昔話に花が咲く
野営地での報告を済ませて、一行はメルテルまで戻ってきた。
宿へと帰り着くと、ヨエルはすぐさまベッドに倒れ込む。そのまま寝てしまうかと思われたが、突然むくっと起き上がるとフィノの傍に寄ってきた。
「フィノ、おなかすいた」
「そういえば、朝もお昼も食べてなかったね」
スタール雨林から戻ってきたわけだが、街に着いたのは昼を少し過ぎた時間帯。あの場所はずっと暗かったし時間の感覚も狂っていた為、長居していたと勘違いしていたけれど、そんなに時間は経っていない。
それでも半日以上飲まず食わずでは、子供には辛いはずだ。
「それじゃあ、ご飯食べに行こう」
「うん!」
フィノの一言にヨエルは途端に元気になった。
ずっと腕に抱いていたマモンをベッドに放り投げると早速出掛ける支度をする。
「アルマは食事、するの?」
部屋の壁際に立ってじっとしていたアルマに尋ねると、彼は頷いた。
フィノは機人の生態について何もしらない。生物であると機人の四災は言っていたし、口もついているからと聞いてみたのだが……食事を摂ることはするみたいで、必要なことらしい。
「身体を動かすために食事は必要だ。だが、味は重要視していない」
「それって……つまり」
「食べられるものなら、なんでもいい。味覚の有無は任意で変えられる」
随分と味気ない事を言う。彼にとって食事とは作業と同じらしく、何の楽しみもないものみたいだ。
それを聞いて、フィノが思い出すのはユルグのことだった。
彼も瘴気の影響で味覚に難があった。それでも食事は摂らなければならない。本人も相当苦労していたはずだ。
「おいしいのがわかんないの?」
アルマの返答を聞いて、すかさずヨエルが問いかける。すると彼はそれに頷いた。
「味の種類ならわかる。あまい、からい、にがい」
指折り数えて教えてくれるアルマの回答は少しズレたものだった。そんなものでは少年の疑問は解決できない。
「おいしいは?」
「それはわからない」
「そうなんだ……おいしいは、みんなで食べるとわかるよ」
「そうなのか?」
「うん!」
楽しげに頷くとヨエルは彼の手を取る。
疲れ切った様子などどこへやら。ヨエルはまだ支度を済ませていないフィノを急かす。
「フィノ、はやく!」
「う、っと……先に宿の前で待ってて」
「わかった!」
元気よく声を上げると、ヨエルは脇目も振らずにアルマの手を引いて部屋を出て行った。
元気が有り余っている様子に苦笑してふとベッドの上に目を向けると、そこには置いていかれたマモンがぽつんと座っている。その姿はどこか哀愁が漂っているようにも見えた。
『お、置いていかれた……』
「マモン、大丈夫?」
『あ、ああ……大丈夫だ、問題ない』
そう言う割には彼の犬耳は垂れていて、どことなく覇気がない。それだけでも彼の心情を察するには充分すぎる。
雑嚢に財布をしまい荷物を部屋に残して身軽になると、フィノはヨエルと対照的に元気がないマモンを抱き上げる。
久しぶりに触れたマモンの身体は昔と変わらずひんやりと冷たかった。
「落ち込まなくてもいいと思う」
『だがなあ……』
もごもごと言い淀むマモンの心境をフィノはしっかりとわかっていた。
今までマモンにベッタリだったヨエルが、ああして初対面の誰かに懐くのが面白くない。嫌なのだ。ともすればこれはやきもちにも似ている。
「ヨエルの一番大事なものはマモンだよ」
『それは……』
「今のだって悪い事じゃない。あの子も成長してる。だから、今は見守ってあげなきゃ」
『わかったよ……あやつに目くじらを立てるのは、少しばかり抑えよう』
「あんまりしつこいと、ヨエルに嫌われちゃうからね」
フィノの忠告に、図星を突かれたマモンはうぐぅと唸り声をあげた。
===
アルマとの食事は、誰にとっても珍しいものだった。
彼は本当に何でも食べる。
皿に盛られた料理はもちろんのこと。こんがり焼かれた骨付き肉の骨もバリバリと噛み砕いて飲み込んでしまうし、串焼きの串だってお構いなし。
料理が盛られた木皿を食べようとした時はいい加減止めたけれど、本当に彼の言葉通りだった。
アルマにとって食事とはおいしさなど、どうでも良いことなのだ。
「それおいしいの?」
「わからない。だが、骨片は消化に悪い」
「じゃあ食べなきゃいいのに!」
誰しもが思っていたことをまっすぐに言い切ったヨエルは、彼の手から食べかけの骨を奪い取る。
『流石の己もそんなものまでは食わんぞ』
「アルマの食事は動力の供給。かたや君の食事は単なる嗜好。意味合いが違う」
『な、なんだと!?』
反論をされてマモンは椅子に座ったヨエルの膝の上で狼狽える。
これについてはまったくの図星なのだから、マモンも何も言い返せない。それでも気が治まらなかったのだろう。
先刻のフィノの忠告を無視して、マモンはアルマに突っかかっていった。
『食事のおいしさを感じぬのであれば、己と大差ないだろう!』
「違いはある」
『だからそれは――』
ついに始まってしまった口論に、その間に挟まれているヨエルはたまったものじゃない。
手に持っていた肉叉をテーブルに置くと、抗議を始める。
「二人とも、仲良くしてよ!」
『こんな奴とは到底無理な話だ!』
「彼が話し合いに応じなければ難しい」
「そっ、そんなこといわないでよ……!」
一連の出来事をテーブルを挟んだ向かい側で見ていたフィノは、どうにもこの状況に懐かしさを感じた。
むかし、よくこうしてミアが仲の悪いユルグとマモンの仲介をしていたっけ。結局、何を言っても二人は聞く耳を持たなかったからミアもほとほと呆れていた。
「懐かしいなあ」
しみじみと呟くと、ようやくヨエルがどうにも出来ないと察してフィノに泣き付いてきた。
「フィノ……これどうすればいい?」
「うーん、放っておけば?」
「でも、ぼく二人には仲良くしてほしい」
ヨエルの意見もわからないでもない。せっかく共に行動をすることになったのだ。仲良く、円満な方が良いと考えるのも当然である。
でもこれの仲を取り持つのは、フィノだって難しい。
「こういうのは時間が解決するものだって」
「そうなの?」
「ミアの受け売りだけどね」
「おかあさん?」
「うん、そう」
突然フィノの口から母親の話題を聞いて、ヨエルは驚いた。
普段、何気ない会話でこうして両親の話が出てくることなど殆どないからだ。ヨエルを想ってのことなのかは知らない。でもフィノは本当にそういった話はしない。
それを聞いてしまったら、尚更ヨエルの興味は尽きない。
「昔はユルグとマモン、仲悪かったから」
「それ、聞いたことある! マモンも言ってた!」
「そうそう、だからね――」
楽しく昔話をしていると、それを聞いたマモンはアルマとの口論を辞めた。
解放されたアルマは再び無心で食事を再開する。
『フィノ、あの時の話は……』
「ただの思い出話! ヨエルも知りたいって言ってる」
『ぐっ、うぬう……』
都合の悪い話でもそう言われたら反論が出来ない。
逃げ場を失って、マモンはヨエルの膝の上大人しくするしかなかった。




