開かれた真実
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一瞬、目の前の生物が何を言っているのか、分からなかった。自分でも自覚出来るほどに混乱している。
経ったいま、眼前で起こった出来事を鵜呑みにするのなら、あのマモンが言った言葉も真実であるのだろう。
しかし、何があってもそれだけは認められなかった。
『普段は目立たぬようあの姿でいるが、あのままでは話しても信じてもらえぬだろう。だからこのような――うごっ』
身体のサイズ感をまだ上手く掴めていないのか。マモンは天井に頭をぶつけて背を縮めた。
「マモン、大丈夫ですか?」
『距離感というものがまだ上手く掴めないな。まあ、じきに慣れる』
言って、マモンは身を屈めて窮屈そうに椅子へと座る。
落ち着いたところで、ユルグは口を開いた。
「お前が魔王だって? 質の悪い冗談はやめてくれ」
『む……冗談などでは』
「そんな姿を見たら尚更信じられない」
マモンの姿は、あの祠で遭遇した魔物――獣魔や、ユルグが追っている黒死の龍に近い形態をしている。
体躯を覆った靄もあの黒一色の姿だって、考えてもみれば瘴気から出でる魔物と言われても遜色はないほどだ。
『ほお、よく見ている』
指摘すると、マモンは感嘆の声を上げた。
『その考察は間違いではないな。元を正せば、己はそれに近しい存在なのだ。近い、というよりも全く同じものといった方が説明は容易である』
「だったら」
『だからといって、嘘偽りを述べているわけでもない。なぜなら、魔王という存在は元来こういうものだからな』
マモンの発言に、ユルグは言葉もなく絶句した。
彼の言うことは、つまり――魔王という存在は瘴気から生まれる魔物と同一の存在であると。
マモンは、そう言ったのだ。
「ま、待ってくれ……意味が分からない」
『そうであろうな』
「マモン。まずは貴方がどういった存在なのか、きちんと説明してはどうですか?」
『自己紹介というやつか? ……そうだな、それが良いか』
アリアンネの助言に、マモンは腕を組んで思案する。
しばらくした後、彼はこう切り出した。
『勇者は、魔王について何か知っていることはあるか?』
「……いいや、何も。何も知らない」
ユルグが知っているのは根も葉もない噂だけだ。
人間であるとか。瘴気を生み出しているとか。その程度のもの。
五年間、魔王討伐のため世界を回ってきたというのに、知っているのはそれだけなのだ。こんなに馬鹿げた話はないだろう。
苦笑を浮かべたユルグに、マモンは告げる。
『魔王の情報は秘匿されている。知らぬのも無理はない。己の存在を真に理解しているのは、魔王に連なる者と各国を治める統治者だけなのだから』
「……は?」
――いま、何を。
「しっ、――知っているっていうのか? あいつら……この国の皇帝も、俺の国の王も、ぜんぶ」
『そうだ』
「だ、だったらなんで秘密にしてるんだよ!? おかしいだろ!」
旅をする中で、祖国のみならず各国の統治者に見えることも幾度かあった。その都度、魔王については尋ねてきたが、皆返す言葉は知らないの一点張りだったのだ。
『勇者にそれを知られては困るのだ。奴らが望んでいるものは、世界のために身を捧げることの出来る、無知で哀れな勇者という傀儡なのだからな。……よくもまあ、このような仕組みを考えたものだ』
マモンの口振りから察するに、今話された真実は今代まで脈々と引き継がれてきたことなのだろう。
ユルグ以前の勇者も同様に、何も知らず知らされず、良いように扱われてきたということだ。これほど胸クソ悪い話があってたまるものか。
怒りに身を震わせているユルグを、マモンは冷ややかな眼差しで見つめる。
『時に勇者よ。お主に一つ聞きたい』
「……なんだ」
『勇者は何の為に在ると考える?』
――勇者は、何の為にあるか。
それは、今までユルグが幾度も自問自答してきたものだった。
考えて考え抜いて、それでも終ぞ答えが出ることはなかったのだ。
「それを俺が知っていると思うか? ……知っていたのなら、俺はこんなクズにはなっていない」
それに意味を見出していたのなら、ユルグは変わらず魔王討伐の旅を続けていたはずだ。師匠の死を乗り越えて、新たな仲間と共に今も世界を回っていただろう。
『表面的な物事だけを見るならば、勇者は魔王を倒す為だけに在る。それだけは嘘偽りのない真実だ。だが、それの真意はまた別にある』
「……お前を倒すだけじゃ、終わらないってことか」
『そういうことになる』
肯定したマモンの真意を掴みかねていると、彼はおもむろに開口した。
『お主に納得のいく説明をするには、まずは己が何の為に存在しているのか。それを説かなければならんな』
勇者の存在に意味があるのなら、魔王の存在にもまた意味がある。
ただ倒されるだけの悪役というわけでは無いということか。
『先も言った通り、魔王というものは瘴気より生まれる魔物と同一であると話したな』
「……ああ」
『詳しくは、似て非なるものである。性質は似通っているが人に仇なす存在ではない』
「自分は無害だって言いたいのか?」
『そうだ』
「それならなぜ勇者に倒されなきゃならない。人畜無害なら、放って置いても良いはずだろ」
『そうできない理由があるのだ』
明らかな矛盾に指摘すると、マモンはかぶりを振った。
それに眼を眇めて、続く言葉を待つ。
『今ではこうして自我が芽生えてはいるが、己が創られた当初はただの浄化作用の一部だった』
「……浄化?」
マモンの口から聞き慣れない単語が飛び出た。
――浄化作用。
何に対しての浄化なのか。ふわふわと掴み所のないそれに困惑していると、マモンから問いかけが飛んできた。
『お主も見た事があるのではないか? 大地に穿たれた大穴を』
「……虚ろの穴のことか?」
『あれは遙か昔から存在しているものだ。そこから溢れ出てくる瘴気を制御しようとして生み出されたのが己だ』
「……待ってくれ。あれはどうにもならないんじゃないのか?」
帝都の神殿で、僧侶が言っていた言葉を思い出す。
瘴気の毒に冒された生物は人の手では殺せない。だから虚ろの穴に安置するのだと、彼女はそう言っていた。
『言っただろう。だから浄化なのだ』
そこまで聞いて、ユルグの脳裏にある記憶がよみがえる。
スタール雨林にあった祠――虚ろの穴には、祭壇に漆黒の匣が安置されていた。あの時は何の意味があってこんな場所に置かれているのか分からなかったが、マモンの話を聞けば疑問も晴れていく。
「あの匣のようなものが、そうだっていうのか」
『……匣? ああ、贋作のことか』
「……贋作?」
『あれは、己に似せて創られた紛い物だ。瘴気を無効化出来るが容量が存在する。永久的に押さえ込める代物ではない。……その点を言えば、己も似たようなものではあるがな』
マモンはそこで一度、深く溜息を吐き出した。それは何かを嘆いているようにも見える。
『己を創り出したのは、ログワイドというエルフだ。奴は浄化作用などとは言わず、呪詛と呼んでいた』
「呪いの類いだっていうのか?」
『然り。今はそれが自我を形成するに至っているが、初めはそうではなかった。適合する生物に取り憑き、瘴気の浄化を可能にする。しかし、あれは生体には毒になるのだ。己が憑いているからと言っても、毒素に蝕まれればいずれ身体は朽ち果ててしまう』
言い終えて、マモンはユルグを真正面から見据えた。
『ここまで言えば、勇者が何の為に在るのか。分かったのではないか?』
その言葉に、ユルグは今まで聞いた情報を整理する。
何も知らされず無知のまま、世界の為に身を捧げなければならない。そうして創られた勇者が、最終的に成すことは魔王の討伐。
何も知らされないのは、知って欲しくないからだ。つまり知られては不都合のある事実を隠蔽して、勇者であれと祭り上げているに過ぎない。
これだけでも胸クソ悪い話ではあるが、きっと裏に隠れた真実はこれだけではない。
――知られてはならないこと。
それが、謎を解明する肝心要の部分である。
マモンは、勇者は傀儡のようなものだと言った。
操り人形――操者の手によって動かされる哀れな人形。何の疑問も持たず、与えられた使命を全うするだけの傀儡。
勇者は魔王を倒す為だけに存在する――いや、存在しなければならない。
それが絶対の真理でありだからこそ、それに背いたユルグは不適格とみなされ死刑宣告を受けた。
そうまでして魔王を討伐する意味――それは、今マモンが話した内容である程度察することは出来る。
あとは、最後の答え合わせだ。




