生きる理由
ミアが宣言した通り、今日の夕飯はご馳走だった。
フィノが村に残ってから食事の心配をしたことはなかった。レルフが毎日用意してくれるし、不自由していない。
不満はなかったのだが……こうしてみんなと食べる食事はとても美味しい。
「フィノは村で何してたの?」
「んぅ、っと……お師匠に頼まれたことと、あと村のみんなが困ってることの手伝いしてた」
あの村では何かあった時に戦える村人はあまりいない。だからフィノのように戦闘経験がある者は貴重なのだ。
『あの村が悪いとは言わないが、些か強行すぎる所があった。そこを心配していたのだが、話を聞くに大丈夫そうだ』
ユルグの招集に参じたマモンは憂慮を語った。
フィノも最初は不安だったがその誤解はすぐに解けた。レルフも村人もいうほど悪い人たちではないのだ。
「寂しくなかった?」
ふとミアが思い出したかのように尋ねた。
それにどう答えようか迷って――
「さ、さみしかった」
こんなことを言ってしまえば皆心配してしまう。それが一瞬脳裏を掠めた。けれど飲み込もうとした言葉はいつの間にか声になっていた。
「でもお師匠と約束したから。ひとりで頑張らなくちゃって思って、だから……」
「そっか」
ともすれば、泣きそうなフィノにミアは一度言葉を飲み込んだ。きっとこれはユルグの口から聞きたい言葉だろうから。
見つめる視線に気づいたのか。ユルグは一度顔を上げて、それからフィノに目を向ける。
「寂しかったらいつでも会いに来たらいい。俺もミアもどこにも行ったりしない」
「うっ、うん。そうする」
ユルグの言葉にフィノは俯いていた顔を上げた。
その表情はどこか晴れ晴れとしていて、心に陰っていた不安も吹き飛んでしまったみたいだ。
「お師匠、笑うようになった?」
「なんだよ、いきなり」
「あっ、やっぱりフィノもそう思う?」
『己には変わりないように見えるのだがなあ』
久しぶりの団らんをフィノは心から楽しんだ。
これがずっと続けばいいのに、なんて思ってしまう。けれど、それが叶わないことも知っている。
……それでも今だけはこの幸せを噛み締めよう。
食事を終えた後、片づけを手伝っていたフィノはユルグに呼び出された。
「少し散歩に付き合えよ」
「う、うん」
ミアに断って、フィノは外に出て行ったユルグを追いかける。
こうして二人きりになるということは、きっと大事な話をするはずだ。何を言われるのか。少しの不安を抱えていると、小屋から離れた木の下でユルグはフィノに問いかけた。
「良い知らせと悪い知らせがある。どっちから聞きたい?」
「んぅ、……いいほう」
答えたフィノに、ユルグはこれまでの事を話してくれた。
フィノが村に残ってから、大穴の四災に再び会ってきたこと。そこで契約を交わして協力を確約させたこと。
「だから今のところ、身体の方は何ともない」
「ほっ、ほんとう!?」
「ああ、本当だよ」
むしろ前よりも体調はいいんだ、とユルグは笑って言う。
それを聞いてフィノは泣きそうになった。ユルグの寿命があと数年ならば、きっと数えるほどしか会えない。そう思っていたからだ。
「それミアには言った?」
「いいや」
「なんで!? ミアだって心配して」
「今のところはって話だ。何があるか分からない。やっぱりどうにもなりません、なんてなったらあいつが可哀そうだ」
だからまだ秘密にしているのだ、とユルグは言った。
フィノはそれを聞いて複雑な心境になる。ユルグの事を誰よりも心配しているのがミアだ。彼女を安心させてやるべきだと思うが、ユルグはまだ早いという。
気持ちは分かるけれど……可哀そうというなら秘密にされる方が悲しく思う。
「すべてが終わるまで……せめて瘴気の問題を解決できるまで言わない。お前も余計なことは話すなよ」
「ん、でも……」
「別に何年もかかるわけじゃない。匣の回収をして四災に渡せばそこからは奴が何とかしてくれるだろ」
多く見積もっても半年もかからない、とユルグは告げる。
この計画はユルグが最善だと判断したものだ。きっと間違いではないのだろう。現に他に打つ手もない。
「怪我が治ったら匣の回収にいくつもりだ。お前にも着いてきてほしい」
「フィノも?」
「そうだ。俺一人じゃミアが心配する」
そう言ってユルグはフィノに是非を問う。
それにフィノは少しだけ悩んだ。前なら即答していただろう。けれど今のフィノにはある思いが芽生えていた。
「いいよ。でも少し時間ほしい」
「何か用事でもあるのか?」
「んぅ、村のこと……レルフに話しておきたくて」
フィノの返答を聞いて、ユルグは驚きに瞠目した。
あのフィノがまさかこんなことを言い出すとは思っていなかったのだ。
「お前が居なくなっても困らないだろ。勝手に引き込んだのはあいつらだ」
「そうだけど……みんな本当によくしてくれる。だから」
「別に止めようってわけじゃない。お前の好きにしたらいい。ただ、少し驚いただけだ」
「……なにかおかしかった?」
不安げに尋ねてくるフィノにユルグはかぶりを振った。
「いいや、何も。これが普通だよ」
ユルグの予想では、フィノはこの誘いに即答すると思っていた。今までの彼女がそうだったからだ。
けれどフィノは村のことを気にかけた。もちろんそれはユルグの現状を知ったからでもあるが……あの時、別れ際にフィノが言った言葉を思い出す。
――ユルグの為に生きたい。
フィノはそう言ったのだ。ともすれば、それが彼女の生きる意味だとでも言うように。
それがこうして少しずつ変わっていっている。ユルグにはそれがとても嬉しく思えた。
「お前、変わったな」
「んぅ、そう?」
「ああ、良いことだよ」
納得したように頷いたユルグに、フィノは話の続きを促す。
「もうひとつの話は?」
「ああ、それは」
『それは己の口から話そう』
声が聞こえたと思ったら、二人の間にマモンが現れる。
マモンがこうして割って入るということは……なんとなく何を言われるかフィノには予想がついた。
『先の話を聞いて分かったとは思うが、今のこやつには瘴気の影響は及んでいない。故に魔王である必要もないということだ。そこで己の譲渡を提案した』
「そっか、もう大丈夫なんだ」
『これは己の独断で決めたこと。おそらくこれから先、己の存在は不要になる。それが分かっているならば尚更、不安要素は消した方が良い。ここまでは理解できたか?』
「いちおう……分かったけど」
フィノはちらりとユルグの顔色を伺う。
どうしてマモンがこんな話をするのか。フィノにはその気持ちが分かった。彼はユルグの身を案じているのだ。
マモンは冷酷な魔王であると言われているが、そんなことはない。他人を思いやれる優しい心を持っている。
問題はユルグのほうだ。
いくらマモンが心配しても、彼がこの話に賛成しなければどうにもならない。譲渡はマモンの一存で決まるけれど、意思に反しての強行はマモンだってしたくはないだろう。
「お師匠はどうしたいの?」
だんまりを決め込むユルグにフィノは問う。
眼差しを見つめ返して、ユルグは白む息を吐いた。
「こいつは、お前が適任だといった。俺はそれに賛成できない」
それだけ言って、ユルグは言葉を飲み込む。
見据えた目は迷いを孕んでいた。彼もどうすればいいのか決めかねているのだ。
「リスクは前よりも格段に減った。瘴気がなくなればこいつは無害だ。だけど可能性はゼロじゃない。面倒ごとに巻き込まれることだってあり得る」
「うん」
「本当ならこのままでいいって言いたいところだが……俺には守らなきゃいけない家族がいる。これだけは何にも譲れないんだ」
「うん……」
「だから、俺がどうするかはお前次第だ」
ユルグはフィノに問いかける。
「お前の生きる理由は何だ?」
「フィノの生きる理由……」
突き刺さる眼差しから目を逸らしてフィノは自分の心に問う。
何を想って何を目指して生きるのか。
「フィノは、お師匠のためにいきるって決めた。でも……いまは少しちがう。あそこでみんなと一緒にくらして、気づいたことあるんだ」
レルフや村人たちは自分たちの劣悪な境遇を変えようと必死だ。カルロはそれを快く思っていないけれど、誰もが声を上げて変えようと思うわけではない。フィノがそうだった。
奴隷として生きてきて、自分の境遇を呪ったことはなかった。それが当たり前だと思っていたからだ。
けれどあの場所で暮らすことで、今のこれは当たり前ではないと気づいた。変えなければならないと分かったのだ。
それは誰かに強要されたことではない。自分で考えて自分で決めたこと。
「だから……いまは誰かのためじゃなくて、自分のために生きたい」
心の内を吐露して、フィノは深く息を吐く。
今のがフィノの嘘偽りのない気持ちだ。そしてこれを誰かに話すのは初めてだった。
そっとユルグの様子を見ると、彼は驚きつつも笑っていた。優しい笑顔はフィノも初めて見るものだった。
「うあっ――なに?」
見とれていると不意に手が伸びて乱暴に頭を撫でていく。
突然のことにフィノはびっくりして目を丸くした。
「そうか、よかったな」
「う、お師匠……なにするの」
「ははっ、わるいわるい」
珍しいユルグの態度にフィノは終始理解が追い付かない。
こんなことをされるとは思ってもいなかったし、ましてやこんな顔を見られるとも。
「わかったよ。お前の気持ちは充分伝わった」
「……どうするの?」
「お前が了承してくれるなら……引き受けてくれるか」
「うん」
笑顔で応えるとユルグは肩の荷が下りたように息を吐く。
フィノにマモンを押し付けようとは思っていないけれど、それでもユルグにとって今の状況は心の休まるものではなかったのだろう。
ミアがいるならなおのことである。
「引き受けてくれるのは嬉しいが、今譲渡するってわけじゃない」
「そうなの?」
「ああ。匣を回収して竜人の四災を解放する。それが終わったらだ。これだけは譲れない」
『ふむ……その方が確実に安全ではあるな』
話がまとまったところでマモンも安堵する。けれどフィノはそれに食い下がった。
「でもお師匠、それだと」
「途中で役目を放棄するつもりはない。何を言っても考えを変えるつもりはないからな」
「んぅ、わかった」
ユルグの決意を聞いて、彼は誰も犠牲にするつもりはないのだと知った。
今更だ。ユルグはずっとそうだった。誰かが自分の代わりに犠牲になるのを良しとする人ではない。
「長話しすぎたな。怪我人にこの寒さは堪えるよ」
「ミアのところ戻ろう」
『これで風邪などひいたら、ミアにこっぴどく叱られるなあ』
「お前、面白がってるだろ」
『はははっ、気のせいだ』
いつもの仲の悪さに微笑ましさを感じて、フィノは笑みを浮かべる。
二人の背を押して、ミアの待つ山小屋へと戻っていった。




