夜は更けていく
うさぎ肉で作ったスープは上々の出来だった。
過去のトラウマもあり、ヨエルは躊躇いながら匙ですくって食べる。
「これ、おいしい!」
「う、うん……」
レシカの感想にヨエルもこくりと頷く。
自慢ではないけれど、フィノの料理の腕はそこそこで美味い部類に入るだろう。ユルグのような雑味のある男飯を生成することなく、こうして子供たちに食べさせてあげれるのは彼女に料理を仕込んでくれたラーセのおかげだ。
彼女とはユルグを追ってヘルネの街へ行った時に会って以来、再び会うことはなかった。ヘルネの街があるデンベルクは今まさにアルディアと戦争を繰り広げている。
国の兵隊でもない国民が被害にあうことはないと思いたいが……今は無事を祈ることしか出来ない。
「そろそろ暗くなってきたから休もう。明日は早いから、ちゃんと寝てね」
「はあい」
「うん……おやすみ」
食事を済ませて号令を掛けると、二人は天幕の中へと引っ込んでいった。
人見知りのヨエルが会ったばかりのレシカと一緒にいられるか、心配だったが彼も相当疲れているみたいだ。マモンと同じくらいのデカい欠伸を零して天幕へと入っていったから寝付きは問題なさそう。
子供たちを寝かせて、フィノは不寝番の為に焚き火の前に陣取る。
毛布を被って、温かいお茶を淹れようと水を沸かしていると薄闇の中から見知った姿が現われた。
『不寝番ならば己が代わろうか?』
「マモン……出てきて大丈夫なの?」
彼は欠伸を零しながら、これくらいならば大丈夫だと言った。有り難い申し出だけど、フィノはそれを断る。
「ううん、だいじょうぶ」
『ふむ……そうか』
「でも一人だと退屈だから話し相手になって」
『ああ、いいとも』
ふりふりと尻尾を振ってマモンはフィノの足元に寄ってくる。それを抱きかかえて膝上に乗せると、焚き火の炎を見つめてフィノは話し出した。
「まだ先の話になるけど……匣がなんとか出来たら、私はあの場所にはいられなくなる。ヨエルのこと、置いていかなくちゃいけないかもしれない」
どうしたらいい、とマモンに問いかける。
『己ではヨエルに何かあったとしても守りきれない。実体を維持するには瘴気が不可欠だ。大気中に微量に溢れてはいるが……あれだけではもって五分が限界。できればヨエルの傍に居てほしいが』
マモンの意見はフィノの考えを否定するものだった。
ヨエルの安全を考えるのならば当たり前のことだ。彼はユルグに頼まれたのだから。フィノにヨエルの傍にいてくれと願うのは当然のことなのだ。
それはフィノにも分かってはいる。しかし、守らなければと思う気持ちと同じくらい、それと正反対の想いも抱いている。
「本当は、私はあの子の傍に居ちゃいけないんだ。だって、あの子の父親を殺したのは私だもん」
『あれは仕方のないことだった。何度も言っているはずだ。フィノのせいではないよ』
「分かってる。けど……ヨエルと一緒にいるとたまに思うんだ。本当にあれが正解だったのか……他にもっと出来る事、なかったのかって」
消え入りそうな声で呟いたフィノの言葉に、マモンはなんと答えて良いのか、言い淀んだ。
フィノがどうしてそんな考えに至るのか。彼女の想いも理解している。
あの時の決断はあれが最善だったのだ。他にどうしようもなかった。それはこの十年で、何度もフィノに言い聞かせてきたことだ。
それでもたった一人で、弱気になった時は思わずにはいられないのだろう。あれが本当に正解だったのか、と。
敬愛してやまない師匠にトドメを差したようなものだ。フィノの後悔はマモンが思うよりも深いものなのだろう。
『あれ以外に方法はなかった。それに……ユルグがヨエルを選んだのはお主の為でもあるのだ。それを責めるのは酷だとは思わないか?』
「んぅ、でも……」
『今更、こんなことを言うべきではないとは思うが』
前置きをして、マモンは続ける。
『おそらく、やつはこうなることを予想していなかった』
思ってもみない一言に、フィノは膝上のマモンを見つめた。
『ユルグは己にヨエルを守ってくれと頼んだ。一緒に生きてやってくれと。しかし、己は瘴気を食らわなければ身体を維持出来ない。弱体化する一方だ。ユルグはそれを知らなかった。……もしかしたら知っていて、それでも託したのかもしれないが……どうだろうな』
ユルグはあらゆる事に慎重な男だった。
マモンがヨエルを守ってやれないと知っていて、他の誰かに守護を委ねるとは思えない。フィノならばまだしも、不確定要素をわざわざ考慮にはいれないはず。
『それに今起こっている戦争もやつは予期していなかったはずだ。ヨエルに危険が及ぶ事を分かっていたのなら、己にあんな頼み事はしなかっただろうなあ』
デンベルクとアルディアの戦争は、最終的に行き着くところは廃止した魔王制度の復活だ。
勇者と魔王が消えたからといって、瘴気が消えるわけではない。汚染された地上を浄化するにはアルディアが秘匿する匣だけでは不可能なのだ。
元通りにするには、やはりマモンの存在が不可欠である。故に、この戦争にアルディアが負ける事があるのならば――帝国、アリアンネの庇護下から魔王は外れることになる。
そうなってしまえば、ヨエルはどうなるか。フィノにも容易に想像出来た。
『昔のように力にはなってやれんが……あまり自分を責めないでくれ』
「マモンが言っても、説得力ないよ」
笑って言うと、マモンはうぬう、と声を詰まらせる。
彼が苦悩していることをフィノは知っていた。二千年という悠久を生きてきた彼が、本当は死にたがっていることも。
アリアンネは彼の心の拠り所だったのだ。それをなくしてしまっては、消えてしまいたいと願うのは誰にだって理解出来る。
それでもマモンはヨエルと共にいてくれるのだ。
だからこそ、そんな彼を差し置いてグチグチと弱音を吐くわけにはいかない。
「わかった」
『だが溜め込み過ぎるのは良くないのでな。愚痴ならば幾らでも聞いてやろう』
「うん、ありがと」
心の底からの感謝を述べて、フィノはマモンのゴワゴワした毛並みを撫でた。彼の冷たい身体は、炎の傍ではやけに気持ちよいものだ。
懐かしい触り心地に、気持ちが柔らいでいくのを感じる。
そして、静かな夜は更けていく。




