不可思議の連続
暗闇の中、浮遊感が身体を包む。
周囲の様相は見えないけれど、ロープを伝っていたトカゲたちも一緒に落下しているのだろう。複数の断末魔が聞こえてくる。
それに構わず、フィノは落下地点を見定める。けれど、そもそも穴底が何も見えないのだ。意味がない。今はこの状態でどうやって壁面まで辿り着くか。それを考えなければ。
とにかく、身体に括っているロープを外さなければ話にならない。一緒に落ちているトカゲたちを助ける義理はフィノにはないのだ。
手に持っていた剣で素早くロープを切る。けれど、その拍子で腰に括っていたカンテラが外れてしまった。
「あっ!」
唯一の光源が手元を離れて下に落ちていく。
細くなっていく光の筋は底の見えない暗闇に吸い込まれて――
「え?」
直後にフィノは目を見張った。
落下したカンテラの明かりは確かに底に落ちて消えた。けれど、暗闇に飲まれて消えたのではない。
何かにぶつかって、カンテラが壊れた事で消えたのだ。
カンテラの落下地点はフィノのちょうど真下。その百メートルほど先か。正確な距離は不明。
しかし、悠長にしている時間は無い。こちらは落下中の身。それを止める術はないし、真下に何があるのかも見えないのでわからない。けれど、確実に足場はあるはずだ。
極限の中、フィノはそれに賭けることにした。
刹那に判断を下したフィノは、落下の衝撃を僅かでも和らげる為に、背嚢を身体の下に持っていく。背負っていた背嚢をぐるりと腹側に移動してそれをクッションにしようというわけだ。
落下速度はかなりのもので、こんなことをしても無事で済む確率は低い。けれど現状これが最適解である。
落下の衝撃に備えながら真下を睨んでいると、ふとフィノの横を何かが通り過ぎた。
一瞬視界に入ったそれに、フィノは言葉を失う。
フィノの横を通り過ぎた――否、落下しているフィノの横に突如出現したモノは、ささくれ立った巨木の幹だった。
「――ぐっ!!」
その事に驚く間もなく、フィノは真下にある何かに激突する。
かなりの速度でぶつかっても、足場になったモノは無事だった。しかし、その事に安堵する余裕はフィノにはない。
「うっ――げほっ」
強烈に腹部を打ったことでの嘔吐。込み上げてくる吐き気に嘔吐く。
落下の衝撃を和らげる為に犠牲にした背嚢は、衝撃に耐えられず破れてしまい、中身が殆ど暗闇に落ちてしまった。
それにフィノも無傷とはいかなかった。
内臓を少しやられて、意識も覚束ない。おそらく衝撃で頭を打ったのだろう。意識を失わなかったのは不幸中の幸いだ。
無事だったのは身につけていた装備のみ。未使用の魔鉱塊と剣。これだけの装備では帰りの手段を模索するのも絶望的だ。
それ以前に、今いる場所がどこなのか。一瞬だけ目にした巨木の幹は何なのか。確かめるべき事は山ほどあるのに、一向に身体を動かせない。
かろうじてわかる事といえば……フィノが今いる、足場としている場所は幹から伸びた巨木の枝の上だということ。
刺々しい樹皮が肌を裂いて傷を作る。すぐにでも移動したいがそれを許してくれる状況にいない。
意識も絶え絶えのなか、吐き気を懸命に堪えていると不意に何かの気配を感じた。
それはフィノ視界の端から、巨木の幹を割いてその中から現われた。
「シィィッァア?」
理解不能な言語は聞いた事のあるものだ。
それはゆっくりと近付いてきて、蹲っているフィノを見下ろす。
傍らにある気配にフィノは何も出来なかった。吐き気は納まったけれど、身体が動かない。意識が朦朧として、気を抜けば倒れてしまう。
必死に意識を保っているフィノを眼下に見据えて、それは腕を持ち上げるとひょいっとフィノを抱え上げた。
「……はっ、はなして」
懸命に絞り出した言葉は、それには届かない。そもそもこちらの言葉を理解しているのかも怪しい。
それ――ヴァルグワイは、フィノの意思表示を無視して幹の中へと戻っていく。
抵抗できないフィノは黙って成されるがままにするしかない。
ヴァルグワイは幹の中に入るとどしどしと荒々しく下に降りていく。
どうやら幹の中は螺旋階段が続いているみたいだ。どこまで下っていくのかわからないが……ヴァルグワイには目的地があって、そこを目指しているらしい。
しかしそれの終着点を見定めるまえに、フィノの意識は途切れてしまった。




