捨て身の抵抗
声の主は先ほどまで蹲っていた大司祭の男のものだ。彼は半狂乱になりながら喚き散らす。
「貴様ら、女神を消すだのと……そんなことがまかり通ると思っているのか!?」
喚く男はこの場にいる全員に向かって敵意を剥き出しにする。しかし、どうにも様子がおかしい。
不審に思っているフィノを置いて、男の疑問に四災が答える。
「彼女は不死身の存在ではないからね。殺そうと思えば殺せるよ。それは君も知っているはずだ」
「そっ、そんなことを聞いているのではない! 女神が消えてしまえば困ると言っているのだ! 教会の権威も、築き上げてきた私の地位も名誉も、すべてがなくなってしまう!」
彼の台詞でフィノはすべてを察した。
男の心には、もはや信仰心など欠片も残っていない。彼の心配事は、女神が消えることで自分の立場が揺らいでしまうことだ。
大司祭という地位のおかげで、今まで贅沢な暮らしをしてこられたのだろう。それを失ってしまうことを恐れている。
「そっ、そんなことは……許しておけるものか!!」
叫び声を上げた男は、片腕を前に突き出す。
その瞬間、暗闇のさなかに眩い光が閃いた。
――光の魔法、〈ホーリーライト〉
フィノはそれに反射的に目を瞑ってしまった。と、同時に慌ただしい騒ぎ声がすぐ傍で聞こえてくる。
「うわっ」
『ぬおっ――』
聞き慣れた声の主はヨエルとマモンのものだ。確か、直前までヨエルはマモンに肩車をしてもらっていたはず。あの状況では男が何をしてもヨエルに危害を加えられないとは思うけれど……視界が白んでしまってはそれも確認出来ない。
「なるほど、これが魔法というやつか。面白いね」
頭上から四災が呑気に感心している声音を聞きながら、フィノは目が慣れるのを待つ。やっと元の暗闇を視認出来るまでに回復したと思ったら、目の前には予想外の状況が待っていた。
「――えっ!?」
フィノのすぐ傍にいたはずのマモンの頭部がまるっとなくなっている。
しかし本人は倒れもせず突っ立ったままだ。そして彼に肩車されていたはずのヨエルは――
「ぐっ、貴様ら――この小僧の命が惜しければ、先の事は撤回しろ!」
声高に叫んだ男の腕の中には、どういうわけかヨエルがいた。マモンの頭部を後生大事に抱いているヨエルを引き摺って、男は大穴の壁面……瘴気のヘドロに踏み込んでいく。
ヘドロ溜まりの深度は壁面に近付くほどに深くなる。じりじりと遠ざかっていく男の膝元まで浸っている有様に、悠長に構えている時間はないと悟った。
「っ、ヨエル!」
衝動的に踏み出したフィノだったが、それを留めるように今まで無言を貫いていたアルマが背後から告げる。
「君は生身だ。アレに進んで飛び込まない方がいい」
「でもっ」
「アルマが行こう」
彼はフィノの身体を押しとどめて前に進む。
アルマの行動にフィノは驚いた。彼がこうして自発的に何かをする事は殆どない。その殆ども、フィノが記憶しているのは一度だけ。ヨエルが飛び出して、それに着いていった時だ。
アルマがなぜあんな行動を取ったのか。何を想っていたのかは誰にも分からない。そして、今の彼の行動も予測がつかないものだった。
けれど、今の状況でこれ以上最善はない。機人の身体は生身ではないため、瘴気の影響を受け付けない。
問題はあそこからどうやってヨエルを救うかだ。
男が説得に応じるとは思えない。子供を人質にとって自身の保身に走るクズだ。何を言っても無意味。ならば実力行使に出るしかない。
フィノもそう考えるのだ。アルマも同じ考えなはず。しかしそれを躊躇せざるを得ないのが、男が人質にしているヨエルの存在だ。
懐に隠し持っていたナイフを少年の首筋に押し当てて、いやらしくもこちらの出方を伺っている。あれでは迂闊に近づけない。
マモンが動いてくれればいいけれど、どういうわけか。彼は身体を残したまま固まっている。おそらく頭部が離れた事が原因かも知れない。しかし、意外な弱点に驚いている場合でも無いのだ。
緊張に息を呑んだフィノを余所に、アルマは無造作に男との距離を詰める。
彼には脅しもはったりも利かなかった。
「と、とまれ! こいつがどうなっても――ヒィッ」
瞬きした一瞬のうちにアルマは男の眼前にいる。
彼の身体能力は凄まじいものでマモンですらなかなかに苦戦するものだ。怪力で俊敏……普段のアルマからは想像出来ないが、精々数メートルの距離を一瞬で詰めることなど造作もない。
しかし問答無用でヨエルを奪還しようとしたアルマの腕はそこまで届かなかった。




