地の底へと至る入り口
『まったく、とんだ無駄足だったな』
三度目の訪問することになった祠を見上げて、マモンはグチグチと文句を言う。
彼を抱きかかえているヨエルも、何度も往復することになって飽き飽きした様子だ。それでも泣き言をいったり不満を零さないのは、これがフィノにとって大事なことだと理解しているから。留守番ではなく一緒に居られるのだからせめて邪魔だけはしないようにというヨエルなりの気遣いである。
「許可はもらえたんだから、それでいいよ」
『うむ、そうではあるが……』
フィノが交渉しても大司祭を言いくるめることは出来なかっただろう。あそこで機人の四災が口を挟んでくれたおかげで、結果的に目的に近付いたのだ。
小言をいうマモンを窘めて、先に中に入っていった大司祭の後を追う。
祠の内部に足を踏み入れると、大司祭は大穴の淵に立っていた。そこからじっと暗闇が続く大穴の底を見つめている。
「この穴の底に何があるのか。君は知っているのか?」
「うん」
「そうか……」
彼はフィノにそれ以上は問い質さなかった。
聞かないだけか、それとも聞きたくないだけか。わからないが、大司祭はじっと暗闇から目を逸らさずに続ける。
「女神についての伝承は様々あるが、それにはみな一様にこの大穴には触れてはならぬと記されている。大いなる災いの元であると。現に瘴気の発生源でもあるのだ。もちろん今でも女神様のことは信じてはいる。先のあやつの言葉を鵜呑みにしたわけではないが……」
彼の声音は微かに震えていた。
禍々しい場所に潜む正体不明の存在。それに恐れを抱かない輩はいない。当たり前の反応だ。
フィノだってこの大穴に飛び込んだときは彼と同じように言いしれぬ恐れを感じた。
本当にこの大穴に底はあるのか。あったとしてそこには何が居るのか。本当に無事に地上に帰れるのか。
気丈でいようと努めていても心の底から恐怖が染みだしてくる。それには慣れなんて存在しない。どんな状況でも心を潰しに来るのだ。
きっと彼の心の中はかつてのフィノと同じなのだろう。
「行きたくないなら待ってても……」
「何をいう! あそこまで言われて黙っていられるか! 何があっても連れて行ってもらう!」
頑なな大司祭の態度に苦笑して、フィノは大穴の底へ行く準備をする。
マモンへいつものように頼もうとしていると、不意に小さな呟きが聞こえた。
『あれは……驚いた』
その声にフィノが振り返ると、隣にいたヨエルの腕の中で、マモンがあるものを見上げていた。
「どうしたの?」
『あれを見てみるといい』
マモンが示したもの。それは祭壇にまつられている匣だった。
祠の内部は他の場所と同じ作りになっている。しかし、この場所にあるあの匣だけは他とは違い瘴気の影響をまったく受けていないのだ。
「なんで!?」
『おそらく、この場所には元々瘴気が存在しないのだ。奴が封印されていないのだとすればそれも道理だろう』
まるでたった今知ったことだとでも言うようにマモンも驚いている。しかし彼は魔王として今まで瘴気を浄化してきた。
この場所だって幾度となく訪れたはずだ。それなのに知らなかったなんて、有り得るのだろうか?
「なんで知らなかったの?」
『己もここまで変化がないとは知らなかった……いや、気付けなかったという方が正しい。以前、魔王としての使命を果たしたのが、十五年前のこと。この千年の間、ここまで匣に溜まった瘴気を放置した試しはなかった。多くても二、三年だ。そんな短期間では匣の変化など微々たるもの。確かに他よりは少ないとは思っていたが……大気中に残留している瘴気を吸収していたのならば得心がいくよ』
ううむ、とマモンは唸り声をあげた。
目の前の現象を見て、無人の四災がこの場所に囚われていないというのは確定事項だ。問題はどうしてそうしているのか。理由が未だ掴めないこと。
森人の四災の助言で色々と情報を集めたは良いが、肝心な所はわからず終いだった。
これが吉と出るか凶と出るか。
一抹の不安を抱えたまま、マモンの背に乗り一行は大穴の底を目指す。




