わるい大人
城の衛兵に話を通すと、快く案内してくれた。
彼の後を追って連れてこられたのは、王城にある一室。執務室である。
「こちらです」
「ん、ありがと」
案内を終えた兵士は、持ち場に戻っていった。
フィノがこうしてアルヴァフに訪れるのは、約二年ぶりである。この一年はヨエルと一緒にいたし、その前は匣の素材集めで各地を転々としていた。
今回の訪問は目的あってのことだが、旅行を楽しみにしていたヨエル同様、フィノも長らく会っていなかった彼らと再会するのを心待ちにしていたのだ。
扉に手を掛けて開け放つと、途端に聞き慣れた小言が耳に入ってきた。
「カルロよ、仕事の邪魔をするなら出て行ってくれんか。気が散る」
「ええ? ご飯食べる暇もないって聞いたからせっかく持ってきてやったのに。もうちょっと感謝しても良いんじゃないの!?」
「それ、儂の昼飯……」
「だってさっきいらないって言ってたからさあ。せっかく料理長さんが作ってくれたの、残したら悪いでしょ」
会話と共にフィノの視界には、公務の為に執務机に拘束されているレルフと、その正面にあるソファに座って作りたての野菜サンドを頬張るカルロが映った。
突然の訪問者に、一斉にフィノへと視線が向けられる。
死んだ目をしていたレルフは驚きに瞠目して、野菜サンドを頬張っていたカルロは、じっとフィノを見ながら手に持っていた一切れを口に放り込むとゴクンと飲み込んだ。
「あら~、珍しい人が来たね」
フィノの知っている、いつものカルロだった。
彼女は特に驚いた表情もせず、普段通りに接してくれる。二年ぶりに会うというのに、数日前に会ったような態度を醸し出す。
「ひさしぶり」
「元気そうだね。まあ、座ってよ」
とはいえ、フィノの来訪を喜んではいるようでお茶の準備をしてくれる。
その合間に、カルロの視線がフィノの後ろにいる二人に向いた。
「でもって、そこのちびっ子たちは何?」
「ヨエルとレシカだよ」
部屋の前で固まっていた二人を紹介すると、それを聞いたカルロは驚きに声をあげた。
「うわっ、ヨエルってあの赤ん坊の!? こんなに大きくなったの!?」
「この前、十歳になったばかり」
「わーお、やっぱり子供ってのは成長が早いねえ」
しみじみと語るカルロは嬉しそうである。
十年前……フィノがユルグを追って出て行って、連れ帰ってくるまでエルリレオと一緒にヨエルの世話をしてくれていたのだ。
カルロが知っているのは、まだ言葉も話せない赤子。それがこんなになって目の前に現われたら感慨深くもあるだろう。
「フィノ、この人だれ?」
「さっき話してたともだち。いい人だよ」
「ふぅん」
ヨエルは品定めをするようにカルロを見つめた。人見知りゆえなのか、何か行動を起こす前にこうして観察するのが彼の癖だ。
ジロジロと突き刺さる視線に、カルロは微かに眉を寄せた。
「あ、少年。いま失礼なこと考えてない?」
「う……ううん。なにも」
「言わなくてもわかるんだから! 喧しい人だなって思ってたでしょ!」
「喧しいぞ、カルロよ」
「ほらぁ!」
レルフの小言に、カルロは吠えた。それに驚いて、ヨエルはフィノの背中に隠れてしまう。
「ぼく、何もいってない……」
カルロの強引さに、少し気の弱い所があるヨエルは萎縮してしまった。どうやら彼女とは相性が悪いらしい。
しかし、カルロも悪気があったわけでもなし。どうにか打ち解けてもらおうと二人の間で板挟みになっているフィノに、助け船が出される。
「少しは静かにせんか! 怯えているだろうに」
レルフはカルロを窘めると、執務机から這い出してきてお茶を淹れてくれた。
とりあえず座りなさいと、促されるままソファに三人腰を下ろす。
「怖がらなくともいい。少し強引な所もあるが、君に意地悪をしようとしたわけではないのでな」
「う、うん」
「ただ仲良くなりたいだけだ。……カルロよ、そうだろう?」
「あー、うん。その通り。ごめんね」
カルロの謝罪にヨエルは小さく頷いた。その様子を見ていたフィノはあることに気づく。
きっとエルリレオと暮らしていたからだろう。物腰の柔らかい紳士的な大人の方が、ヨエルも心なしか素直である。
今だってレルフの言葉をあっさりと聞き入れていたし、落ち着いて会話も出来ている。
なるほどなあ、と思いながらフィノはカルロを見た。
彼女はそういった穏やかさとは正反対の場所にいる。フィノは一緒にいて困ることはないけれど、騒々しいのが嫌いな人とはソリが合わないだろう。
「して、貴女様がここにいらしたということは……」
「困ってること、あるんだよね」
「え、ええ! それはもうたくさん!!」
「わ、私に出来る事は協力するから」
肯定すると、レルフはフィノの手を握ってありがとうと言った。嬉しさのあまり泣き出してしまいかねない彼の様子に気圧されながら、だから――とフィノは続ける。
「二人の面倒、見てて欲しいんだ」
「そういうことならば、適任がおりますな」
レルフはちらりとカルロを見遣った。
「え、わたし?」
「お主以外におらんだろう」
「私も、カルロなら安心」
しかし、カルロはううん、と唸ってばかりだ。
「べつに引き受けてやってもいいけどさあ。ほら、何か見返りがないとやる気が出ないっていうか……タダ働きは御免だよね」
「お主はまたそんなことを……子供の前でみっともないと思わんのか!?」
「ぜんっぜん!! 見返りに対価を要求するのは当然でしょ!」
ぎゃあぎゃあと喚きだした二人を尻目に、フィノは背嚢を漁るとある物を取り出した。
本当は土産にと持ってきたものだったが……交渉材料にはうってつけだ。
「引き受けてくれたら、これあげる」
目の前に置いたのは、メイユから持ってきた酒瓶である。地元で作られる清酒だ。すっきりとした喉越しで土産として贈ると喜ばれる。
「そ、それは! すっごい美味しいお酒じゃない!?」
「どうする?」
「わ、わかった! 子守でも何でも任せなさい!」
あっさりと承諾したカルロに、それを見ていた子供たちはボソボソと呟く。
「わるい大人だ」
「ぼく、あんな大人になりたくないなあ」
散々な言われようだが、カルロはそれを気にすることなく声高に宣言する。
「それじゃあ、ちびっ子たち! これから観光に出掛けよう!」
「いいの!?」
「もちろん! せっかくここまで来たんだし、部屋に閉じこもってちゃ損でしょ」
カルロの提案に、今まで大人しくしていたレシカは目を輝かせた。けれど、それとは対照的にヨエルはあまり乗り気ではなさそうだ。
「……ぼくはいいよ。ここにいる」
どうやら彼はカルロよりレルフの方が良いらしい。しかし、これからレルフとは色々と協議しなければならないことがある。子供には退屈だろうし、せっかく旅行を楽しみにしていたのだ。カルロも言うように、ずっと部屋にいてはもったいない。
「一緒にいこうよ」
フィノの心配を余所に、レシカがヨエルの手を引いた。少し渋っていたヨエルだったが、最後には根負けして「わかった」と頷く。
「ねえ、フィノも後で来るの?」
「え? そうだなあ……仕事終わったらいくよ」
「……そうなんだ」
それを聞いて、ヨエルはしょんぼりと声を落とした。
なんだかとても残念がっているように見える。どうしてだろうと考えて、フィノは微かに笑みを零した。
「でも、気分転換もしないとね」
落ち着いたら追いかけると約束すると、心なしかヨエルの表情が晴れた気がする。
数日前よりも、ヨエルはフィノに心を開いてくれているようだ。
僅かな進展に嬉しく思いながら三人を見送って、フィノは山積みの問題に取りかかる。




