膝元の談合
不意に聞こえてきた声にフィノは耳を疑った。
「――え?」
振り返ると同時に、何かが足首を掴む。
フィノの足を掴んだのは枯れ枝のような手だった。比喩ではなく、実際にそんな手をしている。あれを人間であるというには些か無理があるというものだ。
祠の台座の上から観察していたユルグはそう判断した。あれは――大穴の底から這い出してきたアレは人間ではない。もっと別の何かだ。
フィノがその事に気付くより前に、正体不明のそれは背後から語り掛ける。
「あまり乱暴なことはしないでくれないかねえ? 勝手をされると私が怒られてしまうよ」
「え? うっ……ごめんなさい」
何が何だか分かっていないながらもフィノはとりあえず謝った。
背後にいるのが誰なのか。分からないなりにも話口調からそんなに悪い人には思えなかったからだ。
そもそも怒っているのならこうして忠告する前に危害を加えてくるはず。
『な、何なのだ? これは』
フィノよりも先にそれを目にしたマモンは驚きに言葉を詰まらせる。
それに釣られるようにフィノもそれに目を向けた。
「……だれ?」
フィノの足首を掴んで大穴から這い出してきているそれは人間ではなかった。もちろんエルフでもない。そもそもこんなナリをした生物をフィノはおろかマモンも、ユルグだって見たことはなかった。
それはヒト型で、見たままを言えば木人形である。樹木のような植物が人間の形をとっていると言ってもいい。
そこに動物の頭蓋のような頭。まっしろな角は六本。空いている眼窩には目玉は見えない。
奇妙な風体をしているソレは、どういうわけか声を発して話しかけてきた。ご丁寧に穴底から這い出してきて。
ソレは掴んでいたフィノの足から手を放すと大穴の淵から上がってきた。
呆然としているフィノの隣に立ったソレは鎧姿の時のマモンと同じくらいの上背がある。
火を付ければよく燃えそうな身体をしているけれど、意外にも体格は良い。力もありそうだしフィノが真正面から接近戦を挑んでも力負けしてしまうだろう。
突然のことに驚き固まっているフィノを見て、ユルグは手早く匣を回収すると足早に傍に駆け寄る。
ユルグが到着する数秒の間に、木人形のような生物は意外にも丁寧に質問に答えてくれた。
「その問いには答えられない。私は君たちのように識別できる種族名を持っていないんだ」
「……自分のこと、分からないの?」
「いいや、ただ他に仲間と呼べるものがいない」
――だから識別の必要もないのだ、とソレは言った。
なんだか難しい話をするな、と頭の隅で考えていると事態を察したユルグが駆けつけてきてくれた。
フィノと違ってユルグは目の前の人物に最大限の警戒を見せている。匣をしまって空手にして、剣を握っているあたりフィノよりも本気だ。
「コイツはなんだ?」
「んぅ、よくわからない」
「それは見ればわかる」
こそこそと話しながら相手の出方を窺っていると、ソレは頭に生えている角を枯れ枝のような手で触って、悩むような素振りをしながら呟いた。
「強いて言うなら干渉器といったところだ」
「干渉器?」
「……って、なに?」
「外の世界へ干渉するための器だ」
簡潔に答えた言葉の中には、『誰のために』が抜けていた。
けれどそれを件の干渉器が明かす前に、ユルグはその確信へ迫る。
「この大穴の底にいる奴のために、か?」
「そこまで知っているなら話は早い」
ユルグの問いに干渉器は驚いたようだった。けれど状況判断も早いらしく、余計な質問もなしに本題に入る。
「事情を知っていそうな君たちに話を聞きたい」
「……事情?」
どうにも干渉器の目的は争いではなく話し合いらしい。彼からは害意を感じない。しかも何やらあの四災に関連する話のようだ。
となればこちらとしても知っておきたいというのが本音である。
少し逡巡して、ユルグは剣を収めると静かに相手の出方を見ることにした。
「幾日か前の話だ。私の主人様の元に使いが来た。ある提案をしてきたのだ。それの正否を確かめて来いというのが私に課せられた使命」
『情報収集に駆り出されたということか?』
「簡潔に言えばそうなる」
しかし――と、彼は続ける。
「困ったことに私はこの場所からは出られない。そういう風に創られてはいないんだ」
そう言って干渉器は自分の背面を指差した。
彼の背中には祠の内部に張り巡らされた根と同じものが伸びている。それの元は大穴の底に続いているようだった。
おそらく、この干渉器の力の源は瘴気なのだろう。普通の生物とは少し違う生き物だ。
だからこの根が奴の生命線でもある。これが続く範囲でなければ動けないのだ。
「これでは主人様の命を果たせない。困っていたところに君たちが現れたということだ」
「……いまいち話が掴めないな」
この干渉器の話は大事なところが隠されている。
確信を話してはいない。それを見抜いたユルグは強引に詰め寄ることにした。
「提案ってのはなんだ?」
おそらく彼の主人というのは四災のことだろう。この大穴の底にいる者。そんな奴に接触を図る輩なんて同類以外には考えられない。
ということは、数日前に来た使いというのは十中八九あの竜人の四災で間違いないはずだ。
あの四災が何を考えているのか。分からないが、秘密裏に何かを画策している。奴とは契約を結んでいるからこちらの不利になることをするとは思えないが……楽観視は出来ないだろう。
「協力の申し出だ。主人様はそれに承諾した。けれど鵜呑みにはしていない。だから私に命じたわけだ」
つまり四災たちも一枚岩ではないということだ。
双方が信頼を置いているわけではない。おいそれと信じ切るわけにはいかないのだ。
『うむぅ……だとしてもろくに身動きも出来ない奴に下すような命ではないぞ』
「長いこと閉じこもっていた弊害だ。外のことは全く知らない。今回はそれが仇になってしまった」
落ち込んだように彼は肩を落とす。
「主人様は知りたがっている。あの御仁がどれだけ本気なのかを」
「それは俺たちにも分からない。だが協力はすると約束してくれた。それ以外のことには看過していない」
そもそも上位者の考えなど定命には理解できないものだ。
憶測で物を語っても無意味。そしてそれは、彼も分かっているようだった。
「第三者から話を聞けただけでも充分な収穫だ。感謝する」
「別にそこまで大層なことはしてないんだが……まあいいか」
こちらとしても得られたものは大きい。
どうやらこの大穴の底にいる四災は協力してくれるようだ。ということは敵が一つ減るということ。
不確定要素が無くなるのはそれだけこちらに有利になる。
「私は主人様の元へと戻ることにする。君たちとはお別れだ」
「んぅ、じゃあね」
背を向けた干渉器にフィノは手を振る。
大穴に飛び込もうとしたその瞬間、彼はふとフィノを振り返った。
「ああ、そうだ。お嬢さんに一つ言い忘れていた。あまりこの場所を傷つけないで欲しい。主人様に怒られてしまうのでな」
「う、うん」
とりあえず頷いたフィノに、彼は頷いて大穴に飛び込んで消えてしまった。
フィノはそれを追うように淵から穴底を見つめる。
「フィノ、何もやってないのに……」
あれはユルグがやったことだ。
なんだか納得しないながらも、フィノの背後では二人の会話が聞こえてくる。
「こいつが瘴気を吸収してくれているなら、匣を持ち出しても良さそうだな」
『根共も今のところ不穏な動きはなさそうだ。大丈夫だろう』
「余計なことをしないように、あの衛兵たちにも言っておかないと」
一段落がついたところでユルグは握っていた剣をしまって荷物をまとめた。
匣はすでに回収したし、これ以上ここにいる意味もない。
「フィノ! さっさといくぞ!」
「う、うん!」
呼びかけにフィノは踵を返して師匠の背中を追いかけた。




