頼もしい協力者
――数十分前。私室にて。
「浮かない顔をしていますね」
『うむ……』
アリアンネの膝上に乗せられたマモンは、彼女の問いに重苦しく答えた。
相棒のこういった態度は何も珍しいことではない。アリアンネと違って、マモンは慎重すぎるきらいがある。きっと今後の事を考えて少しばかり憂鬱になっているのだ。
「あまり悩みすぎるのは良い事とは言えませんよ」
『そうは言ってもだな』
「目的に近付いたのですから、少しは喜んでも罰は当たらないと思うのですけど」
励ますようなアリアンネの言葉に、マモンは首を捻ってその穏やかな微笑みを見上げた。けれど、どうあっても胸中の憂いは消えてくれないらしい。
『あれはかなり手強いだろうな』
「……勇者様の事ですか?」
『ああ、そうだ。己の所見では、説得に応じる事は無いだろう』
「理由を聞いても?」
『生きる意思のない者を繋ぎ止めるのは容易ではない。お主なら身に染みて分かっているだろう』
「……そうですね」
マモンの問いかけに、アリアンネは静かに頷いた。
かつての自分がそうだったのだ。今はマモンのおかげで事なきを得たが、そう考えると彼の所見とやらにも納得はいく。
「しかし、勇者様はどうしてそんな考えに至ったのです?」
『そう不思議がることもない。境遇は違えどお主と同じであるのだ。であればその気持ちは推して知るべし、であろうなあ』
マモンは平坦な声音で告げた。そこには哀惜も煩慮も何もあったものではない。彼の性質上それは仕方の無いことである。
『それに加えてあれの心中は複雑だ。勇者という役目を拒んでいるくせに、それに縋っていなければ生きられない。明らかに矛盾している。あれがそれに気づいているのかは定かではないが、滑稽ではあるな』
「――マモン」
窘めるように名を口にすると、マモンはばつが悪そうに口を噤んだ。
「苦しんでいる人間を悪し様に言うのは関心しませんね」
『それは』
「貴方は同じことをわたくしにも言えますか?」
『……いいや』
アリアンネの叱責にマモンは力なく首を横に振る。
「誰に対しても慈愛を持ってください。貴方には難しいでしょうけど、魔王様なら出来るはずですよ」
『それは……魔王であることは関係ないだろう』
「ふふっ、バレちゃいましたか」
『……善処しよう』
素直に頷くマモンに、アリアンネは柔らかな笑みを浮かべて話を続ける。
「ですが、そうですね。マモンの言う通り厳しいことには変わりありませんね」
『だからといって諦めるつもりは毛頭無い。なあに、手段を選ばぬならやりようは幾らでもある』
「マモン、わたくしがそれを許すと思いますか?」
『分かっている。だから、これは本当に最後の手段だ。それを肝に銘じておいて欲しい』
マモンの言葉に、アリアンネは頷いた。
彼の決意は固い。誰に何を言われたとしても、アリアンネと交わした約束を違えはしないだろう。
マモンは自分の事を心のない怪物であると揶揄するが、それは違うとアリアンネは思う。もしそうであるのならば彼はここまで親身になってはくれないのだ。
マモンの成そうとしていることは、突き詰めればアリアンネを想ってのこと。それを親愛と呼ばず何とするのか。
『――っ、ぐぬぅ……それはやめてくれないか』
「良いじゃないですか。減るものじゃありませんよ」
その事が嬉しくなって、膝上に座しているマモンの頭をわしゃわしゃと撫でる。
マモンの苦言に笑って流しながらじゃれていると、不意に部屋のドアがノックされた。
「どうぞ」
「――失礼します」
部屋の中に入ってきたのはティナだった。客人を部屋へと通すように言いつけて、それを終えた帰りだろう。
「お取り込み中でしたか?」
「いいえ、大丈夫ですよ。どうしました?」
「その……少しお話をさせてもらっても宜しいでしょうか」
「良いですよ」
どうぞ、と自分が座っていたベッドの淵へと促すと、ティナはそれに従った。
緊張しているのだろうか。先ほど食事を共にした時と比べて表情が硬いような気がする。その事にアリアンネが気づいたと同時に、ティナは息を吐き出すと本題に入った。
「お嬢様に、お尋ねしたいことがあります。……ディトの、あの子の最期はどんなものでしたか」
「ディト、ですか?」
「お嬢様にこんなことを聞くべきではないと分かっているのですが、それでも姉として知っておきたいのです」
ティナの真摯な訴えに、アリアンネは表情を強張らせた。それはいつもの彼女からは想像もつかない反応であり、その事にいち早く気づいたのはティナであった。
「――っ、すみません。どうしても話したくなければこれ以上は」
「いいえ、そういうことではないのです。話したくない訳ではありません。その、話せないのです」
「それは」
「貴女の弟君のことを、わたくしは一つも覚えていないのです」
「……覚えていない?」
アリアンネの言葉に、ティナは理解が及ばずにオウム返しに聞き返す。しかし、彼女の答えは変わらない。
予想外の返答に、ティナは困惑しながら子細を尋ねた。
「何があったのですか」
「……それは話せません」
「そんな答えでは納得できません!」
苛烈なティナの態度に、アリアンネは何を言うでもなく彼女から目を逸らす。けれどそれをティナは許さなかった。
「……お嬢様、誤解無きように。私は貴女様を糾弾するつもりはないのです」
先ほどと打って変わって、穏やかな声音にアリアンネは再度ティナを見つめた。
「八年前、お嬢様とディトがお役目の為、旅立って行かれた時より、あの子とはこれが今生の別れになると予感していました。……ディトは私とした約束は守れなかったけれど、私の願いは果たしてくれたのです。どちらも望んでは傲慢ですから、それで十分なのです」
「……ティナ」
「私が先ほど声を荒げたのは、お嬢様の御身を想ってのことです」
――だから、憎んでなどいません。
ティナの穏和な態度から、それは嘘ではないのだろう。けれど、だからといって彼女に全てを打ち明けてしまうのは酷な事である。
それが分かっているからこそ、アリアンネは話すべきかどうか思い悩んでいた。
『――アリアンネ』
「……マモン」
『これ以上は誤魔化しきれるとは思えない。真実を話してしまっても良いのではないか。懐疑を向けられるよりは幾分かマシであろうよ』
「……ですが」
『話せないのなら己が変わろう』
マモンの申し出に、アリアンネは躊躇いながらも頷いた。
『事の経緯を話す前に、お主に聞いておかねばならぬ事がある』
「なんでしょうか」
『これから先、何があってもアリアンネの味方でいると誓えるか?』
「もちろんです」
ティナの即答に、マモンは肯首して語り出した。
『――というわけだ。理解出来ただろうか』
「……まだ少し混乱していますが。大凡は」
『理解が早くて助かる』
マモンの口から全てを聞き終えたティナは深く息を吐き出した。そうして顔を上げると、真正面からアリアンネと向かい合う。
「お嬢様」
「はい」
「お辛くはありませんか?」
予想外のティナの言葉に、アリアンネは意表を突かれて固まった。
「――え?」
「無理をしてらっしゃるのなら」
「いえ、そんなことはありませんよ」
「……本当に?」
「ええ、辛かったことは全て忘れてしまったので、何も問題は――」
「でしたらなぜそんな顔をなさるのですか」
おそらく無意識であったのだろう。金色の瞳から零れた涙を指先で拭って、ティナはアリアンネを抱きしめた。
主人の今までを想えば胸が張り裂けそうになる。けれど、泣いていいのも嘆いていいのも自分ではない。
ティナに出来ることは、彼女に寄り添って助けてあげることなのだ。
「マモンと言いましたか?」
『なんだ』
「私もお嬢様にお供します。貴方だけでは不安ですから」
『それは頼もしい限りだ』
ティナの決意を聞いて、マモンは密やかに一笑するのだった。




