信じるか、信じないか
部屋から飛び出したヨエルは、街中を当て所なく彷徨う。
歩き続けて交差路のある大通りまで出ると、そこの隅にあるベンチに腰を下ろした。
夕暮れの時間帯。
道行く人が次第にまばらになるのを眺めながら、胸中で巻き起こっている葛藤に、ヨエルは深く息を吐く。
「はあ……」
少年の心をここまで乱しているのは、ヨエルを攫った男が言っていた事実のせいだ。
彼は魔王について教えてくれた。あれが本当の事だったからヨエルは攫われて、マモンだって自分の事を秘密にしていたのだ。
それに先ほどの手紙にだって、似たような事が書かれていた。すまないと謝っていたけれど、要するに危険なことに自分の息子を巻き込んだのだ。
そこに愛情はあったのか……普通なら、子供の安全を第一に考えるのが親というもの。両親はいないけれど、まだ幼いヨエルにだってそれくらいはわかっている。
だからヨエルには、あの手紙が本心を語っているのか。それともヨエルを宥める為の嘘であるのか。疑ってしまった。
自分でも馬鹿な事だとは思っている。
父親からの手紙をもらった時、ヨエルはものすごく嬉しかった。形見の指輪は持っている。けれどそれとは別の、初めての贈り物だ。嬉しくないはずはない。
けれど蓋を開けてみるとこんなことになっている。嬉しいのに、心の底から喜べない。その原因が誰にあるのか、誰かのせいなのか。どれだけ考えても、ヨエルにはやはりわからないのだ。
ふと顔を上げると、目の前にはいつの間にかアルマが立っていた。
表情の読めない彼は、無言のままじっとヨエルを見つめている。
「ぼくに着いて行けっていわれた?」
「いいや」
「じゃあ……なんでいるの?」
ヨエルの問いに、アルマは黙ったまま立ち尽くした。
どうやら答えが出てこないらしい。彼はそのまま、問いに答えることなくヨエルの隣に座る。
それでもヨエルを連れ戻す為に、こうして来たわけではなさそうだ。
そのことに安堵していると、アルマは聞きたいことがあると言った。
「アルマには感情というものが上手く理解出来ない。だが、言葉の意味はわかる。客観的に見て、あの手紙に書かれていたのは君への懺悔だ。それに嘘を混ぜる必要はどこにも無い。真実を語らないのならば赦しを乞う以前の問題だ」
「……うそじゃないってこと?」
「そうだ」
「そっ、そんなの! わからないよ! だって……っ、だって会ったこともない! どんな人かもしらないんだ」
怒りなのか、悲しみなのか。わからない感情をぶつける。声を荒げるヨエルを、アルマは何も言わずに見つめているだけだ。
「そうだ。あの手紙の内容が真実であると確かめる術はない。だが、嘘である事を確かめる術もない。君に真実を語れる者は既にいないのだから」
容赦なく突き付けてくる事実に、今まで必死に堪えていた涙が溢れてくる。
嗚咽を零すヨエルを見て、アルマは淡々と続ける。
「君が彼の言葉を信じるか信じないか。たったそれだけのこと」
「ぼくが……」
彼の言葉に、ヨエルは自分がどうしたいのか。必死に考えた。
「ぼく、お父さんとお母さんのこと、きらいじゃない。ただ、悲しいんだ。マモンとフィノがいるから寂しくない。でもたまに思うんだ。いつもは考えないようにしてるけど……どうしてぼくには両親がいないんだろうって」
「死んだからいないのは当たり前だ」
「そ、そうだけど……そうじゃない」
ヨエルの否定にアルマはしばらく思案する。そうして再び開口した。
「あの手紙には、君を孤独にしてしまうことへの謝罪が書かれてあった。それを望んでいたわけではない」
「うん……」
もちろんそれはヨエルも理解している。でもそれだけでは納得できない部分というのもあるのだ。悲しみというものはすぐに癒やせるものじゃない。
「アルマ、悲しいってわかる?」
「わからない。君がどうして泣いているのかも、アルマには理解出来ない。そうなった原因は解るが……それと今の君の結果が繋がらない。とても奇妙だ」
アルマはぶつぶつと呟くとかぶりを振った。
彼には心がないと言っていたけれど、この様子を見てしまえばそれにも納得だ。悲しみも、嬉しさも、怒りも。アルマには理解出来ないものなのだろう。
けれど、だからこそ彼の言葉はまっすぐにヨエルに届く。感情の機微が見えないアルマは、ヨエルを気遣う言動をしない。
疑問や答えを愚直に伝えてくるのだ。そしてそれは、今のヨエルには何よりも正解に成り得るものだった。
「お父さん、ぼくのことどう思ってたんだろう。大事だって思ってたのかな」
小さな呟きに、アルマはヨエルを見遣る。
じっと前を見つめる彼の視線は、通りを歩いている親子に向けられていた。
それを交互に見つめて、アルマはヨエルに疑問をぶつける。
「君にとって、大事な人の定義とはなんだ?」
「て、ていぎ?」
「何をもって、大事な人とする?」
アルマの問いかけに、ヨエルは俯いて考える。
大事な人……ヨエルにとってそう呼べる人は、ずっと傍に居てくれるマモンと、自分の子供のように育ててくれたエルリレオ。それに、いつもヨエルを守ってくれるフィノ。
「……ぼくのこと、ちゃんと想ってくれるひと。大切だよっていわれると、ぼくもおんなじ気持ちになる。だから……」
上手い言葉が出てこなくて、ヨエルは声を詰まらせる。
それでも傍でそれを聞いていたアルマにはしっかりと伝わったようだ。
「それでは、あの手紙の主も君にとって、大事な人になる」
「そうかな……」
「愛しているとは、愛情を表す言葉の一つだ。無関心を抱いている相手に、その言葉は使わない」
「うん……」
「だから、悲しむ必要はどこにもない」
アルマの言葉は知り得た事実からくるものだ。それでもヨエルを想って、悲しむ必要は無いと彼は言った。それをヨエルはちゃんとわかっている。
「うん、ありがと」
「礼には及ばない」
泣き顔を隠して笑顔を見せると、アルマは口を開いて言葉を発する。
それがなんだか笑っているようにも見えて、ヨエルはもう一度、「ありがとう」と伝えた。




