旧故を生きる者
フィノはあれをマモンだと思っているが、全くの別人である。それを瞬時に察したユルグは警戒を強める。
見間違いでなければ、アレは大蛇の中から現れたのだ。つまり普通の存在ではないということ。
「違う。あいつはマモンじゃない」
「えっ? ……ほんとだ」
フィノの腕を引いて留めると、そこでやっと彼女も違和感に気付いた。見慣れた頭はマモンのものだが、それよりも下は別物なのだ。
ぱっと見、薄汚れた鎧を着こんだ謎の人物である。目立ったところと言えば、隻腕だというところくらいか。
絶命した大蛇の上から二人を見下ろしているソレは、いきなりの邂逅だというのに驚いた素振りは一つも見せなかった。
「ひいふうみい……知らない顔がいる。困ったなあ」
ユルグたちを指差すと、それは数を数えながら何やらぶつぶつと零す。
敵意は感じない。けれど、なんだかとっても捉えどころがなくも感じる。警戒しているユルグとは対照的に、被っているマモンの鎧頭を指先で小突いて嘆息しているのだ。
ソレにとって、目の前に現れたユルグたちは何の障害にもならないらしい。
どう対応すべきか。慎重に見極めていたユルグを置き去りにして、フィノは声を張り上げた。
「それ返して!」
「なんのことだ?」
「頭につけてるソレ!」
弟子の突然の要求にユルグは内心焦った。相手が何なのかも分からないのに、直球で行くやつがあるか!
けれどユルグの心配を他所に、それは気を害した様子もなく答えてくれた。
「ああ、これの事か。そうしてやりたいがなあ。手前も困っているんだ」
しかしどういうわけか。まだ返してやれないと言ってきた。
マモンの頭を被ったまま、それは上体を揺らして悩む素振りをしている。良い答えが返ってこないことに、隣にいるフィノは地団太を踏んだ。
「なんでそんなこと言うの!?」
「だぁかぁらぁ! 困っていると言っとろうが!」
「ひとのもの、盗ってるのそっち! はやく返して!」
「盗ったとは心外な! これは拾ったものだ、バカ者が! むしろ感謝してもらいたいくらいだ!」
「なにをぅ!」
どういうわけか、二人の間で口論が始まってしまった。それはユルグが止める暇もなく、白熱していく。内容はなんとも呆れたもので、返せ返さないの押し問答である。
思わずため息が口から出るのをぐっとこらえて、ユルグは力んだ弟子の肩を抑えた。
「落ち着け。お前が騒いでどうするんだ」
「んぅ、でも! フィノ悪くないのに!」
「誰が悪いかなんてどうでもいい。落ち着いて話せなきゃ話が進まないだろ」
日が暮れるまで口喧嘩しているつもりか、と説教するとフィノは肩を落として黙り込んだ。その様子を見て、正体不明の人物は勝ち誇ったように胸を逸らす。フィノはそれを悔し気に睨んでいるが、ユルグの監視もあって文句は垂れなかった。
「それで、なぜ返してくれない。理由があるんだろ? そもそもお前はなんだ? あの蛇を殺したのもお前の仕業か?」
ユルグの質問にソレは落ち着きを取り戻した。どうやら会話に応じてくれるらしい。
「ゼロシキ」
「は?」
「名を聞いたのだろう? ゼロシキという。正式な名称ではないが、適当に呼んでくれ」
自己紹介をすると、ゼロシキと名乗ったそれは大蛇の上から飛び降りた。身軽な動作でユルグたちの面前へと着地すると勝手に話を続ける。
「そちらも困っているようだが……手前もなあ、困っているのだよ。隠れ蓑にしていたあの蛇はうっかり殺してしまった。いきなり暴れるのなら仕方ないだろう?」
「んぅ……それはごめん」
あの大蛇を刺激したのはユルグたちだ。多少の罪悪感があるのか。ゼロシキの物言いにフィノは申し訳なさそうに謝る。
「だがおかげで良い拾い物もした。どういうわけか、これを被っていると奴に感知されないらしい。手前がこうして悠長に話していられるのもそのおかげというわけだ! 永いこと一人きりで退屈していたのだよ。話が通じる相手と会話するのは久しぶりだ。お前たちはどこからきて何をしている? こんな場所に来るくらいだ。よっぽどの理由があるに違いない!」
「うんっと……それは」
元来、このゼロシキという者は饒舌なのだろう。喋り出したら止まらないようで、嬉々として二人に語り掛ける。
フィノはその熱量に圧倒されてしどろもどろになりながら傍に居るユルグの様子を見遣る。
しかし、先ほどからフィノの師匠はだんまりを決め込んだままだ。腕を組んでゼロシキをじっと見つめているだけ。相手がどんな人物なのか、見定めている最中らしい。
つまり、喧しい彼の相手はフィノに任されたということだ。
「ええっと、用事があってここに来た……けど、あの蛇がいて。だから退いてもらおうとしたんだけど」
「うんうん、なるほどなあ」
二人の会話を聞きながらユルグはじっと考え込む。何をそんなに熟考しているのか。
目の前にいる人物は謎の塊だが、今ユルグが一番気になることは、彼の正体だ。名は明かしたがそれ以外はまったく知らないときた。
聞いたら答えてくれそうではあるが、その前に奴は奇妙なことを口走っていた。
「さっき、困っているとか言っていたか?」
「うん? ああ、そうだ。厄介な相手に追われていてなあ。とても困っている。とんでもなくしつこい奴でな」
「その腕もそいつにやられたのか?」
目敏いユルグの指摘にゼロシキはそうだと頷いた。正直に答えるという事は彼にとっては知られても問題ない事象ということだ。
「それで、お前はいったい何者なんだ? そんな身体の奴は見たことがない」
隻腕の先を指してユルグは問う。
欠けた腕の先にある黒い汚れには見覚えがあった。おそらくあれは瘴気の残滓だ。そんなものに関わりがあるのなら、当然法外の輩という考えに行き着く。
ユルグの予想を後押しするように、ゼロシキは残った片腕を振ってお辞儀をする。
「手前は機人という。ただの死に損ないだ」




