答え合わせ
「つまり……俺に魔王を倒してその呪いを継げと。そう言っているのか」
静かに導き出した答えを告げると、マモンは無言で頷いた。
その肯定を目にした瞬間、身体中を脱力感と虚無感に襲われる。
腹の底から競り上がってきた嘔吐感に、口元を抑えて必死に堪えた。
マモンの無言の肯定は、ユルグの絶望を後押しするには十分すぎる程だった。
勇者の目的は魔王を倒すことにある。それを目指して今まで旅を続けてきた。それさえ終えればまた普通の生活を送れると思っていたからだ。
仲間との旅は辛いだけでなく楽しい思い出もあった。けれど、どのみち魔物と戦うのならば危険な事には変わりない。怪我をする事だってある。死ぬかもしれないと思った事だって一度や二度ではない。
勇者の旅に着いてきてくれている彼らに、これ以上危ない目にはあって欲しくはなかったのだ。
なにより、故郷に幼馴染みを置き去りにして旅をしなくても良い。
昔と同じように一緒に居られるようになると思っていた。だからどんなに辛くても苦しくても自分を奮い立たせて旅を続けていたのだ。
けれど、その願いは叶わない。
――あの日々は無駄だったのだ。
今となってはどうでも良いことだ。それでも思うところはある。
「……それで、その後は俺も殺されなきゃならない。そうなんだろ」
『その通りだ』
魔王を倒すということは、その器となっている者を殺すということだ。
それを成して初めて、魔王という呪詛は宿主から離れられる。そうして、次の適合者へと乗り換えるのだろう。
その依代は、魔王討伐を成した者――勇者である。
こんな真実ならば隠すのは当然である。
ようは、勇者という体の良い生贄だ。
勇者として、人々を救い魔王を倒して――その後、魔王として世界を浄化して、殺されろ。
「……ふざけるな」
胸中を支配していくどす黒い感情は、今までに経験した事のないものだった。
混じりけのない純粋な怒り。憎悪。腸が煮えくり返りそうになるというのは、こういうものかとどこか冷静に判断しながら、ユルグは正面を見据えた。
「それで、なんだ。お前らは俺に犠牲になれって言っているのか」
アリアンネはユルグへと頼みがあると話していた。全てを聞いた今なら言わんとしていることが理解出来る。
彼女は、自分の代わりにマモン――魔王を肩代わりして欲しいのだ。
先の話では、呪いを引き継ぐには魔王の器である者を殺さなければならない。しかし、彼女の言動から考えるに、それ以外での譲渡方法があるのだろう。
でなければわざわざユルグを探し回って交渉する必要は無い。
「そうです」
「その口で良くそんな事が言えるな。お前だって俺と同じ境遇なんだろ? だったら俺と同じ苦しみも絶望も知っているはずだ。それでもそんなことが言えるっていうのか!?」
椅子を蹴り倒して立ち上がると、ユルグはアリアンネへと掴みかかろうとした。
しかし、それを傍らのマモンに腕を掴まれ止められる。
『アリアンネを責めないでやってくれ。この決断は、己の想いを汲んでくれた結果なのだ』
「マモン、良いのです。無茶な事をお願いしているのは事実なのですから」
『だが……』
何やら事情があるみたいだ。しかし、押しつけられるユルグからしたら、そんなものはどうだっていい。
「それで、勇者様。引き受けてくれますか?」
アリアンネはしっかりとユルグの目を見据えて告げた。
あの性格をしている彼女のことだ。こんな頼みをするのだって相当心苦しいはずである。けれど、その瞳には決意が籠もっている。
「そんなもの、クソ食らえだ」
吐き捨てると、マモンに掴まれていた腕を振りほどいてユルグは部屋を飛び出した。
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ユルグが部屋を出て行った途端に、アリアンネは緊張に強張っていた肩の力を抜いた。
「やはり、上手くはいきませんね」
『こうなることは分かっていた事だ。じっくりいこう』
犬の姿に戻ったマモンは、アリアンネの膝上に乗ると眠そうに欠伸をする。
「疲れましたか? 貴方にだけ話させてしまいましたね」
『あの姿は五年ぶりだからな。少々堪える』
「……そうですか。もう五年も経ったのですね」
どこか寂しそうな様子を見せるアリアンネは、マモンの背を撫でながら黄昏れる。
魔王討伐の旅に出て、三年間世界中を巡ってその後、マモンに出会った。
彼女の命を繋いでくれたのは、他ならぬその命を奪おうと息巻いていた魔王だった。
アリアンネの中にその時の記憶は断片的にしか残っていない。けれど、その後のマモンとの旅路は二人の絆をより強固なものにしてくれた。
今まで殆ど外の世界を知らなかった皇女様には、自分と対等に接してくれる者との旅は酷く新鮮だった。それはマモンにとっても同じである。
本来なら恨まれても仕方のない存在である魔王に、対等に接して身を案じてくれる。そんな存在は、彼を創りだした変わり者のエルフ――ログワイド以来であった。
しかし――その大切な時間も、思い出も。もうすぐ終わりを告げてしまう。
魔王の器を破壊する以外に、他者への呪詛の譲渡にはデメリットがある。
それ故に、今まで勇者との接触は控えていたのだ。
この五年間、勇者に会おうと思えば居所を探れるマモンには容易いことだった。しかし、それを先延ばしにして世界を巡っていたのは、何も観光云々の話だけではない。
勇者に魔王討伐という使命があるように、魔王にも使命がある。
彼の使命とは瘴気によって増えすぎた魔物の除去。加えて、虚ろの穴に安置されている匣の定期的なメンテナンス。
どちらも自らが瘴気を吸収して浄化することで事なきを得る。しかし、そうすることで確実に魔王の器であるアリアンネの肉体には瘴気の毒素が蓄積する。
彼の最初の器であったログワイドは特殊であった為、老衰で亡くなったが種族を問わず生物が瘴気の毒に当てられては長くは持たない。それにマモンの浄化する瘴気というのは通常のものよりも何十倍も濃度が高い。何度も繰り返し出来るものではないのだ。それが、魔王が器を変えなければならない要因である。
依代としている肉体が、蓄積する瘴気の毒に耐えられないのだ。
しかし、昨今の急激な魔物増加はこれ以上看過できない程に膨れあがっていた。
各地では魔物の襲撃によって滅ぼされる村も少なくはないと聞く。加えて、虚ろの穴から染みだしている瘴気も抑えが効かなくなっている。
安置されている匣での瘴気の浄化が追いついていないのだ。あれが機能しなくなればさらに魔物が溢れ出ることになる。
これ以上、野放しにすることは出来なかった。
だからといって、宿主であるアリアンネの肉体を危険には晒したくはない。
今回のユルグへの頼みというのはマモンの唯一の我儘であった。
回りくどい策を弄してでも、アリアンネを殺させたくはない。それが自身を心ない怪物だと揶揄するマモンの、唯一の願いなのだ。




