心を知るということ
長話を終えたところで、アルマはふと顔を上げた。
「雨は上がったようだ」
アルマの一言にヨエルは耳を澄ませる。すると外で鳴っていた雨音はいつの間にか消えていた。
『うむ、そろそろ帰ろうか』
「えっ、もう戻っちゃうの?」
『まだ外で遊ぶならそれでも良いが……また雨が降ってくるかもしれないだろう? そうなれば、こやつを連れて歩き回るのは難儀する』
アルマを見遣ってマモンはヨエルを諭した。
これにはヨエルもその通りだと思った。アルマは大丈夫だと言うけれど、それでも水に濡れることは極力避けたいようだったし、あまり無理をしてしまえば本当に動けなくなってしまうかもしれない。
「うん……わかった」
しょんぼりと肩を落としている少年を見て、アルマはある提案をする。
「アルマのことは構わなくていい。君たちだけで楽しんでくるといい」
「だっ、――ダメだよ! それじゃ意味ない!」
アルマの提案にヨエルはなぜか反発した。
少年の反応にアルマは理解が及ばない。彼はどうしてこんなことを言うのか。疑問に思っていると、ヨエルはぽつりと呟く。
「ぼく、アルマも一緒じゃなきゃいやだ」
「……なぜだ?」
「マモンと一緒でも楽しいけど……でもやっぱりみんなと一緒がいいんだ」
子供じみた聞き分けのない我儘に、アルマはますます疑問を募らせていく。しかし、ヨエルに尋ねたところで答えが返ってくるとは思えない。
アルマは彼の腕に抱かれているマモンを見る。その視線に気づいたマモンは、苦笑を零した。
『懐かれているということだ。己としては少々癪だがね』
「懐かれている? アルマは君に何もしていない」
「そんなことないよ!」
二人の返答に、アルマは首を傾げた。
本当に彼には心当たりがないのだ。アルマは彼の主人に言われて、着いてきただけ。もちろんそれは自分の使命もあってだが、彼は未だ心の獲得には至っていない。無機質で無愛想な鉄の人形である。機人の四災……彼の主人の言葉を借りるならば、生物ですらない。
そんなアルマを、少年は少なくとも想ってくれている。その感情の機微に、アルマはやはり理解出来なかった。
『それでは、雨が上がっているうちに宿に戻ろうか』
「うん! あっ、ちょっとまって!」
ヨエルは座っていたベンチから立ち上がると、すぐに座り直した。彼の行動をマモンとアルマは何事だと見守っていると、少年は聖堂に安置されている水晶に向かって目を瞑った。どうやら何かを祈っているらしい。
しばらくするとヨエルは瞑っていた目を開けて、くるりと振り返った。そしてアルマと腕の中にいるマモンを交互に見遣って、嬉しそうにはにかんだ。
「何をしていた?」
「えっ、ええ……ないしょ!」
「秘密なのか?」
「そうじゃないけど……はずかしいよ」
ヨエルは面と向かって答えることを拒んだ。彼にしては珍しい態度である。少年の様子にマモンが珍しがっていると、少し悩んだ後ヨエルは観念したように呟いた。
「みんなとずっと一緒にいられるように、女神様におねがいしたんだ」
照れたように笑って、ヨエルは再び二人を見る。
微笑ましい少年の願いにマモンは笑みを零す。
『それは是が非でも叶えてもらわねばなあ』
「うん。マモンとは前に約束してるから……だいじょうぶだよね?」
『当たり前だ。なんだ? ヨエルは疑っているのか?』
「ち、ちがうよ!」
『はははっ、冗談だ。決してひとりにはしないよ』
からかうようなマモンの言葉にヨエルは不満げに頬を膨らませる。
楽しげな二人の様子を見て、アルマはじっとマモンを見つめた。
「それは――」
「? どうしたの?」
「……いいや、何もない」
何かを言いかけて、アルマは口を噤んだ。
彼の珍しい態度にヨエルは少しだけ訝しむ。けれどすぐにそれも忘れて、アルマの腕を引くと、マモンを腕に抱えたまま雨上がりの外へと向かっていった。
===
大人しく宿に戻ってきたヨエルは、それから眠るまで部屋の中で遊んでいた。
二人と他愛もないお喋りをしたり、レシカに新しい友達が出来たと手紙を書いたり、その途中で昼寝をしたり。
実に有意義な時間を過ごして、気づけば夜も更けている。
朝方にはフィノも戻ってくるはずだと少年を寝かしつけて、マモンは静かな寝息が聞こえる室内で、穏やかな心持ちでその寝顔を見つめていた。
そうしていると、今までそれを静観していたアルマが声を潜めてマモンへと話しかけた。
「なぜだ?」
『うん?』
「君はどうして彼に嘘を吐く?」
『……何の話だ?』
「先刻の、約束の話だ」
アルマは日中、ヨエルが教会で言っていた、ずっと皆と一緒に――という願いについて、言及してきた。彼ははっきりと断言する。マモンがヨエルに約束したそれは、嘘……虚偽であると。
「アルマに指摘されなくとも、君が誰よりも理解しているはずだ。君が呪詛である限り、永遠はない。ずっと一緒はあり得ない」
『それは……』
「叶えられない約束はするべきではない。契約の履行ができないものなど、約束とは言わない」
アルマはマモンへと容赦のない物言いをする。
マモンはそれに反論が出来なかった。彼の言う通りだからだ。
昨日、機人の四災の話を聞いて、マモンも確信を得た。
今は自然と溢れている瘴気。地上にも微量だが漂っている。弱体化していたマモンはそれを使って、なんとか力を蓄えていた。
マモンは呪詛である。だから瘴気がなければそもそもが存在できない。そこに瘴気の濃度はあまり関係がなく、微量であってもそこにあれば問題はない。
しかしあの四災の話では、四災が大穴に封じられる前は地上に瘴気は存在しなかった。それすなわち……この先、四災の封印を解いて全てを大穴から出した暁には地上から瘴気は跡形もなく消えてしまう。
その時点で、マモンはその存在を維持出来なくなるだろう。
つまり、いずれ消えてしまうということ。
アルマの指摘はそれを言っていた。
『おぬしは、それが正しいと思っているのか?』
「そうだ。欺瞞は信用を得るためには排除するのが一番だとアルマは考える」
マモンはアルマの意見を受け止める。その上で、自分の想いを伝えた。
『己は、この子にはまだ伝えるべきではないと考えている』
「なぜだ?」
『……そんなことを言ってしまえば、ヨエルが悲しむ。この子には最後まで笑顔でいて欲しい』
「だが――」
『お主も少しはそれを思っていたから、あの時口を噤んだのではないのか?』
マモンの指摘に、今度はアルマが言い淀む。
あの時……教会でアルマはこの事を言いかけた。ヨエルに、その願いは叶えられないと。けれど、彼はそれを黙っていた。
「……解らない」
『きっといつかわかる時が来る。己がそうだったのだからな』
「これが心というものか?」
『さあ、どうだろうなあ。心にも色々ある。一概には言えんよ』
疑問を解決出来ずに黙り込むアルマを見て、マモンは穏やかに笑った。




