魔王の密談
事の顛末を静観していたマモンは、内心驚いていた。
勇者と城で相見えた時に交されていた、ユルグとミアの会話を盗み聞きしていたことで、彼がどういった人間なのかはマモンも理解していた。
誰しもが思い描く勇者像を持ち合わせていないというのはもちろんのこと、それが原因でこういった事態がいずれ起きることは予見していたのだ。
しかし、アリアンネがここまで憤慨するとは彼も思ってはいなかった。
「お、お嬢様……待ってください!」
「ティナは皆の元へ戻っていなさい。わたくしはやるべき事があるのです」
「ですが……」
ティナもここまで機嫌の悪いアリアンネは初めて見たのだろう。いつも気丈に振る舞っている彼女には珍しく、オロオロと慌てふためいている。
『己がついている。危険は及ばないと約束しよう』
「……わかりました」
渋々頷くと、ティナは重い足取りで荷馬車の方へと戻っていく。
同行者がいなくなって、アリアンネは足早に依頼された薬草が生えている森ヘと足を踏み入れた。
草の根を分けてズンズンと進む彼女の様子は、やはりまだおかんむりであるらしい。
何か言葉を掛けた方が良いかとマモンが思案していると、歩幅を同じくしていたアリアンネが口を開いた。
「マモン」
『なんだ?』
「なっ……何なんですかあれは!?」
今まで溜めていた鬱憤を晴らすかの如く激昂したアリアンネは、拾った木の枝で思い切り道行きを塞ぐ枝葉を叩く。
普段怒ることなどない彼女の発散方法に、これまた珍しい物を見たと興味津々でその様子を眺めていたマモンを置いて、アリアンネの文句は続く。
「どうしてあそこまで非情になれるのか。わたくしには理解出来ません!」
『そうであろうなあ』
言葉の語尾を強めるアリアンネとは対照的に、マモンはのんびりと返答する。
『まあ、得てして成ったと言わざるを得ないであろうな。勇者とソリが合わんと、予想はしていたことだ。しかし……お主がここまで憤慨するとは思ってはいなかった』
冷静なマモンの意見に、アリアンネは荒々しい歩調を止めて傍らを見遣る。その眼差しを受けながら尚も続ける。
『あれは合理的というか、利己的というか。そういう考えの出来る人間だ。もっとも最初からそうだった訳でもないだろうが、考え方だけを見れば己と似ている所がある。人間であるから冷徹になりきることは難しいが、それでもお主を呆れさせるだけの度量はあるわけだ』
「……マモン。貴方面白がっていますね?」
『おお、バレてしまったか』
「わたくしは真剣なのです!」
おしおきと言わんばかりにマモンの首根っこを掴むと持ち上げられる。今の宙ぶらりんの状態を見られては、魔王と言われても説得力の欠片もない。
『そうは言ってもだ。アリアンネは己の信念を曲げる気はないだろう?』
「当たり前です! 困っている人が居るならそれが誰であろうと助けるべきではないですか」
『その理念は尊敬に値するが、だとすれば今後、勇者とはどうあっても相容れないだろうな。他人に言われて意見を変えるほどあれも芯が弱くはない』
マモンの率直な意見に、アリアンネは口籠もった。
それは彼女も理解しているらしい。根っこの部分で、どうあってもわかり合えないだと知っているのだ。
『しかし、そうなってしまえば色々と不都合が出てくるわけだ』
「……そうですね」
『お主の言う穏便に事を進めるというのは、叶いそうにもないな』
二人の目的には、勇者という存在が必要不可欠なのだ。そのためには前提条件として、信頼を勝ち取らなければならない。
いざとなれば力業でいくのも厭わないと考えているマモンだが、アリアンネはそれを嫌っている。それ故にこれまで回りくどいやり方をしてきた。
勇者を追っているというミアに同行したり、彼女が軟禁された時も皇帝に猶予を求めて方々を探し回ってきたのだ。
前者は偶然であったが、後者に関してはアリアンネの意見にマモンは反対していた。わざわざ探し回らずとも、国を挙げて探し出してくれるというのだから労することはない。
しかし、それでは勇者に警戒されてしまう。そうなっては元も子もないという彼女の意見に従って、ああして広い国内を走り回っていたわけである。
「……どうしましょう」
困り顔でマモンを抱きかかえたアリアンネは嘆息する。
ここまでの苦労が全て水の泡、とはいかないが厳しい状況であることは否めない。けれど、悲観するアリアンネとは対照的にマモンは先を見据えてもなお冷静であった。
『そう落ち込まずとも大丈夫だ』
「……なにか策があるのですか?」
『お主らの関係修復という点においては難しいが、目的を達するのなら何の問題もない』
「実力行使は駄目だと言っていますよね」
『安心しろ。己が手を出さずともこの旅の先を見据えるなら万事抜かりはないよ』
マモンの返答に、アリアンネは首を傾げた。何を言っているんだと言わんばかりの様子に、続けて補足を入れる。
『勇者の目的地はラガレットのシュネー山と言っていただろう』
「ええ、そう聞いています」
『奴の目的はあそこに住まう魔物――黒死の龍を斃すことにある。ようは仇討ちだ』
「……黒死の龍、ですか?」
『うむ。しかしあれは普通の魔物ではない。己の記憶違いでなければあの山には穴があったはずだ。……ここまで言えば、己が何を言わんとしているかは分かるな?』
マモンの言に、アリアンネはハッとした。
その顔はやはり浮かないものであるが、どうあってもこの結末は阻止出来るものではない。勇者に危険だからやめろと諭したところで、それこそ今回の騒動以上に聞き入れてはもらえないだろう。
『どう抗っても、行き着く先は同じということだな』
「……そうですね」
重苦しく頷くと、アリアンネはマモンを地面に下ろした。
先ほどは憤慨していたが、心根が優しいからか。その顔には憂慮が透けて見える。その感情をマモンは理解出来ないが、きっと良いものであるのだろう。
『何はともあれまずは、ここから戻ったのなら謝るところからだな』
「わたくしから謝罪するのですか!?」
『何も非を認めろとは言っていない。迷惑を掛けたくらいは言っておいても良かろう』
「そ、そうですね……いや、でも」
ぶつぶつと独り言を繰り返すアリアンネを見遣って、マモンは愉しげに笑みを零すのだった。




