調査開始
夜が明けたのち、訪れたエストの森は静寂に包まれていた。昨夜の襲撃がなかったかのように静かだ。
森の中、祠までの道を歩きながらフィノは纏まりきらない思考を整理する。
今回のフィノの目的は大穴の調査である。しかし、ただ調べて帰るだけでは話にならない。
ログワイドがかつて出会った四災の居所を突き止めるのが本命だ。
これだけは石版を解読しても詳細な事は何も書かれてはいなかった。それでも件の上位者と邂逅を果たしたのは事実。
虱潰しにはなるが、ひとつひとつ明らかにしていけばいずれ辿り着けるはずだ。
その先駆けが、このエストの森にある大穴である。
しかし……そう簡単に事は運ばないようで、祠の周囲には怪しい気配が充満しているのだ。
ヴァルグワイのことも然り、不穏な森の気配も健在。手足のように地面を這っている根は、魔物の襲撃にそもそも関係がないようで、ヴァルグワイが姿を消した後も残っている。
そしてその範囲は確実に大きくなっているのだ。
街の兵士たちに話を聞けば、あの根が森を侵食し始めたのとヴァルグワイが現われた時期はちょうど一致するようだ。
始めにヴァルグワイを目撃したのはエストの森の中。しかし、それ以降ヴァルグワイの活動範囲は広まっていき、ここ最近では度々森の外に姿を見せることもあったという。
しかし決まってこちらに危害を加える事はなかった。そこは昨夜の状況とも一致する。
街への被害が顕著だったのは、奴が引き連れている魔物によるものが殆どだったのだ。
解決したいま、それほど心配することもないだろうけど……目的が不明な襲撃は気味が悪い。
とはいえ、街の住人や兵士たちはみな浮き足立っている。フィノも街を出るときに兵士長に声を掛けられた。
どうやら今夜、盛大に宴を開くのだという。事件の解決と、今まで街を守ってくれていた兵士たちを労うためだ。
それにフィノも参加しないかと誘われたけど、生憎まだやることがある。終わったら参加すると言い残して、今に至るわけだ。
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奇妙な状況、不明瞭な謎も多いなか、鬱蒼とした森の中を進んで……フィノは祠の前へと辿り着いた。
祠の周囲は昨夜見たものと変わりはない。
祠に近付くほどに、地面を這う根は密度を増している。そしてそれらの発生源は、祠の内部らしい。
普段は厳重に閉まっているはずの石扉が微かに開いていて、その隙間から根が這い出してきている。
カンテラに明かりを灯すと、フィノは石扉の隙間から中に入った。
静寂のなか、見えた内部の様子は昔みた時よりも荒れている。そう感じるのは、充満している瘴気のヘドロと、大穴の淵から溢れるように伸びている根が原因だろう。
「っ、……よし」
背負っていた背嚢から、手製の魔鉱塊――瘴気を無効化して大穴に近付くために、それを一つ取り出すと進行方向に投げ入れる。
実験した時と同様に、魔鉱塊はヘドロの瘴気を吸収してどんどん変色していく。それに伴って周囲に滞留していたヘドロは跡形もなく消えていった。
「ん、これなら大丈夫そう」
どうやら祠の内部には魔物の気配はないようだ。
瘴気の影響がなくなった足場を、フィノは一歩ずつゆっくりと進む。そして、大穴の淵に辿り着いた。
「んぅ、やっぱり……」
身を乗り出して穴の底をみると、どうやらあの根は大穴の底から地表に出てきているみたいだ。
まっくら闇の底から、大穴の壁面を伝って侵食している。
不気味な現象だけど、それでも人には何の影響もないのだ。そもそもこれに何の意味があるのかさえもわかっていない。
「これ、どこから来てるんだろ」
もし大穴の底から伸びてきているのならば、相当の年月をかけなければ地上まで溢れてはこないはず。それでも、この大穴が起源であることは間違いないだろう。
ふと顔を上げたところで、フィノはあることに気づいて声をあげた。
「あっ!」
視界の先には大穴の真上にある、アーチ状の祭壇。しかし、そこにあるモノが存在していないのだ。
「あの匣……前はあったのに」
十年前、ここを訪れた時は確かに匣は祭壇に奉られていた。
年月が経ったいま、機能していないことは明白だったが……本来ならばこの場所になければならないものだ。それが存在しない。
誰かが持ち去ったとしても、ここに入り込むなんて芸当が出来るのはフィノくらいのものだろう。
生身では高濃度の瘴気に触れるなんてことは自殺行為だ。危険を冒してまで、効力が無くなった匣を回収する意味はない。
魔物の仕業という線も考えられるが……その可能性も低そうだ。
以前にスタール雨林で経験した事を踏まえると、魔物は総じてあの匣には近付きたがらない。本能的に嫌忌しているのだ。
となれば、消去法でいくならば可能性のあるものは……何かしらの原因で祭壇から真下にある大穴に落ちていった、と考えるのが一番筋が通っている。
「うん、しかたないか」
今となっては無用の長物である。回収できればそれに越したことはないけれど、無理に探す必要は無いとフィノは判断した。




