心配事は尽きない
食事を摂ったのち、二人はアリアンネが用意してくれた客室へと戻ってきた。
部屋に入るや否や、ふかふかのベッドにダイブするヨエルを尻目に、フィノは明日の準備をする。
そうしていると、途端にヨエルが心細げな顔をして、
「やっぱりぼくも着いていっちゃダメ?」
上目遣いで尋ねてくるヨエルに、フィノの心は揺らぎそうになる。
どういうわけか。先ほど話した時はとても聞き分けが良かったのに、今になってヨエルはこんなことを言い出してくる。
かなりの日数、彼を独りにさせなければならない。寂しがっているのはフィノだって充分理解している。
それでも、ヨエルの安全を考慮するならばここで帰りを待っていてくれた方が安心なのだ。
「さっきも言ったけど、連れて行けない」
「うん……」
「マモンと一緒に待ってて」
宥めるように優しく言い聞かせる。
けれどヨエルの心配は、以前のように置き去りにされるかも、というのと他にもう一つ。危険な場所に行くというフィノの身を案じてのことだ。
彼の身近には、生きている人よりも死んでしまった人の方が多い。彼の両親、親代わりのエルリレオ。そこにフィノも加わってしまえば、彼は孤独の身になってしまう。
マモンが居るとはいえ、今の彼には出来る事の方が少ない。昔のように動けないのであれば、ヨエルを守ることも抑止力になることだって出来ないのだ。
そこまで熟考しても、フィノの考えは変わらない。だめなものはだめ。連れて行けないものは連れて行けない。
「……わかった」
落ち込みつつも、ヨエルはフィノの言いつけを聞いてくれた。
落着をつけたところで、再度明日の準備に取りかかる。テーブルで作業をしているフィノの目端では、ヨエルがベッドに乗って呼び出したマモンとお喋りに興じていた。
「ぼくとマモン、留守番なんだって」
『ふああ、そうなのか?』
「うん。でも絶対ひまになっちゃうから、なにして遊ぶか決めよう! まず明日は……」
意外と乗り気なヨエルに、マモンはなんとも神妙な面持ちをする。
ちらりとフィノへと目配せをしたあたり、何か言いたげだ。マモンの心情を思えば、アリアンネが居る帝都でフィノの帰りを待つなど、本音を言えばしたくはないのだろう。
それでも律儀にヨエルの話に付き合ってあげているのは、彼のヨエルを想う優しさからくる行いに他ならない。
マモンがこうしてヨエルの事を大事に想ってくれているからこそ、フィノは心置きなく自分のすべきことに専念できるのだ。
それでも、マモンには旅立つ前に伝えなければいけないことがあった。その結果がどうなるか、フィノには容易に想像出来る。だからこそ、今までマモンには絶対に秘密にしてきたのだ。
しかし、今回ばかりはそうはいかない。
フィノがこれから向かう事になる大穴の底。何が起こるか未知数の場所だ。最悪、命を落とすことだって考えられる。
そうなってしまったら……マモンは何も知らずに生きることになる。もしかしたらそれが一番、彼のためになるのかもしれない。それでも、知る権利はマモンにあるのだ。
フィノは、マモンが苦悩していることを知っている。彼はどうして自分が創られたのか、その理由を知りたがっている。
そして……フィノはその答えを知っているのだ。ゆえに、今まで秘密にしてきた。この事を彼が知ってしまえば、どのような事態になるのか。想像がつかなかったからだ。
それでもいずれ話さなければならない時は来る。それが今なのかもしれない。
「――フィノ!」
作業の手を止めて物思いに耽っていると、マモンとお喋りをしていたヨエルが、いつの間にかそばに来ていた。
「どうしたの?」
「ぼく、手紙かきたい!」
「手紙?」
聞くと、アルヴァフにいるレシカに後で手紙を書くから、と約束したのだと言う。フィノが戻ってくるまで暇になるから、その間に今まで体験した色々なことを手紙に書いて送るのだと、ヨエルは楽しげに言う。
「でも、ヨエル文字かける?」
「おじいちゃんに教えてもらった! でも……少しだけなんだ」
ヨエルは勉強が嫌いで、エルリレオに教えてもらっても練習はしてこなかったのだという。だから、文字は読めるけど書くとなると少し難しいのだということだった。
「マモンは書けないし」
『うっ、……し、仕方ないだろう! 己には必要のないスキルなのだ!』
「でも大事だっておじいちゃん言ってたよ!」
「大事ならちゃんと勉強しなきゃね」
フィノの一言にヨエルは素直に返事をする。どうやら今になってちゃんと学ばなかったことを後悔しているらしい。
それでも遅すぎるということはない。今から学び直してもヨエルならすぐに覚えられるはずだ。
そこでフィノは昔使っていた、手作りの教本をヨエルに渡した。
「私が使ってたやつ。それ見ながら手紙、書いてみて」
昔、フィノに文字の読み書きを教えようとユルグが用意して、その後ミアがフィノの座学の先生になったから……正確にはミアが自作した教本ということになる。
何度も読み返してボロボロになっているけれど、内容は褪せていないし充分に使える代物だ。
「帰ってきたらアルヴァフに送ってあげる」
「わかった!」
俄然やる気になったヨエルは、教本と手紙を書くための道具を持ってテーブルに齧り付く。膝上にマモンを乗せて、教本とにらめっこしながら悪戦苦闘している姿を眺めて、フィノは明日の準備を再開する。




