背中を追いかけて
宿舎で暮らすようになって、一番始めに役割分担をした。
そも、分担と言ってもユルグは怪我をしているからフィノが率先して色々やっていたのだが。
そんな中、食事当番を任されていたから、ここ数日、フィノの目覚めはユルグよりも早かった。
宿舎に部屋は沢山あるけれど、なんとかユルグを言いくるめて二人部屋で寝起きしている。
左右の壁際に置いてあるベッドの一つに寝転がって横を向けば、人の形をした毛布の膨らみが見えるのだ。決まって壁の方を向いて寝ているものだから寝顔は見えない。それでも、同じ空間に居てくれるのだと思うと、なぜか安堵が胸の奥から湧き出してくる。
朝日が空を染め上げてきた、早朝の時間帯。
いつもより少し早起きをしたフィノは、既に空になっていたベッドをぼんやりと眺めて――その理由を考える。
きっと、今までこんなことをしてくれる人が、フィノの傍には誰も居なかったからだろう。手を差し伸べてくれる者は誰一人としていなかった。両親も兄弟も、友達も。普通の人生を送ってこなかった少女にとって、初めてが彼だったのだ。
森の中で助けられて、すぐさま奴隷商へ売りつけると言われたけれど。善意ではないし、普通とは少し違っていたけれど、それでもフィノにとっては手を差し出してくれた初めてだったのだ。
「……どこいったんだろ」
未だ醒めきっていない頭で考えて、フィノは室内を見回した。
ベッド脇に置いてあったユルグの荷物は一切ない。ベッドの主と一緒にもぬけの殻である。
もしかしたら、朝早くからどこかに出掛けて行ったのかとも一瞬考えた。しかし、そうであったのならユルグは必ず一言、フィノに伝えてから行くはずだ。今まではそうだった。そうしないと面倒な事になると分かっているからだ。
だから、今のこれは――
「おいていかれたんだ」
言葉にすると途端に悲しくなって、フィノは俯いて唇を噛んだ。
昨日まで、そんな素振りすら見せなかった。わざと気づかれないようにしていたのかもしれない。
ここまで一緒に旅をしてきて置き去りにするなんて、普通ならしないものだ。けれど、ユルグならにべもなくしそうではある。元々、そういう姿勢を貫いていたし驚きはしない。しかし、それにしたって急すぎる。
わざわざここまで世話を焼いて置いていく理由なんて、熟考したところでフィノにはさっぱりだ。けれど、何かあって心変わりしたのならば、納得は出来ないが理解は出来る。昨日のユルグは様子がおかしかったし、それがきっかけならば得心がいくというものだ。
「よし!」
そうと決まれば、落ち込んでなんかいられない。
顔を上げて、フィノは座り込んでいたベッドから立ち上がった。
ユルグはフィノに着いてくるなとは言わないと、そういった。置いていかれたのならば追いかければ良い話だ。
幸いにもユルグの目的地は把握してる。昨日、ギルドで依頼を受けるに当たって今後の予定も話してくれたからだ。
――帝都、ゴルガ。
そこに用があると、ユルグは言っていた。そこに行って何をするかまでは聞いていない。けれど、今はどこに向かっているか分かれば十分だ。
荷物をまとめると、フィノは宿舎を飛び出した。
向かった場所は、乗合馬車の停留所。ここから帝都までは、とてもじゃないが歩いていける距離ではないから馬車で向かうのだとユルグが言っていた。
キョロキョロと辺りを見回すが、それらしい人影は見当たらない。
挙動不審にしていると、不意に背後から声を掛けられた。
「お嬢さん、乗ってくの?」
聞こえた声に振り返ると、体格の良い御者がフィノへとにこやかな笑みを向けていた。
「うっ、ええと。そう……だけど」
しどろもどろになりながら、取りあえずフィノは頷く。
乗せてもらわないとユルグを追いかけられない。しかし、それよりも前に確認する事がある。
「ひと、さがしてる」
「人捜し? ここの停留所は帝都直通だけど……ああ、もしかしたら朝早くに乗ってった人のことか? 腕怪我してる」
「それ!」
どうやらユルグの行方は御者の覚えにもあったらしい。こんな早朝に帝都まで向かう人間はそうそういないから、珍しかったのだそうだ。
「それで、乗ってくかい?」
「うん!」
勢いよく頷いてから、フィノは気がついた。そんな金は手持ちにはないことに。
そもそも、ギルドの依頼を受けて稼ぐのだって、帝都へ向かう為だとユルグに説明を受けていたのだ。
さっと青ざめたフィノを見て、御者の男は値踏みするように見つめてきた。
「……もしかして、金が無い?」
「これしか」
昨日稼いだなけなしの八十ガルドの入った財布を、取り出して男に手渡した。中身を確認すると、渋い顔をされる。
「これじゃあ足りないね」
「……うん」
「値引きしても良いけど流石にこれっぽっちじゃあ、乗せてやるわけにはいかないよ。何か他に金目の物を持っているなら、考えてやらないこともないけどね」
「おかねになりそうなもの」
男に渡した財布だけがフィノの全財産である。装備を売れば多少は工面出来るが馬車代の二百ガルドにはどうやっても足りない。
今日一日かけてギルドで依頼を受けて稼ぐというのも考えたが、追いかけるなら早いほうが良い。ユルグがずっと帝都に留まっているとも限らないのだ。
どうしようと悩んで――ふと思い出して、フィノは首元からある物を取り出した。
「これは?」
「へえ、上等な宝石じゃないか」
フィノが男へと手渡したのは、形見のペンダントだった。
陽の光を反射してきらきらと輝くそれをかざして、男は目を眇める。
「うん、これなら馬車代の足しにしても釣りが来るよ。でも、良いのかい? 大事なものなんだろう?」
「いいよ」
男の問いに、フィノは即答した。
大事なものだけど、ここで惜しむ物ではない。
「わかったよ。それじゃあ、すぐに準備するから馬車に乗って待っててくれ」
「うん」
財布を突き返して、男は慌ただしく出発の準備に取りかかった。
フィノは言葉通りに馬車に乗り込むと、窓の外をぼんやりと眺める。そこでふと気づいた。
今までは誰かがフィノの傍に居て、図らずとも一人では無かった。奴隷として生きていた時も、ユルグに助けられた後も。ラーセの元で働いていた時だって。必ず誰かがフィノの傍に居たのだ。
けれど、今は誰も居ない。フィノ一人だけだ。
ふと思い至って、無性に心細さを感じた。フィノを知る人間は誰も傍に居ない。たったそれだけがこんなにも不安に感じるとは思わなかったのだ。
「ユルグ、だいじょぶかなあ」
フィノが心配することでは無いのだろう。けれど、孤独に慣れはしてもそれに何も感じないなんて事は無いはずだ。
例え、そうあることを望んでいたとしても、そんな生き方はとても哀しい事だとフィノは思う。
「ほんとに、せわがやけるんだから」




