酔いどれ艶聞
――三日後。
日課である朝の雪かきを終えて、ミアとお茶を飲みながら談笑していると、そこにフィノが訪ねてきた。
こんな朝早くの訪問なんて、絶対に何かしらあってのことだ。
内心で警戒していると、そんなユルグの前に紙切れが差し出される。
――アリアンネからの書簡だ。
「ついに来たか……」
「読む前から暗い顔してる」
「お師匠、諦めも肝心」
旅行気分である二人はユルグの気も知らないで好き勝手言う。それに大きく息を吐いて、中身を検めた。
文字を目で追って、分かったことは一つ。
「明日出発だ」
「えっ!? 随分急なのね」
「こいつにそう書いてるからな」
「準備しなきゃ!」
この書簡が届いた次の日には、迎えの馬車が到着する手筈であると書いてあった。
その知らせにミアとフィノは同じくして席を立った。何でも色々と準備があるのだという。
一気に慌ただしくなった室内から、ユルグはこりゃたまらんと避難する。準備やらはあの二人に任せて……今はこちらが先決だ。
外のログベンチに腰掛けると、ユルグは先ほどの手紙に目を通す。
ティナから事前に聞いていたことは、デンベルクで会議があるとだけ。それ以外の情報は渡されていなかった。
だから仔細が書かれているのだろうな、と思っていたら……全くと言っていいほどそれには触れられていない。
「絶対わざとだ……」
アリアンネのことだ。きっとすべてを書いてしまえば、ユルグが絶対に来ないことを見越して、情報を伏せているのだ。
それもそうだとユルグは頭を抱えた。
会議と一口で言ってしまっても、集まる面子が事の重大さを物語っている。
各国を治める権力者たちが一堂に会するのだ。そこに呼ばれたとあっては、会談の内容もなんとなく予測がついてしまう。
きっと一筋縄ではいかないだろうし、確実に面白くない事態になるはず。
それを見越して、アリアンネは直接会ってから話すと書いているのだ。
「……気が進まない」
ミアもあんなに楽しみにしているし、今更なかったことにはできない。けれど嫌なものは嫌なのだ。
……こういう時は、なんだったか。そうだ、現実逃避だ。
「少し街まで出てくる」
「あ、じゃあ私も――」
入用の物を調達しようとミアも声を掛けたが、どういうわけか。ユルグは素っ気なく手を振って、出ていってしまった。
珍しい態度に、二人で顔を見合わせる。
「なあに? あれ」
「んぅ、お師匠……機嫌悪い?」
「さあ?」
分からないけれど、にっこりとはしてなかった。そのくせ何も言わずに行ってしまったから、きっとこれは――。
「うん。たぶん独りになりたいのね」
「ミア、わかるの?」
「なんとなく? フィノ、買い出し付き合ってよ」
「うん!」
仕方ないなと諦めて、ミアはフィノと買い出しに出かけることにした。
馬車での旅だけど、快適に過ごせるならそれに越したことはないのだ。
===
街に繰り出したユルグは、目的の場所に着くと一瞬ためらいつつドアに手を掛けた。
普段見ない客に、カウンター越しの店主は目を丸くして、それからなぜか心配そうな顔をした。
「兄ちゃん、こんな時間にどうした?」
「一番強い酒くれないか」
「ああ?」
注文を聞いた店主は、怪訝そうな目を向けてきた。
そりゃあ、そんな顔もする。こんな朝から酒を飲むなんて、何かあったと勘繰るものだ。
「あんま見ないけど、兄ちゃん酒強いのか?」
「さあ? 普段はあまり飲まないから」
「んだら、もっと飲みやすいやつにしとけ!」
そう言って、店主はマグに酒を注いで、カウンターに置いた。
それを見つめて、思い切って呷る。
鼻腔に香る酒気に、顔を顰めてえづく。
グランツは昼夜問わず酒を飲んでいた。もちろん寝起きの一杯から酒だ。よくもまあ、こんなものを飲めたものだと感心する。
「もう一杯」
「……何かあったんなら聞くぞ」
「いや、何もないよ」
「何もなくてここにゃあ来ねえだろ?」
店主の指摘にユルグは言葉に詰まった。図星である。
しかし相談するほどのことでもないし……今のこれは現実から目を逸らしたいだけで、ただのヤケ酒だ。
二杯目を飲み干していると、店主の目線はユルグの左手へと向かう。
「ああ、わかった。嫁さんと喧嘩でもしたか?」
「……ミア?」
「女は怒るとこえぇんだ。兄ちゃんもわかるだろ?」
見当違いな店主の言動に、ユルグは口元を緩めてかぶりを振る。
「ミアはやさしいよ。いつもそうだ」
「いいねえ。そいで、どこが好きなんだ?」
「うん……ずっとそばにいてくれるんだ」
話しながらユルグの様子を眺めていた店主は、注いでいた酒瓶を見遣る。これはあまり強くない酒なのだが。
「兄ちゃん、もしかして酔っぱらってるのか? まだ二杯目だろ!?」
「もう一杯」
「大丈夫かよぉ」
三杯目を注いでいると、店主の面前でユルグは突っ伏して動かなくなった。なかなかの下戸である。
「おおーい、兄ちゃん。起きろって」
肩を揺するが起きる気配もない。困っていたところで、店のドアが開かれた。
「お酒ください」
偶然にも店を訪れたのはフィノだった。
ミアの買い出しで酒屋にも寄ることになったのだが……途端に見知った姿を見つけて困惑する。
「あれ、お師匠?」
どうしてここにユルグがいるのか。
不思議がっていると、店主がフィノへと目配せをする。
「兄ちゃんの知り合いか? もう潰れちまってよ。悪いけど運んでやってくれ」
「んぅ、いいよ」
買い物ついでに大きな荷物を回収すると、フィノは通りに出る。
背中に背負ったユルグは酒臭い。彼にしては珍しく飲んでいたのだ。それに驚きつつ、どうしようかとフィノは困り果てた。
ミアとの買い出しはまだあるし、通りに放置するわけにもいかない。背負っていくにしても酔っぱらいは重い。
そこまで考えてフィノは適任を思い出した。この時間帯なら街の広場に居るはずだ。
「――マモン!」
『ああ、フィノか。どうしたのだ……それは』
アルベリクの遊び相手として来ていたマモンを呼び止めると、彼はすぐに背負っているユルグに気づいた。
「これ、酔っぱらい。ミアの用事、手伝ってるから連れてって」
『う、うむ?』
ユルグを押し付けるとマモンは鎧姿になってそれを受け止める。そこまで見届けて、フィノはさっさと行ってしまった。
『なんなのだ、いったい』
一人立ち尽くしてマモンは独りごちた。
しかし、このままとも行くまい。離れて遊んでいるアルベリクへ断って、運んでしまおう。
その間に目覚めればいいが……この様子を見るにそんなことはなさそうだ。




