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【マルチエンド】追放勇者は孤独の道を征く  作者: 空夜キイチ
第一部:黎元の英雄 第三章
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生きる意味

*************

 

 予想以上の体力の衰えに、ユルグは内心焦っていた。


 樹洞から出立する前に軽く身体を動かして準備はしたのだが、あんなのは付け焼き刃にしかならない。

 高低差の激しい場所をなるべく通らないようにしてはいるが、それでも一時間も歩けば足腰が悲鳴を上げているのが分かる程だった。

 随分と軟弱になったものだと自分を叱咤しながら、ユルグの先を行くフィノに目を向ける。


 この前――彼女にとっては数日前――と比べものにならないくらい体力がついているように見える。

 現にフィノはすいすいとこの雨林の中を進んで行くのだ。気を抜けばユルグが置いていかれるまである。


 目の前の光景にユルグは驚きを隠せなかった。何をしたらあの数日でここまで適応できるのだろうか。

 食料調達やらでその辺りを歩き回っていたのだろうが、ここまでとは思ってもいなかった。


「フィノ、疲れないか」

「んぅ、だいじょうぶ!」


 フィノの様子からあと一時間は歩き続けられると確信する。しかし、それではユルグが持たない。

 不意に足を止めたユルグに気づいて、前を行ってたフィノは振り返った。


「ユルグは?」

「ああ……いや、少し休憩したいんだが良いか?」


 微かに息を切らしているユルグの珍しい様子に、フィノは驚いたように目を円くした。それから心配そうに伺いを立てる。


「……だいじょうぶ?」

「数日間寝たきりだったから、体力が落ちているんだ。早く抜けたい所だけど中々そうはいかないな」

「むりはだめだよ」


 もっともなことを言って、フィノはキョロキョロと辺りを見回した。

 少しすると休めそうな倒木の影を見つけて、指を差す。


「あそこ」


 呟いたと思ったら、フィノはユルグの手を引いて倒木へと向かう。

 なんとも頼りがいのある様に、今度はユルグが瞠目する番だった。


「俺が寝ている間に何かあったのか?」


 周囲を警戒しながら、思わずそんな言葉が口をついて出る。それほどまでにフィノの成長は目覚ましかった。

 倒木の傍に荷物を置いて、フィノはこちらを振り返った。


「なにかって?」

「随分と見違えたと思ってな」


 これはユルグの心からの讃辞であった。珍しく褒められたからか、フィノは嬉しそうに破顔する。


「ほんと!?」

「ああ、本当だよ」


 嘘偽りなく述べると、倒木を背に腰を下ろしたユルグの隣にフィノは座り込んだ。弾けるような笑顔を振りまいて、きらきらと瞳を輝かせる。


「それで、どうなんだ?」

「なにもないよ」

「何もって、そんなことはないだろう」


 そもそも野営の準備の仕方だって、ユルグは教えてはいないのだ。それなのに、目覚めた樹洞の中は随分と整っていた。

 焚き火の仕方だって、ただ枯れ木を組み上げて火を付けただけではない。土台を石で組んでしっかりとしたものであった。

 それをあのフィノがやったのだとは、にわかには信じられない。


「んぅ……ユルグがやるの、おぼえてたから?」

「覚えてたって……」


 たった数回しか目の前でやらなかったことを、覚えていたのだとフィノは言った。

 それにユルグは微かに息を呑んで、なるほどと思った。


 元々、フィノは物覚えが良いのだ。それも、常人よりも恐ろしいほどに。それもそうかとユルグは納得した。

 今ではこうして話せているが、フィノは聾唖である。読唇術が出来るのなら、物覚えも良いに決まっているのだ。ラーセも覚えが良いと褒めていたし、見たものなら忘れないのだろう。


「それは凄いな」


 手放しで褒めると、フィノはますます笑みを深めた。


「ユルグ、すこしやさしくなった?」


 不意のフィノからの問いかけに、ユルグは瞳を瞬かせた。

 自分ではそんなつもりはないのだが、どうなのだろう。思い当たる節といえば、やはりあの夢での出来事だろうか。懐かしい情景に少しばかり心を(とろ)かされたのかもしれない。

 それに自然と口元に笑みが乗る。


「そうかもしれないな」

「あ、またわらった!」


 たかが感情の機微(きび)に、そんなに目聡く言われては気が休まらない。

 フィノは褒めているのだとは思うのだが、これも続けば馬鹿にされていると錯覚しそうになる。


「……もしかして、馬鹿にしてるのか?」


 ここ一年の間、笑うことなどなかったものだから、笑顔を作るということ自体上手く出来ていないのではないのだろうか。鏡が無いので確認出来ないのがもどかしい。

 昔は当たり前のように出来ていたものが、出来なくなるというのはなんであれ歯がゆい。


「んぅ、ちがうの!」


 ユルグの呟きに、フィノがかぶりを振った。


「ばかにしてないよ」


 だったら一々騒ぐのは褒めているつもりなのだろうか。それはそれで厄介である。


「ユルグは、わらってるのがいい。んぅ、そのほうがいいよ」


 噛みしめるようにフィノは零す。

 愚直な言葉に、ユルグはかつて言われた言葉を思い出した。


「……昔、同じ事を言われたよ。笑っている方が好きだとか、見栄えが良いだとか。後者のあれはたぶん、褒めてたんだろうな。伝わりづらい褒め方だけど、そうなんだと思う」

「だれにいわれたの?」

「俺の師匠だよ。みんな、とても良い人達だった。もう居ないけどな」


 ――もう居ない。


 そう告げたユルグの声音は、ついさっきまでの穏やかなものと変わって微かに怒気が込められているようにフィノは感じた。

 本当に些細な変化だった。しかし、それをフィノは見逃さなかった。それを知った上で、ユルグへ問う。


「どうして?」


 なぜ、ユルグが怒っているのか。フィノには分からなかった。何か許せない事があるのか。その対象が他の誰かなのか、それとも自分自身であるのか。それを知るにはこうして尋ねる他はない。


 誰が聞いても不躾な質問に、ユルグは一瞬目を見開いて。それから固く口を引き結んだ。

 フィノはじっと凝視してくる鴉羽(からすば)色の瞳を、目を逸らすことなく見返す。


 一息つく合間の時間だった。

 沈黙していたユルグは、怒鳴るでもなくそっと目を逸らすと小さく息を零した。


「俺が、勇者だからだ」


 重苦しく、ユルグが答えたのはたったそれだけだった。


 ――どうして、居なくなったのか。

 ――どうして、怒っているのか。


 その返答が、どちらの答えであるのかは判然としない。


 しかしどちらだとしても、フィノはそれの意味が分からなかった。

 勇者というものが、どんなものなのか。薄らとしか理解していないが特別なものだという認識はある。けれど、それがなぜ今の回答に繋がるのか。フィノにはやはり分かりかねるのだ。


 不可解そうな顔をしているフィノに、ユルグはなんと答えようか少し迷ってから、静かに口を開いた。


「誰が決めたのかは知らないが、勇者って言うのは他人(ひと)より特別な存在らしい。代わりはいないから、生かされたんだ。それだけだよ」


 吐き捨てるように言って、瞳を伏せると尚も続ける。


「だから、おいそれと死ぬことは許されないし、お役目を放棄してもいけない。どうあっても俺は誰かの為に生きなくちゃならないんだ。でも今じゃあ掌を返して、お前はもういらないから、さっさと死ねと言われる……こんなことになるなら、あの時逃げ出さずに戻っていれば良かったんだ。まあ、全部今更なんだけどな」


 自虐を滲ませて苦笑を刻むユルグに、フィノはとても哀しくなった。

 上手く言葉では言い表せない哀惜が、胸に去来する。なんと声をかけていいのかさえ分からない。


「でも、だからって素直に殺されてやる気はないよ。自分の死に場所くらい好きに決める権利くらいはあるだろ」


 ――死。


 その言葉を聞いて、フィノは頭の中が真っ白になった。さあっと全身から血の気が引いて、なりふり構わず引き止めるようにユルグの腕を掴んだ。


「――っ、ダメ!」


 今にも泣き出しそうな形相で縋り付いてくるフィノに、ユルグは驚き固まる。

 いきなりどうしたんだ、と考えて少しして得心がいった。


「何も今すぐって話じゃない。俺にはやるべき事があるんだ。死に場所云々は、それが終わってからだよ。それまでは意地でも死なないから安心しても良い」

「そーいうことじゃないの!」


 そうじゃないとかぶりを振ってフィノは否定した。腕を掴む力が強くなる。


「フィノがいるのに、かんたんに、しぬっていわないで!」


 癇癪のようなフィノの戯れ言に、ユルグは笑い出したくなった。


 確かに、あの時に死んでいればこの場にフィノは居ない。理由はどうであれ、ユルグが救った命だ。けれど、たったそれだけだ。思い上がりも甚だしい。


「お前、俺を馬鹿にしてるのか? 簡単にだって? 俺が戯れでこんなことを言っていると思っているのか」


 静かに声を怒らせて、掴まれていた腕を振りほどく。


「お前みたいな奴隷の命一つと、俺の大事な人達の命を天秤にかけてどっちが重いかなんて考えなくてもわかるだろ! たった数日一緒に居ただけのお前が、俺の決意に口を出す権利なんてないんだよ!」


 怒りを露わにして睨み付けると、フィノは一瞬たじろいだ。けれど、その藍色の瞳はしっかりとユルグを見据えて離さない。


「でも、しんでほしくないよ」

「――はっ! それは無理な相談だな」

「でも……」

「お前、この前勇者は奴隷みたいだって言ってただろ。それは間違いじゃないんだ。飼い主が死ねって言うんだから、それ以上も以下もないんだよ。それがなくても、俺にはこれ以上生きていく意味が無い。幾ら我儘を言おうが、考えを変えるつもりはないんだよ」


 とどめの一撃と言わんばかりに吐露すると、やっとフィノの視線が外れた。

 そのままうろうろと視線を虚空に彷徨わせて、再度ユルグの元へと戻ってくる。


「じゃあ、フィノがユルグのいちばんになる」

「……はあ?」

「いちばんになって、だいじになれば。ユルグ、しななくてもいいよ」


 名案を思い付いたと言わんばかりのフィノの言動に、ユルグは呆れて物も言えなかった。

 要するに、自分が生きる意味になれば死ぬなんて考えなんて無くなると、そういうことだ。


「お前はどれだけ頭の悪い事を言っているか分かっているのか?」

「へん?」

「万が一にもそんな事態にはなり得ないから、無駄な事はするな」

「やってみないとわからない!」


 食ってかかるフィノに、ユルグは溜息を吐く。

 どう頑張ってもそれだけは無いと断言できる。


 信頼や親愛を得るには、時間が必要なのだ。こうしてフィノと行動を共にしているが、それは圧倒的に少ないと言わざるを得ない。

 フィノの言う一番になるだとか、大事な存在になるだとか。それを成す前に、ユルグの目的は達成されるだろう。


「やらなくてもわかる。絶対に無理だ」

「むぅ……いいもん。かってにする!」


 そっぽを向いたフィノだったが、どうすればユルグの一番になれるのか。その方法までは分からない。

 しかし、諦めるつもりは毛頭無いのだ。


 フィノはまだ、ユルグに恩返しが出来ていない。あの時、助けてもらったお礼も言えず終いなのだ。

 それを面と向かって受け取ってもらえるまで、ユルグの元を離れるつもりはないし、死なせるつもりもない。


 ユルグのやるべき事がなんなのか。フィノには分からないが、彼の口ぶりからしてまだ猶予はある。フィノがヘマをしなければ、それまでは一緒に居られるはずだ。

 だとしたら、やるべき事は一つしか無い。



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