策を弄する
マモンの案内でルフレオンの自宅へと向かったユルグだったが、彼の身体は限界を迎える寸前だった。
グァリバラとの戦闘中は痛みをほとんど感じなかったが、極度の緊張と集中が解けた途端に殴打された背中に激痛が走る。
当然走ることはおろか、歩くことだって死に体の有様だ。
『大丈夫なのか?』
マモンは心配そうにユルグを見上げる。
いつもならそれに軽口の一つでも言うのだが、ユルグは終始無言だった。痛みに脂汗を滲ませながらゆっくりと歩を進める。
今のユルグの心境は複雑だった。
フィノに逃げろと言ったくせにこんな怪我を負ってしまった。見栄を張ったわけではないが師匠としてはあるまじきものである。
ユルグがあそこで足止めしたおかげで逃げられたから良いものの、合わせる顔がない。要するに気まずいのだ。
『己が背負って行こうか?』
「……っ、いらない」
声を絞り出してマモンの助力を拒絶する。
こんな状態で、尚且つ背負われて弟子の前に行くなんて恥以外の何物でもない。やせ我慢をするユルグであったが、それを傍で見ているマモンには彼の心中は筒抜けであるだろう。
『まったく……頑固なやつめ』
傍で聞こえるマモンの小言に無視を決め込んで、やっとの思いで辿り着いたわけだが――
「おししょう!」
フィノの顔を見た途端、ユルグはふらついて膝から崩れ落ちた。
慌ててそれを受け止めたフィノだったが、途端にユルグの表情が苦悶に変わったのを見て、彼の異変にすぐに気づく。
「どこか怪我してる!?」
「だ、だいじょうぶ……」
「みえない!」
やせ我慢を一喝してフィノはゆっくりとユルグの身体を支えながら、ルフレオンに断りを入れるとベッドに身体を寝かせる。
「どこいたいの?」
「……っ、せなか」
諦めたユルグは正直に話した。
うつ伏せになったユルグの服を上げてフィノは怪我の具合を見る。
骨にひびが入っているのか……出血はしていないが腫れている。
痛々しい怪我を目の当たりにして、フィノは自分の行いを後悔した。
あの時、無理を言って一緒に残ればよかった。それを言ってしまえばユルグはきっと自分の力不足だというだろうが、フィノはミアにお願いされたのだ。
この結果は彼女の頼みを無下にしたのと同じこと。
「これ、たぶん骨がイッてるね。折れてはいないだろうけど、これでよくここまで歩いてこれたものだよ」
ルフレオンが怪我の具合を見て感心したように頷く。
その背後ではライエが心配そうに様子を伺っていた。
「……ごめんなさい。私のせいで」
「あやまるな」
痛みに苦悶しながら、ユルグは声を絞り出してそれだけを言った。
フィノには彼が何を言いたいのか。理解できた。
「ライエのせいじゃないよ。お師匠は自分のせいだって言ってる。フィノもライエが悪いって思ってない」
「でも……」
彼女は自分が巻き込んでしまったせいだと思っているみたいだ。
ライエの気持ちも分かるフィノは、どうやって宥めようか考える。けれどその前にルフレオンが口を挟んだ。
「とにかく彼を医者に見せよう。骨が折れていないにせよ、耐えられる痛みではない」
「だい、じょうぶだ」
死にそうな声で答えたユルグは何とか起き上がって、フィノに背嚢を漁れと言った。エルリレオから緊急時用に薬をもらったのだという。
なんでもとてもよく効く鎮痛剤だという。
しかし、エルリレオが作る薬はすべからく苦い。良薬口に苦しというが、それにしたってというレベルだ。
ユルグは渡された薬を見つめて、一瞬躊躇した。
経験があるのか、嫌な記憶が蘇ったのか。ユルグは息を止めると一気に口に放り込んだ。途端に目を白黒させる。
慌ててフィノがお茶を渡すと、それを奪い取って流し込んだ。
「お師匠、だいじょうぶ?」
「な、なんとか……二度と飲みたくない」
死にそうな声で呟いたユルグは、呻き声を上げて口を手でおさえる。
よっぽど不味かったのだろう。しかめっ面をしながらユルグはフィノに説明を求める。
「それで、何があった?」
「そうだ! ええっと――」
フィノはユルグに一から説明した。
それをすべて聞き終えたユルグは、少し思案すると分かったと頷いた。
「異論はない。護衛はこちらで請け負う」
「ありがたい!」
ユルグの決定にルフレオンは握手をせがんだ。それを握り返して、でも――と続ける。
「俺はこんな状態でしばらく動けない。だからライエにはフィノがついてやってくれ」
「んぅ、まかせて!」
これも弟子の務めであるとフィノは意気込んだ。
おおよその話が決まったところで、ルフレオンとユルグで仔細をつめていく。
「グレンヴィルを蹴落とすって話だが、どこに付くつもりだ?」
「正直、スクラインとアングラ―ド、どちらも大差ないと私は思っていてね。強いていうならば、身柄を保証してくれる方かな」
「それに掛かる時間は?」
「すぐに行動に移したとして、少なく見積もって一週間はかかるはずだ。そのあいだ荒れるだろうからもっと掛かるかも。なにぶんこんな事態は初めてでね。私も予想がつかない」
ルフレオンの予想を聞いて、ユルグはまた何かを考え込んでいる。
少しして彼は顔を上げた。まっすぐにフィノを見て決定事項を報告する。
「事が済むまで時間がかかる。だから帝国にある匣は後回しにしよう」
「えっ!?」
真剣な顔をして語ったユルグの答えに、フィノは瞠目した。
まったくの予想外からの提案だったからだ。ユルグの意見にマモンも思わず口を挟む。
『それはどういう意味だ?』
「フィノにはライエの護衛をしてもらう。俺はこのままスタール雨林に向かう」
「そっ――そんなのダメ!」
さっきまで痛みで呻いていたくせに、ユルグはそれを棚に上げてこんな馬鹿なことを言ってきた。
当然フィノはそれには猛反対だ。
ユルグと離れてしまってはミアとの約束は守れないし、きっとまた無茶をするに決まっている!
『すぐに無理をするのはお主の一等悪いところだ』
「そうだよ! お師匠は怪我してるんだから、ちゃんと休んで!」
「大袈裟なんだよ。このくらい、なんともない」
『さっきまで呻いていた奴がよく言うわ』
マモンの嫌味にユルグは言葉を詰まらせた。
言い返せないということは図星であり、少なからず思うところはあるわけだ。
「私もそれはあまり勧めないね。君もまだ若いんだから……そんなに生き急ぐ必要もないだろう?」
「そういう馬鹿なことするのは私の父だけで充分よ」
二人からもやめておけと言外に言われて、ユルグは深い溜息を吐いた。どうやら諦めてくれたようだ。
「ライエのことはフィノに任せて。お師匠はちゃんと怪我治す!」
「わかったよ」
話がまとまったところで、早速行動に移すことにした。と言ってもユルグは宿屋で待機である。
貴族たちへの交渉にはフィノが付いていく。しかし、それにルフレオンは付き添いできないといった。
「出来れば私が協力していることは秘密にしておきたい」
「どうして?」
てっきり付いてきてくれるものだと思っていたライエは、彼に問うた。
もちろんそれはフィノも、ユルグも思っていたことだ。
「もしこの交渉が決裂した場合についても考えておくべきだ」
「それはそうだけど……」
ルフレオンはこの場にいる誰よりも慎重だった。
「私が今話した計画はあくまで予想の範疇でしかない。もしグレンヴィルが、スクラインかアングラ―ド……どちらかと結託していたらどうする? 今の状況で一番危ういのはグレンヴィルだ。ライエを始末出来なかったら後がない。もちろんあらゆる手を打ってくるだろうね」
「ない話でもないな」
「そうだ。だから保険はかけておくべきだ。何かあった時、部外者であるはずの私が助けられるようにしておきたい」
ルフレオンの話を聞いてユルグは確かにそうだと考えを改めた。
手負いの獣ほど恐ろしいという。グレンヴィルにとってこの状況は退路を断たれたも同然なのだ。用心に越したことはない。
「危険が及ぶ可能性は予め考慮しておくべきだ。私は彼女の身の安全を第一に考えている」
「でも……どうしてそこまでしてくれるの? あなたがそこまでする必要はないじゃない」
「それは……そうだな。そう、サルヴァに頼まれているからだ。君に何かあったら彼にあわす顔がない」
何かを誤魔化すようにルフレオンは何度も頷いた。
ライエはそれを聞いて、なんとか納得してくれたようだ。しかしユルグは彼の提案に難色を示す。
「それだと正直不安だな」
『何か気になることでもあるのか?』
「ルフレオンが付き添えないってことは、フィノとライエが交渉に出向くことになる。ハーフエルフである二人を奴らが丁重に扱ってくれるとでも思うか?」
エルフの優越思想はユルグも知るところである。
彼らはハーフエルフを見下しているのだ。邪血などという蔑称で呼ぶくらいだ。貴族ともなれば顕著であるだろう。
「ライエのことはフィノが守るよ!」
「そこについては疑ってない。でも今回は交渉に向かうんだ。話し合いに暴力は必要ないだろ」
「んぅ……」
ユルグに諭されてフィノは押し黙った。
それを見つめてユルグはマモンを指差した。
「だから、今回はこいつが交渉役だ」




