どちらか一つ
食事を終えたユルグたちは城の客室へと戻ってきていた。
既に夜も更けてきている。
今晩は上等な客室で一夜を明かしてくれという、アリアンネの配慮で舞い戻ってきたのだ。
「今晩はこちらの部屋をお使いください」
「ありがとう」
ティナは、それぞれに客室をあてがってくれた。室内は柔らかなベッドに豪華な調度品の数々。流石、皇帝の住まう城である。
「さて、俺も休むとするかな」
背負っていた剣を下ろして身軽になると、ユルグはベッドに寝転んだ。予想以上にふかふかの寝心地で、疲れ切っている身体には至福である。
平時であれば横になった瞬間に寝入ってしまうだろうが、如何せん何をしていても右腕の痛みが気に障る。多少は慣れてきたが、そうは言っても神経を突き刺すような痛みが続いては易々と熟睡させてはくれないだろう。
けれど、こうしてベッドに横になっているだけでも休息にはなるものだ。
目を閉じてしばらくの間、身体を放り投げていると不意に部屋のドアが開いた。
「ユルグ」
聞こえてきた声はフィノのものだった。それに応じることなく黙っていると、ベッドの傍まで近付いてくる気配。
「おきてる?」
「寝てる」
「おきてるね」
目を開けると、こちらを覗き込んでくるフィノの姿があった。
先ほど別れるときに大人しく寝ていろと釘を刺したのだが、なぜかユルグの元へ来ている。理由などもちろんユルグには知れないわけだ。
「……なんで来たんだ?」
「んぅ、ひとりだとおちつかない」
フィノはおかしな事を言い出した。普通ならば逆じゃないのか。
「ミアの部屋に行ったらどうだ。そっちの方が色々と安心だろ」
「そうだけど……いっしょにねていい?」
言うや否や、フィノはユルグが横になっているベッドに潜り込んできた。
「良いって言ってないだろ」
「だめ?」
「当たり前だ。一緒に寝て欲しいならミアの所に行け」
そう言ったところで、フィノがベッドから出て行かないことなど分かりきった事である。
どうせ寝られないから部屋に一つしか無いベッドを占領されてもどうってことはない。ソファもあるし、横になるならそこでも問題はないのだ。
ここで無理矢理ベッドから押し出すのも無駄に体力を使うだけだし、こうなっては仕方ない。フィノのことはこのまま放置するとしよう。
寝ていた身体を起こして立ち上がると、フィノは残念そうに声を上げた。しかしそれに応じるユルグではない。
無視を決め込んでソファまで向かおうとしたところ、伸びてきた腕に引っ張られてベッドの淵へと逆戻りしてしまった。
「離してくれないか」
「……あのね」
ユルグの言葉を無視して、フィノは話し出した。
「おいていかれて……おこってないけど、さびしかった」
「そうか」
「うん……だから、ずっといっしょがいいなあ」
眠そうな声音で言うと、それきりユルグの返答を待たずにフィノは寝てしまった。ユルグを留めていた手は眠りに落ちると同時に離れていく。
「……それは無理だ」
冷たく言い放った言葉に、返事はなかった。
どうして揃いも揃って、こうも叶いもしない願いを押し付けるのか。それがどうにもユルグには理解出来ない。
ソファに座って悶々としていると、またもや部屋のドアが開いた。
次に姿を見せたのはミアだった。
「どうしたんだ?」
「うん、少し眠れなくて。ユルグは?」
「俺も似たようなものだよ。……座ったら」
「う、うん」
扉の前で立ち尽くしていたミアを促すと、彼女はソファに座っていたユルグの隣へと腰を下ろす。
そこでベッドで寝ているフィノに気づいたようだ。
「どうしたの? あれ」
「一人じゃ寝られないとか言って押しかけてきたんだ」
「ふぅん」
「……そういうんじゃないからな」
「私まだ何も言ってないけど」
キスをしたと聞いた時に、ミアはものすごく取り乱していた。今回も誤解されては大変だと思い先手を打ったのだが悪手だったみたいだ。
じろじろとこちらを見つめるミアの視線から逃れるように明後日の方向を向いたユルグだったが、声を掛けられてすぐに向き直る事となる。
「そういえば、腕怪我してるってフィノに聞いたけど大丈夫なの?」
「ああ、うん。問題ないよ」
「そっか」
腕を吊っていると余計な心配を掛けるから、神殿で処置してもらった時に添え木と吊るしは外していた。
実際は骨折もまだ完治していない。けれど、常に右腕の痛みは伴っているから今更骨が折れていようとも些細な事である。流石に不意打ちで触られては反応してしまうが、黙って隠し通す分には問題なく欺けるはずだ。
ユルグの予想通り、ミアは気にした素振りを見せなかった。
「……あのさ、こんなこと言うのっておかしいと思うんだけど……その、私ユルグと一緒に旅が出来ることがとても嬉しい」
「……うれしい?」
「たまに帰ってきてもすぐに旅立っていっちゃうじゃない。ユルグは迷惑だと思うけど、一緒にいられるって思ったら、嬉しくて」
ミアの言葉通り、勇者として旅に出てからというもの彼女と一緒にいられた日は両手で数えられるほどしかない。
そのことを喜んでくれるのは、ユルグにとっても嬉しいことである。けれどそれと同時に胸に去来する罪悪感に表情が陰る。
数時間前ミアと話したとき、彼女には酷いことを言ってしまった。
何年も戻ってこない幼馴染みの帰りをずっと待って、身を案じてくれていた。そうしてこんな異国の地まで追ってきてくれたのだ。それなのに、彼女の望む言葉を掛けてはやれなかった。
本当ならば嘘を吐いてでも安心させてやるべきなのだ。勇者であることの責務からは逃れられないが、必ず戻ると約束して少しでも不安を取り除いてあげるべきだった。けれど、ユルグはそうしなかった。
ミアには幸せになって欲しい。それがユルグの唯一の願いである。
何にも期待せず、どれだけ絶望してもその想いだけはずっと変わらなかった。
しかし、幾らそれを願ったからといって、今のままでは叶えられない。ミアにとっての幸せはユルグがいなければ成立しないのだ。
どう転んでも立ち行かない。悩んだ挙げ句、ユルグが出した答えは残酷なものだった。
「ミアは、どうしたら諦めてくれる?」
「……諦めるって、何を」
「俺を好きだって言ったろ。その事だよ」
突然の事にミアは困惑しながらユルグへと詰め寄った。
「なっ、なんでそんなこと言うの」
「俺は、ミアには幸せになってもらいたいんだ」
「だったら」
「でも、俺は傍には居てやれない。ミアの願いと俺の願いは相容れないんだ。だったらどちらかが折れるしかないだろ」
ユルグが勇者でなければ、少なくともミアの傍には居られる。全てを投げ出せば、普通の生活は送れるのだ。けれどそれはどうあっても叶わない。両者の願いを天秤に掛けた場合、どちらが容易であるかは明白だ。
「なんでどちらか一つじゃないとダメなのよ」
「俺はどちらか一つしか選べない。今までだってそうだった。それに――」
言いかけて、ユルグは口を噤んだ。
これを彼女に打ち明けて良いものなのか。ミアは知る必要の無いことだ。けれど、説得するにはこれしか方法は無い気がした。
「ミアに聞いたことがあったろ。結婚しないのかって」
「う、うん」
「あの時、おじさんに言われたんだ」
「……お父さんに?」
「生きて戻ってくるかも分からない人間に娘はやれないってね。俺もその通りだと思ったよ」
――旅に出てから三年目。
久々に村へと戻って、慣れ親しんだ家へと帰った。
三年ぶりに見た育ての父の顔は、ユルグが旅立つ前に見たものよりもかなり老け込んでいるように見えた。ミアからも聞いたことだが、ユルグが戻ってくる一年前に彼女の母親が亡くなっている。ベッドに横になっている父の心労は想像に難くないものだった。
そんな父が、突然ユルグに言って聞かせたのだ。
『あの子の傍にも居られない。いつ帰ってくるかも、生きて戻ってくるかも知れない人間に、娘はやれない』
ミアの父親はとても良い人だった。ユルグの両親が亡くなって独りきりになったときも、真っ先に一緒に暮らそうと言ってくれた。その上、実の息子のように可愛がってくれたのだ。
誰よりも恩を感じているし、恨み言など一つも出てこない。
そんな父があえてユルグに言ったのだ。
今となってはあれが父の最期の願いである。どうあってもユルグはそれを叶えなければならない。
「おじさんは俺よりもミアの幸せを願っていた。だからあんなことを言ったんだろうね」
「……うん」
「そして、それは俺も同じだ。ミアには幸せになってもらいたい」
もちろんそれだけが理由の全てではない。その他に様々な要因があって、ミアに幸せになってもらいたいというユルグの願いに帰結するのだ。
「だから、諦めて欲しい」
しかし、そう上手く事は進んではくれないみたいだ。
「――はあ!? ぜったいイヤ!」
「……だと思ったよ」
「分かってるなら最初から言わないでよ」
怒ったように顔を背けて、ミアは嘆息した。
そんな彼女の様子をちらちらと窺っているとこんなことを言い出す。
「本当はとっても優しい人なのに、私には優しくないよね」
「……そんなことは」
「ないとは言い切れないでしょ」
「うっ……うん、そうだな」
否定もしきれずに頷くと、ミアは微かに口元をほころばせた。
「ごめん、意地悪言っちゃった。今の忘れて」
「俺も酷いこと言ってるし、おあいこだよ」
たとえ今ミアに殴られたって文句は言えないのだ。
「そっか……じゃあ、私そろそろ寝るね。明日早いから」
「うん、おやすみ」
――また明日ね。
そう言い残して、ミアは部屋を出て行った。
残されたユルグはソファの背もたれに身体を預け、天井を見上げる。
分かっていたことだが、ミアを説き伏せるのはかなり至難である。何をどうやっても彼女は首を縦には振らないだろう。頭の痛くなる問題がまた一つ増えてしまったわけだ。
「悩んでいても仕方ないか」
独り言を吐いたユルグに応えるものは誰もいない。
水を湛えたような静寂に、フィノの微かな寝息が響くだけであった。




