蛇に睨まれた蛙
ユルグに放り投げられたマモンは、大蛇の真ん前で固まっていた。まるで蛇に睨まれた蛙のようである。
突然現れたマモンに、祠に巻き付いていた大蛇は身じろぎして眼下を見据えた。
『近くで見ると一層おぞましい……こんなもの、存在して良いものか』
側面の蛇腹から伸び出た無数の手足。いったいどれだけの者たちが犠牲になったのか。数えるのすら恐ろしくもある。
二つの眼光はマモンをじっと見つめていた。文字通りの釘付けである。
少々癪ではあるがユルグの狙い通りに大蛇の注意を引き付けられた。問題はここからどうやってこの大物を祠から引き剥すかだ。
背後にはユルグとフィノが機会を伺っている。つまり放り出されたマモンは作戦の要でもあるのだ。
『仕方ない……一肌脱いでやるとしよう』
どのみちあの祠から離さなければならない。ならばマモンがすることは一つしかない。
マモンが地面に足を付けて起き上がったと同時に、大蛇は長い舌を出して頭を伸ばした。
そこまで確認したところでマモンは全速力で駆け出した。祠から離れるように反対方向へと走る。
するとマモンの動きに合わせて大蛇は祠に巻き付いていた身体を解して追いかけてきた。
『上手くいったか!?』
背後を気にしながらマモンは木々の間を駆け抜けていく。
相手がどれだけ素早いかは分からないが、この入り組んでいる雨林の中では早々に捕まることも無いだろう。逃げ回っている間に二人が倒してくれれば問題ない。
しかしマモンの考えは浅はかだった。
『……なんだ?』
少し走ったところでマモンは足を止めた。
背後から追跡してくる気配を感じない。もしや追いかけるのを諦めてしまったのか?
それではマズイとマモンが反転して様子を伺った瞬間――頭上に大きな影が落ちた。
『――は』
陽が昇っている時間帯。薄暗い雨林の中でこんな現象は考えられない。
慌ててマモンが頭上を見上げると、そこには息を呑むほどに巨大な大蛇が空から降ってくるところだった。
降ってきた大蛇は木々を薙ぎ倒し突風を巻き起こす。
思わずマモンは地面に這いつくばった。潰されても死にはしないが、反射的にこの状況から逃れようと身体が動いたのだ。
『な、なんなのだ。どうなっている!?』
しばらくして、開けた視界には先ほどの大蛇がマモンを睨み大口を開けていた。
数秒あれば丸呑みに出来る距離だ。どうするべきか、逡巡する暇も与えず瞬きをする間に、大蛇はマモン目掛けて頭の先から突っ込んだ。
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マモンが遭遇した不可思議な状況は、ちょうどユルグとフィノの目の前で生じた。
二人が大蛇相手にどう攻めるか。作戦を練っている時だ。
マモンが誘き出すために走り出した後、草陰から出た直後のことだった。
「まずは敵に出方を見る。素早いやつなら最初に足を潰して――」
相手から視線を逸らさずにユルグは的確に指示を出す。けれどそれは最後まで言い終わることはなかった。
大蛇が祠から身体を離した――そこまでは良かった。
このまま大きな体躯でマモンを追いかけるとユルグは考えていたが……その予想は大きく裏切られることになったのだ。
まさか、あの巨体が垂直に飛び上がるとは夢にも思わない。
「おっ――お師匠、アレなに!?」
粉塵を巻き上げて目の前から消えた大蛇に、フィノは声を張り上げる。
当然それに答えられる状況にはない。一瞬固まっていたユルグは、飛び上がった大蛇が地面に着地した轟音で我に返った。
「俺が知るわけないだろ!? いいから追いかけるぞ!」
「うん!」
大蛇の狙いはマモンである。
心配はしていないが、ここで呆けている暇はない。マモンが食われてしまえば次の標的はこちらになるのだ。悠長にしている時間はない。
着地地点から迫りくる突風に逆らって二人は雨林の中を駆ける。幸いにもあの巨体故、見失うことはなかった。
「お師匠、いたよ!」
「ちょっとまて」
再び大蛇の姿を確認して駆け寄ろうとしたフィノの襟首を掴んで引き寄せる。
そのまま草陰に隠れてユルグは様子見することにした。
「助けにいかないの?」
マモンの身を心配するフィノの問いにユルグはじっと敵を見つめて頷いた。
「今はいかない」
「んぅ、でも……」
「まずはあいつの弱点を見つける。助ける云々はそれからだ」
冷静なユルグの言葉にフィノは素直に従った。
無暗に飛び出ては逆にやられかねない。慎重になれと師匠は言っているのだ。それが今のフィノに足りないところでもある。
反省して、フィノは目の前にいる大蛇をじっと観察する。
そもそもどうして跳躍できたのか。それが分からない。蛇のような見た目をしているなら、地面を這って進むものだろう。数刻前に見た足跡からも推測できる。
だから先ほどの大蛇の行動はフィノも、そしてユルグも度肝を抜かれた。きっとマモンだって同じ気持ちだったろう。
「あいつが飛び跳ねる瞬間、見てたか?」
「んぅ、あんまり」
「あの巨体を浮かせたのは側面の手足だ」
師匠の意外な一言にフィノは少し面食らった。
けれどユルグはそうであると断言する。そこに突破口があるのだという。




