献身
フィノはユルグの笑った顔が好きだ。
笑うと表情が柔らかくなって、いつも気を張っているような険しさが消える。
ずっと笑っていれば良いのにと、控えめな笑顔を見るたびにフィノはそんなことを思っていた。
でも、今のこれは少し違うのではないかと思ってしまった。
「……ユルグ?」
ただならぬ様子に不安を感じながら、フィノはユルグへと声を掛けた。
すると、胡乱な眼差しがこちらを見たような気がした。薄暗い洞穴の中では、ユルグがどんな表情をしているのか。正確には測れない。
微かな笑い声が聞こえて――でも、それが本当に笑顔であるのかは分からないのだ。
なぜか哀しげに聞こえるものだから、先ほどからどうしても不安が拭えなかった。
「だいじょうぶ?」
「……なにが?」
「だって、おかしいよ」
「ああ……うん。大丈夫だよ」
フィノの答えに、ユルグは逡巡してから「大丈夫だ」と告げる。
けれど、どうしてもその言葉を信じられない。明らかに普段のユルグとは態度が違うし、どことなく上の空のようにも見える。
フィノが何を言いたいのか察したのだろう。ユルグは先ほどと同じ答えを繰り返した。
「俺は大丈夫。少し疲れただけだ」
今度の「大丈夫」は、まるで自分に言い聞かせているように感じた。
それに依然、渋い表情をするフィノを置き去りにして、ユルグは屈み込むと地面に横たわっている骸の解体を始める。
「だから、さっさと解体して宿舎に戻るぞ」
「う、んぅ……わかった」
未だ不安は拭えないが、これ以上何を聞いたってユルグは「大丈夫」と答えるだろう。だったらそれを信じるしかない。
疲れているのなら早く終わらせて宿舎に戻って休んでもらおう。身体も心も、疲れてしまった時は温かいご飯とお風呂が一番だと、ラーセが言っていた。
宿舎に帰ったら、温かい風呂にゆっくりと入ってもらって、美味しい夕飯を作ってあげないと。一昨日からずっと同じ飯だけで飽きてきたとユルグも言っていたし、ちょうど大量の熊肉も手に入ったのだ。香草焼きにしてみたらきっと美味しく出来る。
そうと決まれば――俄然やる気に満ちたフィノは、ケイヴベアを解体し持てる分だけ街に持ち帰って換金。その後、ギルドの依頼報告を済ませたのちユルグと共に宿舎へと戻ってきた。
まだ夕刻には少し早い時間帯だが、ユルグも疲れていると言っていたし、今日はもう何もしない宣言をして、ユルグには部屋で休んでもらうことにしたのだ。
そもそも、怪我をしているのだし安静にしてもらわないといけない。風呂の準備が出来るまで部屋にいて、と押し込めて今に至る。
「ユルグ、おふろ」
準備が出来たので部屋に呼びに行くと、あれだけ何遍も休んでてと言ったフィノの言葉を無視して、ユルグは机に向かって装備の手入れをしていた。
その後ろ姿にムッとするも、フィノが口を開く前にユルグが振り返る。
「はやいな」
「……なんでねてないの?」
「まだ日が昇っている時間帯じゃ、寝るには早いだろ」
「んぅ、けがしてるのに」
ユルグの怪我が治りきるまでこの街にいることになるのだ。そんなに急いですることでもないと文句を零したフィノに、ユルグは少しだけ不思議そうな顔をした。
「それだけか?」
「なにが?」
「一緒に風呂に入るってのは良いのか」
「ユルグ、つかれてるでしょ」
――だから、いいよ。
フィノのしおらしい態度に、ユルグは驚いたのか。一瞬固まって、それからこんなことを言いだした。
「お前、大丈夫か?」
「ユルグにいわれたくない!」
「……まあ、煩いのがいないのは良い事だな」
苦笑を刻んで、ユルグは椅子から立ち上がるとドアの前に立ち塞がっていたフィノを押し退けて部屋から出て行った。
数時間前――洞穴の中で見たユルグと比べると、今の彼は普段通りだった。こうして目の当たりにすると、あの時のユルグは本当にフィノの知っているユルグだったのか。考えれば考えるほど信じられなくなってくる。
もしかしたら、あの薄暗い洞穴に居たのはユルグでは無い別人だったのではないのだろうか。そんな馬鹿げた考えが浮かんでくるほどだ。
それほど、あの時のユルグは普段の彼とは逸脱していたのだ。明らかにおかしかった。けれど、それを推してユルグは大丈夫と言ったのだ。
「しんぱいだなあ」
未だ悩みは尽きないが、フィノの出来ることは限られている。その限られた中でユルグの為になることを出来ればそれでいい。
これが少しでも恩返しになれば、それで良いのだ。
ユルグがゆっくりと風呂に入っている間、フィノは夕飯の準備をしていた。
これまた飯の時間には早いが、些細な問題である。
三十分後、風呂から上がったユルグと共に出来上がった食事を配膳してテーブルに着く。
「これ、美味いな」
「ん、ほんとだ」
熊肉を香草焼きにしたのは正解だったようだ。獣臭さが無くなって、肉の旨味が口いっぱいに広がる。お店に出しても十分金を貰えるくらいだ。
「おいしいけど、いっぱいだね」
「余った肉は腐る前に干し肉にでもすれば良い」
解体した肉は運べるだけ持ってきたが、それでも食べきれないほどの量がある。腐らせるのは勿体ないから、少し手間は掛かるけれどユルグの言う通り保存食にするのが良さそうだ。
「ごはんたべたら、ちゃんとやすんでね」
「わかったよ」
うんざりとした様子でユルグは答えたが、わかったと言ってくれた。きっと拒否すればフィノが煩く文句を言うのを知っているからだ。厄介であると思われているのは悲しいが、それでも無理をされるよりはマシである。
対面したユルグの顔色を盗み見ると、風呂に入って食事を摂ったからだろうか。何の問題もないように思える。
ユルグはフィノのお師匠なのだ。怪我も含め、早く良くなってもらわないと。まだまだ教えてもらうことは沢山ある。
それなのに――翌朝、フィノが目を覚ますとユルグの姿は宿舎のどこにもなかった。




