手応えのない決着
あの魔物は今までに遭遇したことのない未知の相手だ。
そんな相手と戦う時はどうするか。かつてユルグに教わったことを、フィノは頭の中で反芻する。
まずは相手の出方を見る。それから行動に移ること。何遍も言われてきたことだ。
何があっても冷静でいることは、的確な判断を可能にする。
逃げ出したヴァルグワイを追いかけて、フィノは森の奥へと進んでいく。
あの魔物の目的は不明だが……例え無害でもこのまま放置するわけにはいかない。そもそも、奴が魔物を率いて街を襲っていることは事実なのだ。
最悪、倒さないにしても襲撃をやめてもらわなければならない。
それには意思疎通が取れることが前提だけど……先ほど見た感じでは難しそうだ。話し合いに応じるとは思えない。
「――まてっ!」
背後から呼び止めても、ヴァルグワイが止まる気配はない。知能はあるが、言葉が通じていない可能性がある。
しかし、例え言葉がわかるとしても従わないのであれば、武力行使せざるを得ない。
追いかけても一向に追いつけないことに痺れを切らしたフィノは、ヴァルグワイの背に向かって炎弾を放った。
それは背中を向けて逃げるヴァルグワイの長い左腕に命中して、呆気なく吹き飛ばす。
どうやらあの身体は想像以上に脆いらしい。もしかしたら相性が良かったのかもしれない。
あの魔物の体躯は植物で出来ているのだ。であれば炎に弱いのは道理である。
突然の背後からの攻撃に、逃げていたヴァルグワイは立ち止まって、フィノと対峙した。
正面に立たれるとこの魔物の異質さが際立つ。異常に長い腕は全長の半分以上の長さはある。手指は片手で八本、しかし関節がなく細かい作業が出来る形状をしていない。
新種の生物というよりも……なんだか、ヒトを真似て作られた生き物のようにも見える。
先ほど、ヴァルグワイの腕を貫通した炎弾は、そのまま巨木の幹にぶち当たって爆発した。
フィノが扱う炎弾の最高火力は、最後の爆発にある。速度を上げすぎると今のように命中しても貫通して仕留めきれないのだ。
それを証明するかのように、片腕を吹き飛ばされたヴァルグワイはピンピンしている。それどころか――
「うえっ、……再生するんだ」
吹き飛ばされた腕の先から身体を再生出来るみたいだ。
これでは倒すのは難しい――苦戦するかもしれないと思った矢先、フィノはあることに気づいた。
「からだ、少し小さくなってる?」
微々たるものだが、腕を再生した後では身体の体積が減っているように見える。きっと欠けた部位を再生する為に補ったのだ。
無限に再生出来るのならば打つ手なしだと思っていたけれど……これならば、まだ倒す方法はある。
「じゃあ――細切れにする!」
風の刃をエンチャントした剣を握りしめて、フィノは駆けだした。
敵の攻撃を察知したヴァルグワイは、逃げの一手から一転して迎え撃つ姿勢を見せた。けれど、どういうわけか。件の魔物は、フィノの攻撃を避けるでもなく、かといって迎撃するでもない。何の手段も講じず、生身で防御したのだ。
フィノの予想通り、ヴァルグワイの身体は風の刃であっさりと切れてしまうほどのものだった。
右腕、左腕……そして、頭部。それらを順繰りに斬り落としたところで、フィノはヴァルグワイから距離を取る。
グニグニと蠢く身体が欠けた部位を再生していく。頭部を落としてみたけれど、あの魔物の急所はそこではないみたいだ。
あっという間に身体は再生されてしまう。けれどフィノの作戦通り、ヴァルグワイの体躯は確実に小さくなってきている。
あともう一息だ。
もう一度攻撃を仕掛けようとしたフィノだったが、直後。
今まで微動だにしなかったヴァルグワイが動きをみせた。
「ウゥジィーアァア!」
解読不可能な言葉を叫んだかと思うと、怪物は自らの身体を開いた。
人で言う胸の辺りに手指を食い込ませて、バリバリと身体を引きちぎるように開けていく。
突然のことにフィノは絶句した。まったく予想していなかった展開に、思考が追いつかない。
ヴァルグワイが身体の中から取りだしたのは、自らの核。心臓と同等のそれは、脈打ち生きていた。
ブチン、と身体からそれを切断すると、途端にまっくろな液体が零れ落ちる。瘴気のヘドロだ。それを溢れさせながら、核から切り離したヴァルグワイの身体はボロボロと瓦解していく。
何が起こっているのか。フィノには何もわからなかった。
ただ一つだけ言えることは……この魔物にはフィノと争う意思は一切無かったということ。何を思ってそんなことをしたのかは不明だが、今の行動は確実に自死だった。
「な、なんなの……?」
驚きに固まるフィノの目の前で、自切した核が生きているかのようにぴょんと跳ねた。
それはフィノから逃げるように森の奥へと向かっていく。
「あっ、まって!」
走り出したフィノだったが、核の逃げるスピードはかなりのものだ。全力で追いかけなければ逃してしまう。
必死に追いつこうと駆けていくフィノの眼前で飛び跳ねる核は、少しずつ体積を増していっているように見える。
体表に纏わり付いているのは、ヴァルグワイの身体と同じ蠢く根。地面を覆っているものを吸収しているのだ。
充分な大きさになるとそれは四足の獣に姿を変えた。ヴァルグワイよりは遙かに小さいけれど、フィノから逃げるには充分な身体である。
しかし、姿を変えたころには、フィノから逃げていた核がどこに向かっているのか。フィノは気づいてしまった。
「これ、祠の近くだ!」
察した瞬間に、目の前に表われたのは古びた祠。
昔見た時よりも、寂れた雰囲気であると感じるのは至るところを覆っている根のせいだろう。どうにもそれの出所は、あの祠の中らしい。
姿を変えた核は、祠の上部……吹き抜けの天井から中に入っていった。
フィノも足を止めずにそれを追いかけて祠の外壁を登る。けれど、見下ろした内部は生身で突入できる状態ではなかった。淀んだ瘴気のヘドロが充満しているからだ。
その中に飛び込んだ核は、フィノには目もくれずに大穴の暗闇へと落ちていった。




