運命の分かれ道
二人が部屋を出て行って、室内にはアリアンネとマモンの二人きりになった。
対面するように、マモンは椅子の上に乗ってアリアンネと向かい合う。
しかし、マモンには彼女がどうしてこんなことを言い出したのか。皆目見当も付かない。アリアンネの心境を思えば、マモンと話などしたくもないはずだ。
緊張した面持ちでいると、アリアンネはまるで天気の話でもするような気軽さで、マモンに語りかけた。
「あの子とは仲が良いのですね。驚きました」
『……何が言いたいのだ?』
「なにも、ただ微笑ましいと思っただけです。他意はありませんよ」
警戒しているマモンとは対照的に、アリアンネは微笑みを浮かべる。
しかし、こんな世間話をするために彼女がマモンを留めたとは思えない。相手の振る舞いに神経を尖らせるのは当然と言えよう。
アリアンネはマモンを恨んでいるのだ。それを思えば、何をしてくるか。あの微笑の裏で企てていても不思議は無い。
本当ならばマモンがここまでアリアンネを悪し様に思うことなど無かったはずだ。けれど、今のマモンには守らなければならないものがある。
自らの生きる意味を見出したばかりで、それを失うような事があってはならない。
「そのように警戒しないでください。今の言葉はどれも本心です。わたくしはとても驚いているのですよ」
『何をそんなに驚くことがある?』
「わたくしの記憶にある貴方と、いまの貴方はまるで別人ですから……」
アリアンネは目を伏せてそう言った。けれど、マモンには彼女の言葉はいまいちピンと来なかった。
アリアンネは、マモンが変わったと言いたいのだ。
だがマモンにしてみれば、変わった所など何も無い。確かに、ヨエルと関わることで心境の変化はあった。
けれど根本は十年前と変わらず。変わった所といえば、周囲を取り巻く環境くらいだ。
心当たりの無い言動に、マモンは否定する。しかしそれにアリアンネはかぶりを振った。
「わたくしが言っているのは十年前の話ではありません。もっと前のことです」
『……それは』
「貴方と初めて会ったときのことですよ」
その一言にマモンはハッとした。
彼女が言っているのは、マモンが魔王として彼女と相対した時のことなのだ。確かに、マモンと旅をしていた五年間の記憶は彼女の中には無い。
彼女が知っているマモンは、魔王として生きていた頃の無慈悲で冷酷なマモンなのだ。
それを考えるならば、アリアンネがこうして驚くのも無理はないだろう。
『そうだな……確かに、驚くべき変化であると思うよ。この二千年を想えば天地の差だ』
正直に述べると、アリアンネは静かに瞳を伏せた。
「最近よく考えるのです。あの時に対峙していたのが今の貴方なら、何か変わっていたのではないかと……ふふっ、歳を重ねると過去ばかりに執着してしまいますね」
取り繕うように冗談を交えた言葉だったが、マモンの胸奥にそれはずっしりとのしかかっていく。
アリアンネと出会うまで、マモンは自分の使命を正しい事であると信じて疑わなかった。
――何があっても曲げてはいけない絶対の真理。自分はその為だけに創られたもので、それが彼の存在意義だったのだ。
だからこそ、なおさら盲目的になるしかなかった。誰がいくら苦しんで死のうが、どれだけ恨み言を吐かれようが、歩みを止めることは許されない。たった一人の犠牲と、世界の存続を天秤に掛けるのならば易いものだ。
そう信じ切っていた。
しかし、アリアンネに出会ったことで彼の全てが変わっていったのだ。




