それぞれの道へ
「あちきは絶対に認めない!」
雛菊は激昂した。そして身内と呼べる人をまた失ったことに泣いた。
事件は終わったが、銀次はいきり立って雛菊を捕った。
「敵討ちとはいえ、おめえは吉原の女だ。番所で詳しく話を聞かせてもらうぜ」
銀次は縄を放って、雛菊を連れていこうとした。
役目として当然のこと。吉原の女が廓の外にいること自体戒められることだからだ。捕らえられ、見せしめとしてこれから惨い仕打ちを受ける。
「仇討ちの件も、とっくりと話聞かせてもらおうか」
殺しが絡んでいるとなれば相当辛い取り調べとなる。それを容易に想像できるゆえに小春も辛かった。それで彦左衛門の袖をぐいっと掴んだ。だが彦左衛門は眉間に皺を寄せただけだ。
「彦さま」
吉原の掟を覆すとのちのち問題になる。これは譲れる問題ではないのだが、好きな女の頼みを断るのもなかなか辛いものである。
「銀、大目にみてやれよ」
それくらいでは小春はいてもたってもいられず、ついに銀次の腕を取った。
「この人は女郎じゃないわ。恰好を見たら分かるでしょ、この人はお竹。芸妓のお竹なの」
「小春姐さん、よぉく似ておリやすがね。この女は雛菊っていう足抜けした女郎でやんす。顔が似てるのは三つ子だからで。まぁ、あっしの目にかかりゃ芸妓と遊女の格の違いを見抜くなんて簡単なこって」
小春は彦左衛門を見たが、吊り上がった眉はまだ下がらない。そこでとっさにでたらめを言った。
「知らないのは銀次さんの方よ。お竹さんは、あたしが人攫いにあったのを助けてくれたのよ。その恩返しにお竹さんを立派な芸妓にするって約束したわ。ゆくゆくは置屋をやるのに、あたしにはお竹さんが必要なの!」
彦左衛門は目を丸くした。
「置屋?」
寝耳に水である。廃業なら一緒にいれると思ったのが、置屋をやるとなったら嫁になど行かぬと言われたのも同然である。
「銀次さんは見抜いたっていってるけど、お竹さんと雛菊の違いを知っているわけ?」
「それは……勘ですけど」
「証拠にもならないでしょ。女郎が大門越えて逃げれるものですか。まして仇討ちなんてできるわけないでしょ。それを裁くつもりなの?」
「ところがですね――それができるんでさぁ。山吹桜の店主がお竹に女郎の恰好をさせたと吐いてる。雛菊が会わないから身代わりを仕立てたんでさぁ。ってことは死んだのはお竹でやんしょう?」
「……」
小春はいい返せなくなって固く口を結んだ。口惜しいが、どうにもできなかった。
すると、ついに彦左衛門が見かねて、銀次の肩を叩いた。
「全く同じ恰好のお松とお竹が擦れ違わなかったといえるか? 顔も同じ。背格好も同じ。取り調べの前に、お前はこの女が雛菊だと証明する必要があるだろう。そうしなきゃ罪もない庶民を裁くことになる」
銀次は答えに窮した。
「それは……っていうか、お竹とお松が入れ違いになったってのは旦那が最初に考えたんですよ」
「ただの勘ぐりだ――誰も見分けられんさ。本人以外はな。それに雛菊の籍はもう無いし、山吹も店主が捕まっちゃ店じまいで怒る奴もいない。そこで銀次が足ぬけだと芸妓を攻め苦にあわせてみろ。恨まれるのは銀、お前だ。俺にはまるで芸妓を責める鬼のように見えるぞ」
「鬼!? あっしは鬼なんかじゃ、ありやせん!」
「だったら死人に口無し。――お竹でいいじゃねぇか。そうすりゃ『今日も吉原では足抜けは起きなかった』ことになる」
彦左衛門はニヤニヤ笑いながら小春の手を引いた。
「そういやぁ前に銀次に奢るって話してたなぁ――居酒屋をやめて一席設けるか。どうだ小春、その席でお酌してさしあげたらどうだ?」
小春は銀次に美しく微笑んだ。
「かしこまりました。その際はどうぞ、よしなに!」
銀次は雛菊の縄を緩める。
「けっ。旦那には敵わねぇなぁ」
※ ※ ※
少し離れていた梶原源次郎は小春の無事を見届けると、一言も交わすことなく背中をみせた。小春は戸惑いを感じた。
「彦さま。あの……」
彦左衛門が頷くと、別れを惜しみながらも会釈をした。
「源次郎!」
林へと誘い込まれるように小春が走って行く。
銀次は彦左衛門の心の内が分かるだけにきいた。
「いいんですか?行かせちまって。またあの男に小春さんを取られちまうかもしれませんよ?」
「ここで行くなと止めてみろ。そりゃぁ……野暮じゃねぇか」
小春がそうしたいと願ったなら自由にさせてやる。それが男の器量ではないか。
彦左衛門はもて余した気分のままに銀次の頭を叩いた。
「いてっ――旦那ぁ?」
「余所見するな。仕事はたっぷりだ。山吹が今までしでかした裏の要件、洗いざらい吐いてもらわんとな」
「旦那は女に甘いけど、ほんとうに男には厳しいですねぇ。おいらも女に生まれりゃよかった」
「想像もできんわ。俺にだって好みってもんがある」
彦左衛門は銀次を追いだした。
「先帰って仕事しとけ。あとでたっぷり報告をきいてやるからな」
「旦那は来ないんで?」
彦左衛門は口を尖らせた。
「俺は小春を待つ」
銀次はしぶしぶ罪人どもを連れて歩きだした。遠吼えのように何度も言った。
「旦那ぁ、明日はちゃんと番所に顔を出して下さいよ?」
彦左衛門はニヤリと笑うだけで手を振って追い返す。
「今日はさんざん走り回った。はしゃぎすぎたようだな……」
重くなった足腰をようやく休め、その場に座りこんだ。誰もいない山道で天を見上げると、今宵も月は輝いている。
この月を一人でみるのも今宵かぎりと信じたい。今夜は涙月。鼻をこすり、泣きを堪えるのも恋の一興か。




