十五年前 2
アリアンネと共に街まで辿り着いた魔王は、早速問題に直面する。
『何をしている?』
街に着いて早々、アリアンネは情報収集の為、酒場に向かうでもなく街の外へと向かっていた。
もしやまた方向音痴であらぬ方向へ向かっているのでは、と危惧した魔王はすかさずアリアンネを止めようとするが……彼女から返ってきた答えは彼の予想とは少し違うものだった。
「街の外れにある森にいる魔物を倒しに行くのです」
『なぜそんなことをする必要がある?』
「なぜ……困っている人がいたので、助けになれればと」
話を聞くと、アリアンネは住人からの困り事を無償で引き受けたのだという。それは魔王が目を離したほんの数分の出来事だった。
『それはお前がやらなければならないことなのか?』
「いいえ、でも困っている人を放ってはおけません」
アリアンネの回答に、魔王は混乱した。
わざわざ自らが損を被ってでも成すべき事だとは思えなかったのだ。しかしアリアンネは文句を言うこともなく、寧ろ喜んで手を貸しているようにも見える。
街の外へと向かう彼女に着いていきながら、魔王はなぜだと問うた。
『なぜそんな事をするのか、理由がわからない。そやつが困っていてもお前には何の関係もないだろう』
「うーん……そうなのですけど」
魔王の質問攻めに、アリアンネは答えを渋った。
親兄弟、知り合いならばまだ話もわかる。しかし、赤の他人に手を差し伸べる事に何の意味があるのか。
純粋な疑問に、アリアンネは考え込んで――やがて、一つの答えを出した。
「明確に言葉にして伝えるのは難しいですね……こういう時は、一度体験してみると良いのではないですか?」
『体験? 何をだ?』
「もちろん、人助けですよ!」
平時ならばくだらないと拒絶していたことだろう。しかし一度湧き出た疑問を解決したいと考えた魔王は、アリアンネの口車に乗ることにした。
とはいえ、彼が何かをするわけではない。
依頼を引き受けたのはアリアンネなので、彼女が奮闘して問題を解決するだけだ。魔王はそれを隣で見ているだけ。
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標的の魔物を危なげも無く倒して、アリアンネは依頼主の元へと戻ってきた。
解決したことを伝えると、その老人は涙を流してアリアンネに何度も頭を下げる。
どうにも、今しがた倒してきた魔物は老人の息子やその妻子を食い殺した人食いであった。始めに妻子が食われ、その仇を取ろうと倒しに向かった息子も食われ、老人も仇を取ろうとしたが寄る年波には勝てず、かといって依頼を出そうにもそれには金が要る。
このまま老いて死ぬしかないと諦めていた所に、偶然にもアリアンネが手を差し伸べてくれたのだという。
せめてものお礼にと路銀をと言った老人に、アリアンネはその申し出を断った。
「わたくしはお金が欲しくて貴方を助けたわけではありません」
「ですが……」
「気にしないでください。これで貴方が救われたのなら、それで充分です」
優しく言葉を掛けると、老人は再度頭を下げた。
一連の流れを傍で見守っていた魔王は、老人と別れたあとアリアンネに所感を告げた。
『あんなもの、ただの自己満足ではないか』
結局、何の益にもなっていない。何かを得られたわけでもなく、ただ感謝を述べられただけ。
人助けを体験してみればわかると言われたが、魔王にとっては当初の疑問の解決には至らなかった。それどころか益々、アリアンネの行動に謎が残る結果に終わってしまった。
「そう言われてしまえばそれまでですね」
――ですが、とアリアンネは続ける。
「貴方のしていることも、これと同じことだとわたくしは思いますよ?」
『……何の話だ?』
「魔王様の使命の話です。世界を救うために、こんなことをしているのでしょう?」
問われて、魔王は言葉に詰まった。
アリアンネの考えているような崇高な志など、一つも存在しないからだ。
『何か勘違いしているようだが……これは己のやるべき事だから成しているだけのこと。そこにお前の言うような救済の意思はない。誰が死のうがどれだけ苦しもうがどうだっていい。己には関係のないことだ』
「随分と哀しい事を言うのですね」
魔王の答えを聞いたアリアンネは、少しだけ哀しそうな顔をした。彼はどうして彼女がそんな顔をするのか。理由もわからず困惑する。
名前も知らないどこかの誰かが苦しもうが、自分には何の関係もないはずだ。仮にアリアンネがここで死んだとしても、この街の住人には何の関係もなく、死んだからと言って困る者はいない。
それと同じことを魔王は言ったはずだ。
しかしアリアンネはそれを哀しい事だと言うのだ。
「……わたくしが魔王様に協力しているのも、今と同じ理由です。困っていて助けを求めているように見えたから、わたくしは貴方と共に居るのですよ」
『べつに困っていない。助けてくれと言った覚えもない』
アリアンネが拒絶しても魔王の目的は変わらないのだ。その過程が少し増えるだけ。だから、アリアンネの答えに尚も魔王は納得がいかなかった。
捻くれた物言いをする魔王にアリアンネは微笑んだ。けれど彼女はそれに文句を言うでもなく、一言。
「いつかきっと、わかるときが来ます」
『……それまでお前の人助けを黙認しろと?』
「まあ……そうですね」
やめろと言われてもアリアンネは人助けをやめないつもりらしい。
魔王の問いかけに、少しだけバツが悪そうに答えると話題を変えるように彼女はあることを提案してきた。
「そういえば、貴方には名前はないのですか?」
『なくても困らない』
「ですが、魔王様と呼ぶのは目立ってしまいますよ」
『うむ……だったら適当に呼ぶといい』
命名権を放棄した魔王に、アリアンネはそれだったらとしばらく考え込む。
「マモン、というのはどうでしょう?」
『マモン?』
「魔王ですから……それに、なんとなく語呂がいいです!」
『好きにするといい』
上機嫌なアリアンネに魔王――マモンは冷たく言い放つ。
そんな素っ気ない態度を取られても、アリアンネは嬉しそうに微笑んでいた。




