんと矢樹原さんのが後ろに」
「きちんと登録されているようですね」
「護衛の兵隊さんのは出ないんですね」
「ええ。彼らはフィールド・スポーツの審判と同じと思って下さい。路上の石扱いですね」
「それって、酷くないですか?」
「いえ、プロとしてはその方がいいんですよ。護衛対象が意識してしまったら、彼らの存在がバレますからね。逆に存在を見せつけることで周りにプレッシャーを掛ける場合もありますが、今はそうではありませんから」
「そうなんですね」
受け答えをしながら、マモルは高鳴る心臓の鼓動を抑えるのに必死だった。マコの魔力に包まれることには慣れてきたが、閉鎖空間に愛しく思う少女と二人きりという状況が、心を騒つかせる。こんな感覚は、高校の頃に付き合っていた彼女に感じることはなかった。これが本当の“恋”なのだろうと思うと、ますます心がときめいてしまう。
ミスをしないようにと努めて意識しながら、マモルはハンドルを操った。
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マコは本当に天使のようだった。巡った観光地でマコははしゃぎ、マモルの構えたスマートフォンのレンズの前でポーズを取った。時には、すぐ近くにいるシュリとスエノを呼び出し、二人で写真に収まった。二人は、米国観光を満喫した。
もちろんマモルは、マコとのデートを楽しみながらも周囲への注意を怠らない。地竜討伐の時にシュリから命令された『マコを守り、無事に連れ帰る』ことを忘れていなかったし、それがなくともマコに危険を近付けないように気を配った。
同時に、警戒していることをマコに気付かせないように、表面上は平静を装った。しかし、マコにバレていない自信はない。何しろマコはずっとマモルを魔力で覆っている。ほんの些細な筋肉の緊張も見逃さないかも知れない。
さすがにそれはマモルの買い被り過ぎだったが、マモルは平常心のままに周囲を警戒する、という、これまで彼があまり経験しなかったことを試みていた。
そんなことをしつつも、マモルにとってマコと二人で過ごす時間はこの上なく心地いい時間だった。未だに他人の魔力を感知できないマモルだが、マコの魔力だけは、触れているだけで天にも昇るような感触を感じられる。そのマコの魔力が、マモルとの逢瀬を心から楽しんでいるためか、微妙に揺らいでいるような気がして、いつも以上に心が昂ぶって来る。まるで、心をマッサージされているかのようだ。
「マコさん、疲れませんか?」
マモルが聞いたのは、広い公園の中を散策している時だった。所々に理解不能な芸術作品が設置されていて、それを鑑賞しながら巡っているところだった。
「そうですね、ちょっとだけ、疲れたかも」
「飲み物でも買ってきます。そこのベンチで休んでいて下さい」
「あ、それなら、ソフトクリームがいいです。あそこで売ってるみたい」
「解りました」
一時的にマコから距離を取る時も、視界からマコを外さないように注意する。視線を外しても、包まれた魔力でマコのいる方向くらいは判る。自分で魔力を伸ばし、物を感じられるようになれば、目を離していてもマコのいる場所や状況が判るようになるだろう。もっと鍛錬しなければ、などと考えつつ、屋台でソフトクリームを二個買って、マコの元に戻った。
「はい、どうぞ」
「ありがとうございます」
マコは極上の笑みでマモルからソフトクリームを受け取った。その笑顔にマモルはくらっとする。すでに恋に落ちているのに、もう一度落ちたような感覚だ。この少女と二人でいたら、自分はいつまで理性を保っていられるだろう、とマモルの心に不安の影が差し、慌ててそれを振り払う。不安など感じては、それをマコに勘付かれるかも知れない。それは逆に、マコを不安にさせてしまうだろう。この愛しい少女をに、少しでも悲しみを与えたくはない。マモルは美味しそうにクリームを舐めるマコを見て、そう心に決めた。
マコも上機嫌だった。観光を要求した時には、当然シュリとスエノも一緒に四人で巡るつもりだったから、女性自衛官二人が気を効かせてマモルと二人きりにしてくれたお陰で、マモルとのデートを堪能できる。二人の女性自衛官ばかりでなく米軍の護衛の視線もあるのだろうが、そんなことは忘れて、マコはマモルとのデートを堪能した。
「この後はどうします?」
「えっと、お夕飯の前にみんなにお土産を買いたいなって」
「じゃ、ショッピングモールに行きましょうか。いろいろ揃っているそうですから」
「はいっ」
マモルはマコの笑顔に、今日何回目か射抜かれた。
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「今日はとっても楽しかった。マモルさん、ありがとう」
米軍女性士官が手配してくれたレストランで、マコはマモルに微笑んだ。シュリとスエノも、別のテーブルで食事を摂っている。
「いいえ、お礼を言うのはこちらです。マコさんのお陰でこんなに楽しい休暇を取れたのですから。ありがとうございます」
「でも、マモルさん、ずっと緊張していたんでしょう?」
「……気付いていましたか?」
「ずっとじゃないけど、たまに、そうかな、って思うことがあって」
「すみません。気を遣わせてしまって」
「ううん、それは仕方ないと思うんです。ここまでは来ないと思うけど、あたしを狙った人たちが諦めたとは思えないし」
「マコさん……」
「でもいつか、そう言うことをまったく気にしないデートをしたいですね」
「……はい。マコさん」
「はい?」
マモルは少し躊躇い、視線を空中に泳がせた。それから心を決めて、真っ直ぐにマコを見つめる。
「マコさん」
「はい」
先ほどの呼び掛けとは違った声音を感じて、マコは姿勢を正した。マモルをしっかりと見つめ返す。
マモルの心臓は早鐘のように打っていた。まるで、初心な少年のように。
この言葉を出さなくとも、マコとは今後もいい関係を続けていけるだろう。しかし、二人の関係を曖昧にしたまま付き合い続けることがいいとは彼には思えなかったし、その言葉もこれまでに何度も言おうとした。そして今、その気持ちがこれまでにないほど高まっている。この機会を逃せば、一生曖昧な関係で居続けることになってしまうかも知れない。その思いが、マモルの気持ちを後押しした。
「こんな状況の中、いつになるか判りませんが、結婚を前提として、お付き合いさせて下さい」
マコの顔が、花開くように輝いた。
「はい、喜んで」
マモルがこれまでに見た中でも最高の笑顔で、マコは応じた。
「あ、ありがとうございますっ」
マモルは、自分でも気付かない内に、テーブルにぶつけそうな勢いで頭を下げていた。




