第二の殺し
夕闇も深くなってきた。
仲ノ町通りを中心に、吉原大門に近いほど派手で賑わっているが、遊郭を囲むおはぐろどぶが近くなるほどに、静かになる。人の往来はあるが、妖艶な女の誘いに引き込まれるように、一人、また一人と客が暖簾の中へ消えていく。
体格の良い武士が遊郭に入った。
「いらっしゃいませ」
遣り手の女が迎えたが、頭巾の客でも警戒しなかった。特に頭巾が珍しいわけではない。誰かとひょっこり顔を合わせたくない気持ちは誰にでもあるものだ。
「うちの店は初めてですよね。お気に入りの女は見つかりました? 御悩みでしたら、私がお武家さまにぴったりの者をご案内いたします」
遣り手の女は笑顔だが、目が大きく、派手な顔に圧力を感じる。平凡な女郎が、霞んでみえるほど良い女だ。
「お武家さま、お一人ですよね。お顔は拝見できますでしょうか」
「ここで取れというのか? 失敬なことを申すでない」
「あいすみません。ただいま控えの間を用意させていただきます」
四十歳になる遣り手婆だ。少し乱れた髪を小指で整えている姿に色香がある。廊下を歩く姿は尻が小さく、足取りが軽やか。
部屋に案内されて侍が座ると、往きすぎる遣り手の手をふいに掴んだ。
「――旦那何か?」
「女はいい。ここに居るからな」
「やだ。ご冗談を」
口元を袖で隠して微笑んでいるが、目は睨んでいる。
「冗談なものか。お主の目が気に入った」
「申し訳ありませぬ。それは御断りするきまりになっておりますの。本当に残念なことだけど……この場所では無理ですの」
女は周囲を見回し、障子をピシャリと閉めた。
「金に糸目はつけぬ」
懐から差し出した小判を女はすぐに奪い取った。
「遣り手の仕事に差し支えのないように願いますよ?」
「――すぐ終わる」
「変わった方。でも、たまにいるんですよ? 熟れたのが好きって男がね。そういう時のために、この押入れの奥に内鍵がかかる場所があるんです・・・・・・あたしも女郎あがったばかりで、寂しくて」
遣り手の女が寂しいのは懐で、男ではないだが演技は上手だ。妖艶に微笑み、侍の肩をそっと撫でる。
「でも、その前に頭巾を取っちゃくれませんかねェ」
「……ここでは叶わぬ」
侍の手を引き、押入れの下段に招いた。
大きく軽い空箱を脇に避けると壁は押し扉となっていた。いざこざがあった時の避難用の隠し部屋である。この場所を知る者は少ない。
一畳ほどの大きさで、部屋は布団でいっぱいだ。高さはあるが、光は無い。侍は頭巾を取り、女は指先で男を確認する。逞しい胸板を撫で、頬や鼻を愛撫し、人相を確認していく。
「なんて逞しい身体――鍛えてらっしゃるのね。歳は御いくつかしら?」
女が睨んでいるのが分かる。決して心を許したわけではない。
警戒している。
男はそれを喜んだ。
油断のならない緊張感が興奮を招く。
「攻めに耐えられれば答えてやろう」
女の片足を持ち上げ、もう一方の手で襦袢を一番上まで捲り上げた。四十の身体は肌に張りがなく若さで劣るが、柔らかな脂肪には円熟した女の色気がある。
「やだ! 旦那ァ……早い」
女郎上がりとあって経験も豊かで慣れている。暗闇に乗じて、布団の脇に隠し置いたぬるりとした“のり”を股間に塗り付ける。さも心地よく濡れたフリをする。身体に負担がかからないように用意周到だ。
女は侍を撫でまわし、頭に手をかけると、一瞬笑った。髷らしきものが見当たらない。これは相当偉い侍が出家した姿と確信した。男は優しく、じれったいくらいに舐め、欲望が掻き立てる。
――この男、上手いじゃないの。当たりだったようね。
やわらかな内奥を探られると、女は早くも夢の世界へ落ちていく。次第に服従し、大人しくなっていくことに男は褪めてきた。帯や紐を外し、集めていく。
「似ていると思ったのだがな」
「――え?」
乱雑に女の顎を手にとり、暗闇で目を凝らしている。女は男と視線が合って硬直した。男は確かに興奮しているようだが、性を満喫しているのではなかった。鬼気迫る恐ろしさがある。
「旦那?」
「――を知らないか?」
「誰それ。寝ながら他の女のこと考えるなんて。さぁ来て、もっと気持ちよくさせてあげる」
「知らぬはずがない。お前が追い出した雛菊よ」
「え?――ああっ!」
男の手腕は確かで、悪戯にしても刺激的だ。
女の身体のことを良く知っており、扱いに慣れている。
女郎から遣り手になって、たまに身体を売りつつも、ある程度まで。自分の限度を超えさせるようなことはさせなかった。なのにこの男は危険だ。気を失いそうになるほど翻弄される。
「――え、ちょっと。待って……! あぁっ 雛菊? 誰……女郎なんてお歯黒ドブに浮くほどいるし。いちいち憶えてない……いっ、いくう」
男は濡れる指を悲しそうに見た。
「あれはいい女だった」
「だったということは、今はあたしが一番ってことですよねぇ」
「どうかな。頑張りによる」
「――あ!」
乱暴に扱われて、女が腰を引こうとすると、紐で両腕を束ねて縛られた。逃げられなくなったが最後、女はされるがままだ。
「心地よかろう?」
喘ぎ声か悲鳴なのか。切なさが混じるほどに逼迫した声が上がる。演技ではない必死さは男にとって煩いほどだ。
「声をあげるでない」
男は女の口に布を押し込む。その狂暴さに女は抵抗したが、どうにも腕が解けない。
「そうだ。女は強くあらねばならぬ――そして女はさらに強き男に従うべき」
女は観念し、ただ行為が早く終わることを願って、縦に首を振った。
「命の続く限り、永遠に!」
くぐもった叫びは響かず、闇に消えた。女は自らの首に紐が巻かれていることなど、露ほども知らなかった。ただ全身を硬直させて、開いた脚で壁を蹴るが、どうにもならなかった。
「おお。締まる。緩すぎたからちょうど良い」
侍は繋がりを保持しながら、尚も力を込めて紐を引く。やがて男は荒々しい息で腰を引き、手の紐も緩めた。
「女……死んだか」
再び頭巾を被り、何事も無かったように身支度を整える。内側の押し扉は好都合だ。狭い室内なので、亡骸の重みで塞げば、押入れ側から見てただの壁になる。
「やはりお両でないと駄目なようだな」
部屋に戻ると静かで、誰も来ない。しばらくして妓夫が通りかかったので侍は立ち上がった。
「これ、そこの者。遣り手はまだ来ぬのか。――侮辱しおって! 帰る」
こうして再び殺しが行われたのだった。




