十五年前 1
――十五年前。
魔王討伐の任を与えられた勇者と必然的に対峙した魔王は当初の予定通り、勇者を次の器とするはずだった。
しかしそれは叶わず、残ったのは勇者と共に旅をしていた世間知らずな皇女のみ。
依代にしている肉体の寿命と計画の破綻に焦燥を感じていた魔王には、仲間を失って呆然とする彼女を代わりにするしか選択肢はなかったのだ。
そうして記憶を改竄して、運命共同体となったアリアンネに自らの正体と目的を明かす。
破滅の未来が決められていると知れば、魔王の器となった者はみな取り乱した。それはこの千年間、幾度となく繰り返した事象。
しかし、アリアンネは魔王の予想を越えて、それを聞いてもなお好意的だった。
「それは貴方でなければ出来ない事なのですか?」
『如何にも。代わりは存在しない』
「そうですか。そういうことなら、喜んで協力しましょう」
嫌な顔一つせずに、本心からの言葉に魔王は言葉を失った。
厳つい鎧姿で、大仰に手振りを交えて再度問い質す。
『い、今なんと言った? 喜んで協力するだと?』
「ええ、言いましたよ。おかしかったですか?」
『……いいや、反発しないのならばそれで良い。手間が省ける』
今まで魔王に素直に従う者などいなかった。
憎悪を向けられ、恨み言を吐かれ、協力など以ての外。そういう輩が全てだった。それが例え勇者であっても。誰かの為に自分を犠牲に出来る者であっても。
目の前で大切な仲間が殺され、その仇と共に世界を救うなど出来るはずもない。
アリアンネの場合は、魔王の配慮もあってそれとは違うが……とはいえ、何の因縁がなくともいきなりこんな話を打ち明けられて、即答で協力するなどと言える者など異常である。
しかし、魔王にとっては何とも都合の良い存在である。根っからのお人好しであろうとも、彼女がそれを望んでいるのならば精々利用させてもらおう。
「――魔王様! 聞こえていますか!?」
ひとり目論んでいると何やら呼び声が聞こえて、魔王は眼下に目を向ける。
『どうした?』
「このまま野ざらしでは可哀想です。弔ってあげたいので手伝ってください」
アリアンネは既に死に絶えた勇者を背負って、魔王に頼み事をする。しかし彼にはそうする理由がわからなかった。
『それに何の意味がある? 弔ったところで生き返るわけでもあるまい』
「例えそうであっても、命は粗末にするべきではありません」
彼女の反論は、魔王にはやはり意味のないものだった。理解出来ないながらも、せっかく協力を申し出てくれたのだ。ここで気を損ねられては面倒である。
魔王は渋々埋葬の手伝いをすることにした。
「それに、彼はわたくしを助けてくれたのでしょう? だったら尚更、放ってはおけません」
アリアンネの言葉を聞いて、魔王は彼女の行動が善意から来るものであると理解した。それ以上でもそれ以下でも無い。
大切な仲間の……勇者の亡骸を見ても取り乱しもしないのだ。記憶の改竄に不備はなく、今のは単純に可哀想だから放っておけないという、アリアンネの優しさからの行いであると魔王は結論づけた。
墓を作り終えて、その前で祈りを捧げたアリアンネは彼女の背後に佇む魔王を振り返った。
「それで、これから何をするのですか?」
『瘴気の浄化は前の器で粗方終えたところだ。しばらくは魔物の動向に気をつけていれば良いだろう』
「では、情報が必要ですね」
目的地は近場の街ということで両者の意見は合致した。そこでアリアンネは魔王へあるお願いをする。
「急務がないのなら、一度国に戻ってもいいですか?」
『ダメだ。魔王の存在は秘匿されなくてはいけない。他人に知られてはならないのだ』
「そうですか。帰りを待っているティナに一言いっておきたかったのですが……仕方ないですね」
しょんぼりと肩を落としたアリアンネは、すぐさま気持ちを切り替えて取り出した地図を広げる。
「ここから一番近い街は……歩いて半日ですか」
『まずはそこに向かった方がいいだろう』
「ええと……方角は、こちらですね」
頷いて、アリアンネは歩き出す。
しかし、踏み出した一歩は魔王によって阻止された。
『まて、そっちは真逆だ。東は真後ろだろう』
「え? そうなのですか?」
『しっかりしてくれ』
どうにも彼女は方向音痴であるらしい。そのことに気づいてしまっては、道案内は必須だろう。
普段は器の中に姿を隠しているが、見知らぬ土地で遭難されては面倒である。案内を買って出てくれた鎧姿の魔王を見つめて、アリアンネは一言物申す。
「その鎧姿、少し目立ちませんか?」
『一応、姿は変えられる』
「だったら、もっと目立たなくて可愛らしいものがいいです!」
『目立たないはわかるが、可愛らしいは必要なのか?』
「ええっ! とっても!!」
力説するアリアンネに魔王は観念する。そして何がいいかと聞けば、彼女は犬がいいと答えた。
要望通り黒犬に姿を変えた魔王を見て、アリアンネはそれを抱き上げて頬ずりをした。
『なっ!? なにをする!!』
「ああっ、暴れないでください! ……手触りはすこしゴワゴワしていて、冷たいのですね」
生物ではない魔王に、それと同じ身体の作りはしていない。ゆえに彼の身体に触れるとひんやりと冷たいのだ。
ひとしきり堪能したアリアンネは、黒犬姿の魔王を地面へと降ろした。
『……これでいいか?』
「ええ、違和感はありませんよ。どこからどう見てもただの犬です」
満足げなアリアンネに、魔王はほっと息を吐いた。
魔王と成ってから、今までこんな風に接してくれる者は誰一人いなかった。しかしその事に何を感じるでもない。
魔王にとってアリアンネは少し変わり者である、ただそれだけの存在だった。




