惚れたが因果
ユルグがミアの元に戻ってきて数時間後。
ゆっくり出来ていいなと思っていたがどうにもミアはそうではないようで、しきりに窓の外を気にしていた。
「フィノ、遅いね」
「たぶん……色々やってるな」
その色々にユルグは心当たりがあった。うるさいのが一人増えたのだ。ゼロシキの相手はユルグでも手に余る。あちらがどうなっているかなど簡単に想像がつく。
「ねえ、街までいかない?」
「別にここで待っていてもいいんじゃないか?」
「そんなこと言わないで」
お願いがあるのだ、とミアは言った。
なんでもフィノにも渡したいものがあるのだそう。ユルグたちが旅に出ていた間にフィノにと作っていたものがあるのだという。
「へえ、上手くできてるじゃないか」
「そう? フィノ、喜んでくれるかな」
「ああ、そうだな」
見せてもらった紺碧色の襟巻は素人目に見てもよく出来たものだった。これを一月程度で作ったというのだ。エルリレオに師事しているというし、ミアは手先が器用なのかもしれない。
それなら、とユルグも腰を上げた。
「街まで行こうか。ミアは俺がおぶっていくから」
「うん。ありがとう」
寒くないように厚着をしてもらって、ずっしりとした重みを背負う。外に出るとちょうど吹雪はやんでいて、これなら無理なく街まで行けそうだ。
「そうだ。ミアに言ってないことがあった」
「なに?」
「実は一人だけ新顔がいるんだ。かなり変な奴だから覚悟はしておいてくれ」
「そんなこと言われたら余計に気になっちゃう」
ゆっくり歩きながらユルグは旅の思い出話をする。ミアもそれを楽しそうに聞いてくれて街につくまで退屈はしなかった。
まっすぐに皆がいるであろうアルベリクの家に行く。中に入るとそこにはフィノとエルリレオしかいなかった。
「おお、ユルグ。わざわざ顔を出してくれたのか」
「エルも変わりなさそうだ」
開口一番のエルリレオの挨拶にユルグは笑って答える。あらかた旅のあらましはフィノから聞いたのか。安心した師匠の様子にユルグはおぶっていたミアを降ろしてやる。
「フィノ、いつまで経ってもこないから来ちゃった」
「んぅ、色々聞かれちゃって……ミア、元気だった?」
「このとーり! それでね、フィノにも渡したいものがあって」
こっちにきて、とフィノを傍に呼ぶとミアは手作りの襟巻を取り出して首に巻いてやる。
「こ、これ……もらっていいの?」
「もちろん。これなら暖かいし首の後ろも隠れるし……ばっちりね」
「あぅ、ありがと。大事にする」
フィノは嬉しいのか。もじもじとして、なんだか落ち着きがない。たぶんあれは恥ずかしさもあるのだろう。そんな様子にミアも満足気である。
「それで、他の皆はどこに行ったんだ?」
「アルとマモンはゼロシキと街の観光に行っちゃった。その、あんまりうるさかったから」
「……だろうな」
二人の会話を聞いて、エルリレオは可笑しそうに笑う。
「やはりあれはユルグでも手を焼くか」
「うん。仲良くなれないタイプだな」
「儂はああいう手合いは好きだ。研究肌というのか、傍に置いておきたくなる」
「それ、本気で言ってるのか?」
絶句したユルグにエルリレオはもちろんだ、と口角を上げる。確かに言われてみれば、エルリレオと性分が似ているのかもしれない。どちらも知識の探求に余念がないから気が合うのだろう。
「それでカルロたちは御馳走作るって買い出しにいっちゃった」
「カルロはたぶん、お酒目当てね」
「あいつ、グランツといい勝負するんじゃないか?」
「ふむ……酔っておかしな説教をしないだけあやつよりマシであるなあ」
懐かしい顔を思い浮かべて笑い合っていると、不意にエルリレオが真剣な眼差しをユルグに向けた。
「して、ユルグよ。フィノから話は聞いたが……しばらくは落ち着けるのか?」
「うん。まだやることは残ってるけど、ここを離れる予定はないかな」
「ふむ……それを聞いて安心したよ。これから大事な時期だ。ミアの傍を離れるのは――」
「あっ!!」
直後、話に割り込むようにユルグの隣に座っていたミアが声を張り上げた。
「どうした?」
「あの、大事なこと言い忘れてたの……」
「大事なこと?」
「実は、ティナがね――」
意外な人物の名前が出てきて、ユルグは一瞬固まった。嫌な予感しかしない。けれど続きを聞く前に、件の人物が買い出しから戻ってきた。
「只今戻りました」
戻ってきたティナにユルグの表情は曇っていく。
「お帰りなさいませ。貴方が戻ってくるのを待っていたのですよ」
「……何も聞きたくない」
「ミアから話は聞きましたか?」
「聞いてない……でも絶対にろくでもない話だろ」
やめてくれ、と耳を塞いだユルグに慌ててミアが弁明する。
「ユルグ、今回はそういう話じゃなくて」
「俺にとっては?」
「……悪い話、かなあ」
「どうせそうだろうと思ったよ!」
平穏が一瞬で壊されたことにユルグは絶望して、立ち上がると外に出ていってしまった。師匠の珍しい奇行にフィノは少しかわいそうだと思いながら、ティナに続きの話を催促する。
「んぅっと、何の話?」
「皇帝陛下から書簡を届けてほしいと頼まれたのです」
咳ばらいをして、ティナは懐から取り出したものをテーブルに広げた。一同の視線がそれに釘付けになる。
それを目にしてエルリレオは唸り声をあげ、フィノは感嘆する。
「ティナからは事前に話、聞いてたんだ。でもユルグは行きたくないっていうだろうな」
「お師匠、こういうの嫌いだもんね」
「しかし使者を遣わしたのだから、是が非でもということなのだろう?」
「ご明察です」
だからティナも困っているのだろう。こんなもの、説得するのだって骨が折れる。
「それにしても首脳会議か……ずいぶんな大物になったものだよ」
「お師匠、ぜったい喜ばなさそう」
「皇帝陛下からは必ずお連れしろと言われていますので……」
それなら、とフィノは書簡をもって立ち上がる。
「お師匠に話してくるね!」
たぶんさっきのはいじけてるだけだ。そう判断したフィノは考え直してもらおうとユルグを追いかけた。
===
飛び出したユルグは街中を彷徨っていた。
「はぁ……」
まさか、帰ってきて早々あんな話になるとは。ゆっくり休む時間も取れないのか。何よりもまたミアの傍を離れなくちゃならない。そのことがユルグの気持ちを暗くする。
しかもわざわざティナを寄越したのだ。これが何を意味するか。ユルグにはすぐに理解できた。それだけアリアンネにとってこの用件は大事なものということだ。
溜息を吐きながら歩いていると、前方から誰かがユルグを呼び止めた。
「あっ、おにいさん!」
声に顔を上げるとそこには買い物帰りのカルロがいた。当たり前のように酒瓶を担いで駆け寄ってくる。
「なんだ、カルロか」
「なになに? 久々に会ってその態度は傷つくなあ」
カルロは素っ気ないユルグの態度をじっと見つめると、
「ミアには会った?」
「ああ、うん」
「じゃあなんでそんな落ち込んでるのさ」
「絶望してるんだよ」
多くを語らないユルグの言葉に、カルロは少し考えて思い至った。例のティナからの頼み事のせいだ。
「ああ、あれのことね」
「知ってるのか?」
「うん。私もあれは面倒だなーって思ったよ」
カルロの一言にユルグは身構える。詳細を聞く前に飛び出してきたものだから何も知らないが、これだけで厄介な案件だということは軽く予想がつく。
「でもミアは行きたがってたよ」
「……ミア?」
「――お師匠!」
ユルグを探しに来たフィノの声に振り返ると、眼前にティナが渡された書簡を突き付けられた。
それに嫌々ながら目を通すと、カルロの言っている意味をユルグはやっと理解できた。
――首脳会議。会場は首都ルブルク。旅費はいらず、徒歩での移動もなし。
これがただの旅行であれば破格の条件だ。ユルグも二つ返事で了承しただろう。けれど……どうにも案件がきな臭いのだ。
「……はあ、どうするかな」
けれど一考の余地はある。なにより、ミアには約束していた。帰ってきたらどこかに出かけようと。体調も落ち着いているというし、タイミング的にこれを逃したら当分は行楽など行けそうもない。
何よりもミアが行きたいというのだ。なら、そのくらいの我儘、聞いてやらなければ。愛しい人の笑顔が報酬だと考えれば頑張れないこともない。
「……わかったよ」
「いいの?」
「ミアが行きたいって言うんだろ。ならいいよ」
「わおぉ」
悩んだ挙句の決断に、フィノとカルロは顔を見合わせた。
「おにいさんって、チョロいね」
「んぅ、お師匠ミアに甘いから」
「聞こえてる」
弟子の頭を小突いてユルグは来た道を戻っていく。
しばらく落ち着く暇はなさそうだ。




