追跡のさなか
フィノがスタール雨林に侵入して、ほどなくすると頭上から激しい雨が降り付けてきた。
けれどそれに彼女の足が止まることはない。
ヨエルを連れ去った犯人の侵入経路は割れた。しかしそこからどこへ進んだのか……追跡にフィノは難儀していたのだ。
二人分……もしくは、二人と一匹の足跡は辿れなくもない。けれどそれにだって限度がある。どこかで途切れてしまえばそこから先の追跡は更に難しくなるだろう。
それに……フィノが一番懸念しているのは、兵士が言っていた悪魔の存在だ。彼らの話では、その悪魔とやらはスタール雨林をうろついていて自分の縄張りとしているらしい。
法外な強さを持つ相手にばったりと遭遇して無事でいられるか、なんて考えなくても解りきったこと。
故に、悠長に足跡を追っているのでは手遅れになってしまう。
焦燥ばかりが募るが、依然ヨエルの姿は見えないまま。
雨に濡れながら雨林を進んでいると、目の前に見慣れた景色が見えた。それは以前ユルグと共に訪れた、虚ろの穴がある祠。
「うっ……これ」
懐かしむ暇も無く、フィノは目の前の光景に顔を顰める。
祠の周囲には得体の知れない肉片が転がっているのだ。それも一つや二つではない。かなりの人数がこの場所で殺されている。
それを直感的に感じ取ったフィノは、周囲を警戒しながら祠の周りを捜索してみる。
野営地で兵士から聞いた諸々の話。それの現場はどうやらここで間違ってはいないようだ。見たところ生きている人影はどこにもない。
可能であれば生存者を探してくれと頼まれたが……可能性は低そうである。
それにしても――
「どうやったらこんな風になるんだろ」
明らかに剣で斬り殺した感じでもないのだ。まるで凄まじい力でもぎ取ったかのように死体が四散している。
どうであれ、これをやった人物はまともではない。慈悲の欠片も無い手口に、フィノは絶句する。
そして、一番恐ろしいのはこれを成した者がこのスタール雨林のどこかに存在するということだ。
願わくば遭遇したくはないが……何はともあれ、今一番の憂慮はヨエルの安否である。
周辺を探ったところ、この場所に彼らが来た形跡は無い。
となればすぐに移動して探索し直すべきだ。けれどスタール雨林は広大である。闇雲に探したって見つかりっこない。
「なにか手掛かりでもあればいいんだけど……」
足を止めて思案していると、祠の入り口――ちょうどフィノがいる場所とは反対側から誰かの話し声が聞こえてきた。
瞬時に察知したフィノは、こっそりと様子を窺う。
木々が邪魔をして姿は見えなかったがどうやら複数人いるらしい。そして彼らはこの場所に用があるみたいだ。
こんな危険な場所に訪れるなどただごとでは無い。不審に思いながらもフィノは相手にバレないように吹き抜けの天蓋からこっそりと中を覗くことにした。
祠の内部は、フィノの予測の域を超えていた。
中に充満している瘴気の密度も、そこで蠢いている不死人の数も尋常では無い。明らかに様子がおかしいのだ。
眼下の光景に固唾をのんでいると、奇妙な人影が祠の中に入ってきた。
それは鎧姿の人のようにも見える。おかしな格好をしていて、フィノもあんな鎧はお目に掛かった事がない。
奇怪な人物は不死人にもみくちゃにされて襲われているかと思いきや、いきなりそれらをあり得ない力で引き剥がすと放り投げた。
宙を舞う不死人はボタボタと体液を零しながら、次々と地面へ転がっていく。
一人で無双している謎の人物から目を逸らして入り口を見遣ると、そこにはフィノの知っている姿が見えた。
「……っ、ヨエル!」
なんという偶然か! ここで会えると思っていなかったフィノは嬉しさ半分、しかし警戒も怠りはしない。
ヨエルの傍にはマモンと、彼を攫ったであろう男がいる。奴がヨエルの傍から離れないのであれば、迂闊に近づけない。フィノの接近に気づかれればヨエルを人質にされかねないからだ。
はやる気持ちを抑えてフィノは冷静にならざるを得なかった。
おそらくマモンもフィノと同じ状況にあるのだろう。彼が大人しくしているということは、不用意な行動は控えるべきである。
今は様子見……と言いたいところだがそうも言っていられないことにフィノは気づいた。
――どうして彼らはこの場所に来たのだろう?
誰が見ても危険な場所であるのは知っているはずだ。祠の内部には瘴気も充満しているし、加えて不死人だって異常な数がいる。
そんな場所にわざわざ苦労して攫ったヨエルを連れてくる意味はない。
「……何かあったのかな」
しかし幾ら考えても答えは出ない。そして悠長に考え事をしている暇もない。
彼らはどういうわけか、祠に留まっている。もちろんそれを不死人が放っておくわけもなく、容赦なく襲いかかってくる。
「――あっ!」
不死人の一人がヨエル目掛けて飛び掛かったのを、傍に居た男が殴り倒した。そんな場面を目撃してしまってはフィノも気が気では無い。
気づけば身体が勝手に動いていた。




