良いマモン
旅装店に入ったフィノは、色々と見繕う。
「んぅ、たくさんあるけど……これなんかどう?」
フィノが選んだのは、完全防水の革の外套だった。
布製では雨風からの体温の低下は防げるけれど、水を吸収するためすぐに濡れてしまう。たいして革の外套ならば完全に雨を弾く。これで身体を覆ってしまえば濡れてしまう心配もないわけだ。
その代わり、身体の保温は出来ないしかなりの重さがある。
「これなら雨にも濡れない」
「かして!」
アルマの手から外套を奪って、ヨエルはなんとか着ようとする。けれど着れたはいいが、重すぎて一歩も歩けない。
「ぐえぇ」
『ヨエルにこれは着られないだろう。重すぎる』
外套の重みで潰されたヨエルは、這い蹲ってその下から出てきた。
「こんなに重いの、アルマはだいじょうぶ?」
「問題ない」
ヨエルの心配にアルマは心配ないと言う。
けれど、フィノだってこんなに重い外套を着て歩くのは難儀する。いくら疲れ知らずと言っても、長旅には向かない旅装だ。
「動力があれば問題ない」
身体にかかる負荷よりも、雨に濡れる事の方が問題だとアルマは言う。彼の意見を聞いてフィノも、それもそうかと考えを改めた。
なんせアルマの身体は高威力の魔法攻撃を食らっても傷一つ付かないのだ。頑丈さならば折り紙付きである。
「うん、じゃあこれにしよう」
新調した外套を買い付けていると、ふとヨエルがあることを気にした。
「フィノ、それボロボロだね」
彼が指差したのは、フィノがいつも首に巻いている襟巻きだ。
紺碧色の、色鮮やかな襟巻き。前に機人の四災にこっぴどくやられた時に熱で焦げてしまって、まだら模様に穴が空いてしまった。
これにはフィノもものすごく落ち込んだ。お気に入りであり、大切なもの。大事に扱っていたものだったからだ。
「んぅ、これは……大事なものだから、このままでもいいよ」
「誰かにもらったの?」
「うん、ミアの手作り」
「おかあさん?」
「そうだよ」
十年前、まだミアが生きている時の話だ。
フィノがカルロと村に居る間、皆と別れて寂しい思いをしていると心配したミアが、わざわざ手作りして贈ってくれた。
何かの記念でもない贈り物を貰ったのは初めてだった。あの時は本当に嬉しくて、身につけて貰いたいと思って贈ってくれた物なのに、フィノはそれをずっと大切にしまっていた。使うとボロボロになるし、早く傷むと思ったからだ。
戻ってきたら着けている所を見せて、と同封されていた手紙に書いていた。
結局ミアにそれを見せることは叶わなかった。それを想うと今でも悲しくなる。意地になって、変に気遣って……機会はいくらでもあったのに、それをすべて棒に振ったのは自分のせいだ。
悔やんでも悔やみきれない。
もう少し早く決心できていたなら、何か変わっていたんじゃないかと、たまに考える。
フィノがこうしてミアから貰った襟巻きを肌身離さないのは決意の表われなのだ。
もう二度と間違いは犯さない。後悔を忘れないように、すぐに気付けるように。
「……フィノ」
ヨエルは思い詰めたフィノの表情を見て、声を掛けるのを辞めた。
そっと傍を離れると、ヨエルは店の入り口にいたマモンを抱き上げる。
『む、どうしたのだ?』
「ううん、なんでもない」
飽きたから外に行こうと扉を潜ると、店の外壁に寄りかかってヨエルは深く息を吐いた。
「フィノとぼくのおかあさん、仲良かったの?」
『? いきなりどうした』
「フィノが首にまいてるの、おかあさんから貰ったんだって」
『うん? ……ああ、あれか! 覚えているよ』
ヨエルの発言にマモンは心当たりがあるのか、思い出したかのように声を上げる。
『アルベリクの母親がいるだろう?』
「おばさんのこと?」
『そうだ。そのティルロットが、ミアに織物の手解きをしてやってなあ。初めて作るから上手く出来るかと心配していたが……ミアは手先が器用だから、杞憂というやつだったよ。ああして大切に使ってくれているのだ。彼女も嬉しいだろうな』
しみじみと語るマモンの言葉にヨエルは目を伏せる。
「フィノ、悲しそうな顔してた」
『……そうだろうなあ。思う所はあるはずだ』
「ボロボロだったから、新しいのにかえたらいいって思ったんだ。でも、大事なものって聞いたから、そんなこと言えなかったけど……」
『うむ……』
少年の落ち込む様子を見て、マモンはやっとそこで察した。
ヨエルはフィノに新しい襟巻きをあげたかったのだ。けれど、あんなことを言われては諦めざるを得ない。
少し悩んだのち、マモンはヨエルにあることを提案する。
『ヨエルも自分で作ってみてはどうだ?』
「え?」
『作り方ならティルロットに教わるといい。フィノの用事がすべて終わって、シュネーに帰ったらお願いしてみるといいよ。もちろん、フィノには内緒でこっそりとだ』
マモンの話を聞いて、ヨエルは落ち込んでいたのが一転、嬉しそうに笑みを浮かべた。
「そ、それ! ぼくでもできるかな?」
『そんなに難しくはないと聞いているよ。根気はいるだろうがね』
「うんっ!」
意気込むヨエルを微笑ましく眺めていると、買い物を終えたフィノとアルマが店内から出てきた。
「いないと思ったら外にいた」
「もういい?」
「うん。必要な物は揃ったよ」
アルマは早速、革の外套を着ている。
頭からすっぽりと身体を覆うそれは、中々に様になっている。
「アルマ、似合ってるね」
「これで行動可能領域が広がる。以前のような失態は冒さない」
ヨエルの褒め言葉に、アルマはいつものようにズレた返答をする。
相変わらずの様子に苦笑して、フィノは声高に宣言する。
「買い物も終わったし、ごはん食べに行こう!」
「食事……ここにはおいしいはあるのか?」
「お店の人に聞いたら、山羊料理があるって」
「ヤギ!?」
デンベルクは土地柄故に山岳地帯が多い。
高所に生息している山羊が肉料理として振る舞われるのだ。おまけに山羊の乳から作られるチーズも美味しいと評判である。
けれどヨエルは山羊を見たことがない。シュネーの雪山には馴鹿はいるけれど、山羊は見かけないから当たり前だ。
「マモン、ヤギってなに?」
『うむ、馴鹿のような動物だ。立派な角が生えている』
「マモンみたいな?」
問われて、マモンは鎧姿に変化する。そうして頭をコツンと叩く。
『己のはただの飾りだ』
「そうなの?」
『ああ、どうだ。恐ろしいだろう?』
「うーん……すこし?」
いつも一緒にいるヨエルにはマモンの姿は脅しにもならないらしい。
「マモンは怖くないよ。良いマモンだよ」
『あ、ああ。そうだとも。良いマモンだ』
ヨエルの一言にマモンはある事を思い出していた。
かつて、アリアンネと共に旅をしていた時のことだ。他人にマモンをどういうものか、説明するには何が一番か。そんな話題になって、アリアンネは伝わりやすい方がいいと、マモンのことは『良いマモン』だと紹介するようにと、おかしな事を言い出した。
どうしても引かなかったから渋々マモンもそれに従ったが……そもそも何もやましい事を抱えてなければ、自分の潔白を証明せずともいい。それをするのは悪事を働く者だけだ。
……ということを、マモンは気づいていたがわざとアリアンネには伝えなかった。単純に訂正するのが面倒だったからだ。
かつての出来事を思い出してマモンは苦笑を零す。
奇しくも、今のマモンは魔王ではなくただのマモンである。あの言葉もあながち間違いでもない。
「二人とも、いくよ」
「うん! マモン、肩車して!」
『あいわかった。頭はとらんでくれよ』
鎧姿のマモンの頭部は着脱式だ。掴まれたら簡単に外れてしまう。
ヨエルに釘を刺して、マモンはご希望通り肩車をするとフィノの後を追った。




