女神という存在
街へと繰り出したヨエルはマモンを抱えて、アルマの腕を引きつつある場所へ向かう。
三人が向かった場所は、街の大通りを少し外れた屋台通り。道の両側に、所狭しと露店や屋台が並んでいる。見ているだけでも楽しい場所だ。
もちろん人通りも多く、人波に攫われてはぐれないように、ヨエルは並び立つ屋台を順繰りに見てまわった。
「アルマの好きな食べ物ってなに?」
「好きな?」
「うん」
「……好み、ということか?」
「うん、それ」
ヨエルの問いかけにアルマは悩み始めた。
随分と真剣に熟考している。すぐに答えが出そうなものだけど……どうにもアルマには難しいことみたいだ。
「たくさん量がある食事が好みだ」
「それ、好きっていわないよ!」
「そうなのか?」
「好きな食べ物は、おいしいってこと!」
「おいしい……」
アルマは未だ「おいしい」がわからないみたいだ。昨日ヨエルが一生懸命に教えたというのに。
アルマは困ったように周囲を見渡す。
すると、近くにあった屋台の店主が声を掛けてきた。
「お客さん、お一つどうだい? うちのは他のとこよりおいしいよ!」
「おいしい?」
その一言を聞いて、アルマの足が止まる。
屋台を見つめて、それからヨエルに顔を向けた。
「これのことか?」
「うーん……お店の人はみんなそう言うよ」
「そうなのか……」
「うん。だから、食べてみないとわからないんだ」
そう言ってヨエルは屋台に売っていたパンの包みを二つ買う。
一つは自分用、もう一つはアルマの分だ。
「うん、おいしい!」
「……あまくて、からい」
一口で全て食べ終えたアルマは、味の感想を述べる。
何の進展もない様子に、静観していたマモンが小言を挟んだ。
『こやつに教えても無駄かもしれんなあ』
「君はおいしいが解るのか?」
『食事の味はわからんが……おいしいは解る。楽しいと同じだ』
「……たのしい??」
ここに来て、アルマは何が正解なのかわからなくなった。
「わからなくてもいいよ!」
「だが……」
「いいから!」
「おいしい、たのしい……」と壊れたように呟く彼の手を引いて、ヨエルは屋台通りを練り歩く。
今日はフィノがいないけれど、存外に楽しいものだ。それはきっとマモンとアルマがそばに居てくれるから。
フィノに留守番をしていて、と頼まれたときは正直不安だった。昨日のトラウマを思い出してしまう。
それでも、楽しい思い出があればそんな不安もかき消してしまえる。
「うわっ――」
けれど、楽しいひとときも急な通り雨のせいで終わりを告げた。
ざあざあと激しく降り付ける雨に、一気に全身が濡れる。
慌てて隣を見遣ると、水が苦手なアルマは身動きもせずに固まっていた。それにヨエルは彼の手を引いて雨宿り出来る場所を探す。
「どっ、どうしよう……」
宿に戻るにしてもそれなりに距離がある。走っていっても途中でアルマが動けなくなるだろう。
今だって身体の動きが鈍い。すぐに雨を凌げる場所を探さないと!
ずぶ濡れになりながら駆け回っていると、それを止めるようにマモンが声を上げた。
『あの場所はどうだ?』
マモンが示した場所は、近場にある教会だった。
「勝手に入って怒られない?」
『あの場所は誰にでも開いているという。大丈夫だろう』
マモンの言に従って、ヨエルはアルマの腕を引きながら教会の扉を潜った。
ざあざあと鳴る雨音を遮断して、中に入るとヨエルはほっと息を吐く。
「だいじょうぶ?」
「ああ、君のおかげで大事には至っていない」
「すごい雨だったね」
雨が止むまではアルマはどこにも行けない。しばらくここでお世話になりそうだ。
アルマはヨエルが引いていた手を離して、雨に濡れた身体の処理を始めた。もくもくと上がる水蒸気に、ヨエルは感嘆の声を上げる。
そうしていると、ヨエルたちに気づいた教会に勤める僧侶が声を掛けてきた。
「どうされました?」
彼女はアルマの様子に驚きながらも、追い返したりはしなかった。丁寧にヨエルに問いかける。
「雨宿りしたいんだ」
「そうでしたか。構いませんよ」
にっこりと微笑んだ僧侶は、立っているのも疲れるだろうと座れる場所へ案内してくれた。素直にそれに従うと、通されたのは教会の奥にある聖堂。
そこには人がそれなりにいて、何かしているようだ。
「これ、なにしてるの?」
「今日はお祈りの日なので、皆さんああして女神様にお祈りしているのです」
信心深い彼らはヨエルたちに気づくこともなく、台座に乗せられている綺麗な水晶に向かって頭を下げて祈りを捧げている。
初めて見る奇妙な光景に、ヨエルはなんだか変な気持ちになった。
「……あれが女神様?」
皆が熱心に祈りを捧げている水晶を指差して、ヨエルは問う。すると僧侶はゆっくりと頷いた。
「ええ、あれが女神様の御神体です。御神体の一部、ですね」
「……いちぶ?」
「本当はもっと大きいのです」
僧侶の説明では、本体は別の場所に安置されているという。ルトナーク王国にある大聖堂。そこの地下に女神の本体はあって、こうして各地の教会に納められているのはそれの一部なのだと。
「ですが公衆には女神様のお姿は公開されません。唯一接触可能なのが、大聖堂におられる大司祭さまですね」
だから民衆はおろか、こうして教会に仕えている僧侶や神官でさえも女神を直に見たことのある者はいないのだ。
「ふーん、そうなんだ」
「わたしもお目に掛かったことはありません。ですが、きっとこの世のものとは思えないほど、荘厳で美しいのでしょうね」
確かに、あの水晶はとても綺麗だ。目が釘付けになる。なんだか不思議な存在だ。
今まで女神について、ヨエルはまったく気に掛けたことがなかった。エルリレオは元神官だったと言っていたけれど、女神云々の話はまったくされなかったし、フィノだって同じだ。
でも女神と聞いて、ヨエルが思い浮かべたものはこんな水晶などではない。もっと人間味のあるものだと思っていた。
感覚的なものだけど……あれはどこか冷たい感じがする。
『あれが女神というならば、本体はどんなものか。気になるな』
僧侶が傍から去って行くと、マモンが小声で呟いた。
ログワイドがあそこまで嫌っていた存在である。どんなものであるのか、マモンは少し興味があった。
それでも今まで接触してこなかったのは、魔王という存在と女神。双方の関わりが薄かったからだ。
魔王の使命に女神は露ほども関与していない。もちろん、勇者を生み出す存在ではあるが、それだけだ。関わったところで何が起こるわけでもない。
「アルマは、女神ってしってる?」
「知っている」
何の気なしに聞いたヨエルの問いかけに、アルマは肯首した。
「マスター曰く、あれは思い上がった人間の末路。あのように崇められる存在ではない」
彼が語った話は、女神の存在を根底から覆すものだった。




